芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

町起こしの難しさ

2009年03月21日 | Weblog
「もぅす」2号に依頼されて書いた、[登米に残る洋館」の一つ、洋裁学校を取り上げてもいいか、仙台に居住されるその所有者、菊地氏に電話で許可を貰ったとき、書いたものをごらんにいれると約束していたので、そのとき聴いたご住所のメモを探したがなかなかみつからない。電話で、ひどく忙しいのに電話なんかしないでくれと言われ、恐縮して、大事に仕舞い過ぎたらしい。
元々が、探し物ばかりしている性格な上にこういうことだから、見付けるのに2日かかってしまった。今日、礼状を添えて、明日、メール便を取りにきてくれるように手配した。何しろ、400字のコラムであるから、文字通り触れるだけで終わった。こんな程度の触れ方で電話などするなとまた、怒られそうだ。
こういう方には、はっきりといわないと勘ぐられるから、原稿料代わりに貰った[もぅす」2号の5部のうちから一部をお送りすると記した。町起こしの役に立てば程度で、私自身も書いているので、大した文章にもなっていない。その点も突つかれるかもしれない。なかなか難しい町である。