芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

沖縄興南高校の全国優勝

2010年08月21日 | Weblog
甲子園の高校野球東海大相模との決勝で、沖縄興南高校が優勝した。秘かに優勝すれば良いと思っていたのが、実現して良かった。
何しろ、沖縄は、敗戦の時から、戦後もずっと米軍の支配下にあるのだから、その人々の苦難の歴史は、私などには推し量りがたい。しかもこの日本の政治経済のひどさである。本土の経済も悪く、就業率も悪いが、沖縄は調べたことはないが、おそらく、他国のようなひどい悪さであろう。かねがね、沖縄は独立したほうがいいのではないかと思っている。元々が琉球王国である。明治維新を主導した鹿児島にしてやられて、属国化した上に、日本に繰り入れられ、その挙げ句に、国内唯一の地上戦の地と化したのである。戦後は、米国の意のままにされた政府によって、米国の世界支配の基地として基地負担を押し付けられ続けてきたのだ。
彼らにとって、救いはスポーツにおける勝利だけではないか。日本全体が、今や、政治経済が衰弱してきているから、スポーツが唯一の救いである。だから、優勝したのでもないのに、世界の8強にも入っていないサッカー・ワールドカップにみんな熱中する。政治的にはガス抜きの役割を果たしている。大相撲の相撲協会いじめも勝ち負けではなく、あたかも、相撲協会の悪を退治するかの大見得をマスコミを通してきって見せて、国民に相撲協会を立ち直らせるかのように錯覚させる。これもスポーツを利用したガス抜きである。国民の眼を他国の植民地状態であることから逸らせている。

経済一流から政治も三流に

2010年08月20日 | Weblog
GDPで中国に抜かれ、日本は、世界3位になると言う。これまで、米国の政治と経済のおこぼれに従って、米国の次について行っていたのが、米国の凋落に従って、日本も凋落を始めている。第2次大戦のあと、ドイツが米国に従って。GDPで2位だったが、続いて、日本が2位になり、これからは、米国の急激な凋落により、中国、インドが世界の政治経済を引っ張って行くことになるであろう。事業仕分けではないが、何も日本が世界一になる必要はないが、かつて、経済一流、政治二流と言われていた日本は、政治経済ともに三流になりそうだ。
一昨日ヴィーナスの湯の阿部支配人が来たのに続いて、昨日、その山田社長が来た。これまで行政に頼らず、長沼による地域起こしをしてきたが、伊豆沼・長沼水環境ネットワークというNPO法人を立ち上げたので、それに入ってほしいという。昨年私がインドに言って留守をしている時に、なんどか電話をくれてその法人の発起人になってもらおうと思ったのだそうだ。意見を言ってもらうだけで良いそうだから、あまりお役には立てないからと、準会員になった。これからは行政に積極的にかかわっていくのだそうだ。自然と農業との共生を目指して、生物相の調査をしたり、湿地復元の取り組むという。NPOというのは、県の認可を受けるが、それから独立して活動して行く団体だと思っていたが、役所と積極的にかかわっていくというのは、返って面倒ではないか。私自身は、ダルマサンガという会で、国交省の末端の仕事を肩代わりするつもりでいるのだが。

