遠藤周作『深い河』のヒンディー語訳を再び始めた。
さっぱり進まない。連続してうちこまなかったため、記憶力も衰え、前に調べたことのある語彙をなんども引くことになって、前途迂遠である。
おまけに、今日も暑くて、扇風機なしでは、じっとりと汗ばむ。
『竹取物語』をヒンディー語訳したときは、古文を一回現代日本語訳したが、翻訳しやすい現代語にしたため、短い物語とはいえ、これほど手間取らなかった。遠藤周作の文章は、接続詞のない文で、順接とも逆接ともつかない文が長々と続いていくので、その接続詞をどうするかでも時間を取られる。英文訳を見ると、わざとなのか、うっかりなのか、2行くらい抜けて訳してたり、適宜長文を途中で切ったりしている。
あまりに暑かったので、夕方、昨日も一昨日も小学校の校庭で涼んだ。相変わらず、同じおバンツアンが校庭で犬を散歩させている。もう一人は、車で来たおっさんが遠山の里に駐車し、小型犬を校庭に放して、挙げ句に、小学校の足洗い場に連れて行って、水道の水を自分でも飲み、犬にも飲ませている。これでは、我も我もと校庭は犬の散歩場になってしまう。
さっぱり進まない。連続してうちこまなかったため、記憶力も衰え、前に調べたことのある語彙をなんども引くことになって、前途迂遠である。
おまけに、今日も暑くて、扇風機なしでは、じっとりと汗ばむ。
『竹取物語』をヒンディー語訳したときは、古文を一回現代日本語訳したが、翻訳しやすい現代語にしたため、短い物語とはいえ、これほど手間取らなかった。遠藤周作の文章は、接続詞のない文で、順接とも逆接ともつかない文が長々と続いていくので、その接続詞をどうするかでも時間を取られる。英文訳を見ると、わざとなのか、うっかりなのか、2行くらい抜けて訳してたり、適宜長文を途中で切ったりしている。
あまりに暑かったので、夕方、昨日も一昨日も小学校の校庭で涼んだ。相変わらず、同じおバンツアンが校庭で犬を散歩させている。もう一人は、車で来たおっさんが遠山の里に駐車し、小型犬を校庭に放して、挙げ句に、小学校の足洗い場に連れて行って、水道の水を自分でも飲み、犬にも飲ませている。これでは、我も我もと校庭は犬の散歩場になってしまう。