雑草の中で虫がすだいている

2010年08月19日 | Weblog
今朝は、昨日の秋風に反応した虫が様々な声ですだいている。急な心変わりを、秋風に譬えているのが実感される季節の変化だ。
2、3日後には、また暑さがぶり返すのであろうが、暑い日と涼しい日を繰り返しながら、次第に秋も深まってゆくであろう。
世論を操作してアンケートを取る世論調査というマスコミの被害に遭っている小沢一郎は、民主党政権では、最大の実力者なのであるから、日本のこれまでの政治に関する政策通でもあり、私は、民主党が政権をになって行くなら、先ず第一番目に小沢一郎が首相になって、日本を引っ張るのが望ましいと考えている。自民党議員にも民主党議員にも松下政経塾出身者がいるが、その人達が中心になって、反小沢一郎を唱えているが、いかがなものか。参議院選挙での与党敗北で、ねじれ国会を乗り切れる実力のあるのも小沢一郎しかいまい。今、日本の政治に最も必要なのは、米国の破綻によって惹き起こされているこの世界不況の中で、着実に政策を実行して行くことだ。
松下政経塾出身の政治家は二流だと、和久井康明氏が言っていたが、佐藤元大工さんも,給料をもらって政治家になる勉強をしているようでは、仕事もない人達の事を理解できないをね、と言っていた。佐高信氏も松下幸之助を本田自動車の創業者と比べて2流の経営者と断定していた。松下政経塾というぬるま湯の中で育った政治家が確かに、いい政治をできるわけがない。マスコミ主導の流れに乗って、常に人気のある流れにばかり乗って行くのでは、当てにならない民心の変化にばかり従って、本来の政治はできまい。雑草の中で、すだいている虫のように、季節の移り変わりに敏感に適応して行くだけでは、マスコミを主導している人達にいいように利用されるだけである。小沢一郎から金を借りて直ぐ返したことを記載しなかったという、小沢一郎の政治団体の記載漏れを、虚偽記載と大げさにあげつらう市民団体を先ず、どのような人物達か明らかにするのが、マスコミ本来の仕事である。その人物達が、田中角栄を陥れた時と同じ人物達であり、マスコミを主導しているのだ。その人物達の背景を報道すれば、自然に政治は安定する。

急に秋風が吹く

2010年08月18日 | Weblog
朝から風が冷たくて、これぞ秋風かと思えた。昨夜、右手首がかゆいので、見ると、赤いまだらに腫れている。あせもかと思ったが、それとも違う。昨朝、ズッキーニを採りながら、古い葉っぱを除去したので、どうもそれに負けたらしい。今朝のように涼しいと、かゆいのが苦にならないから良かった。それにしても先週までは、異常に暑かったのが、急に冷風が吹き始めては、暑くなってやっとおがってきたゴーヤが今年も食べられないかもしれない。
午後にはいり、相談したいことがあると電話をくれたヴィーナスの湯の阿部支配人が夕方やって来た。昨年の秋にヴィーナスの湯とJR東日本との企画で『登米物語』の昔話の朗読に呼ばれて以来の再会であった。
現在、長沼をボートで観光できるよう関係先に相談しているが、その中の一つ、観光物産協会の会長が、それに反対して、ひどく咎めて来たと言う。その背景に市会議員で、長沼漁業協同組合長をしている人が,ゼネコンの社長達と最近長沼観光という会社を立ち上げて、権力的なものの言い方をしてくるから、どうしたらいいか相談に来たのだそうだ。ボートの競技をするボートコースに入る訳ではないし、観光船を浮かべることに何の問題もないのだから、あとは、船着き場が反対している人達の土地でないなら、遠慮することはないと助言しておいた。
観光物産協会長には最近、市長側近のペンキ屋が就任したのだし、どうせ、観光会社を設立したゼネコンと沿岸に建物でも建てる思惑であろうから、ほっておけばいい。ここでは、相変わらず、自民党時代の利権政治が罷り通っているのだ。それにつけてもなぜ地元に何の力もない私に相談するのかと聞くと、地元の意見とは違う意見を聞けると思ったたと言う。あまりお役に立てない。

道の両端は犬の糞だらけ

2010年08月17日 | Weblog
夕方、校庭で涼んでいると、どこかのおバンツアンが、犬の散歩をさせて校庭に入ってきた。校庭を一回りして、出て行ったが、初めて見る人と犬だった。犬は大型でゴールデンリトリーバである。立派な犬は結構だが、校庭を散歩させるのは頂けない。
都会でも、公園でさえ、犬を入れるのを嫌うのに、小学校校庭を散歩させるのは、かなり勇気があるか、無神経かどちらかだ。
糞と小便をしたら拾うのか見ていたが、糞をしたかどうか分からなかったが、小便はさせていた。都会の公園で、特に砂場は、小便をさせないように気を遣っているが、そんなことには頓着していないかのように、悠々と校庭を一回りして出て行った。
我が家の裏の通りは、犬とに人間の散歩道になっている。舗装していない、堀沿いの道は、道路の中央を除いて、草ぼうぼうである。道の真ん中を歩かないと、草の中に犬の糞が何メートル起きかに鎮座している。都会と違って、雑草だらけの道に犬の糞をさせて放置して行くのが、この辺の人の犬の散歩と見える。そのような人が校庭も散歩させるのだから、小学生達に、犬の糞でも食らえと言っているのに等しい。砂場は特に犬の小便所に適しているから、一度犬がそこで糞や小便をしたら、文字通り犬の便所になり、その砂場で遊ぶ子供達は、犬の病気をうつされる可能性が出て来る。しかし、知らないおバンツアンに下手に注意などして、先方が私を知っていたりしたら、あとで、何を仕返しにされるか分からないので、黙って見過ごした。前にも記したが、我が家のお墓の花が抜き棄てられていたことがあるし、墓掃除で気付いたのだが、空気銃かなにかで墓石に小さな穴をあけられているのも事実だからだ。今回の漕艇場開所式を取材してもらって新聞に写真入りで出たことを、なんでそういうことをするのかと、問題視する人もいるのだ。自分で好きですることについてもそういうことをはっきり言う人がいるのだから、人に注意などしないほうが良いに決まっている。

棄てた種からカボチャがおがってきた

2010年08月16日 | Weblog
今日も、降ったりやんだりの変な天気であった。陽が射しているのに、文字通りお天気雨で、しかも風がないから蒸し暑くて扇風機をつけっぱなしでないと、じっとりと汗ばんだ。
郵便局に行ったついでに川を見たら、相当増水している。上流の岩手県で相当降ったのであろう。水は濁って、水辺プラザの船着き場は冠水して見えなかった。外は大して暑くないのだが、帰途も歩くと汗をかく。
小学校は夏休みでも、平日はプールに子供達が来ているのだが、お盆休みと見えて、プールには誰もいない。子供の頃、北上川で泳いだが、今は、川には近づかないようにしているようだ。尤も今日のように増水していては、泳ぐどころでないし、昔あった砂場が、建築資材として掘り採られて、子供が泳げるところはない。
昼近くに佐藤元大工さんが自分の茹でた枝豆を食べてみると良いと言って、持って来た。茹で方に凝っているのだ。確かに店で買った豆よりも明らかにうまい。今年は、この早生の豆は獲れたが、香りも少ないと言う。秘伝はみんなウサギに喰われたそうだ。あまりの暑さに、野菜類はかなり、被害を被っているそうだ。
私の畑では、棄てたカボチャの種が、柿の頂上まで伸びて、上に直径30センチほどの大きなカボチャがぶら下がっているのが、見事なので、見てもらうと、「食べられっぺが」と疑問を呈していた。要するにまずいのではないかというのだ。

雨のち蒸し暑い一日

2010年08月15日 | Weblog
朝から、雨が降ったやんだりであったが、晴れると、風のない蒸し暑い日となった。扇風機をつけないとじっとりと汗がにじみ出て来る。
昨年暮れにインドに行った時、ネルー大学のウニタ教授が遠藤周作『深い河』を一緒に訳したいと言っていたので、少し訳してみたが、凄く時間を取られる。その割にさっぱり進まないので、取りあえず、訳したのをウニタ教授にメールで送って見てもらうことにし、必要があればデリーに行くことにしようと思う。
そのことを、ウニタ教授に連絡したところ、ネルー大学で、講義をもしてほしいという返事であった。
以前、遠藤周作『深い河』についてどこかで話しをしたように思い、その時のノートを探したが、見つからない。どうも探し物で毎日、何時間かを費やしている。
仮に、デリーに行くことになれば、今の円高が続いていれば、大分助かることになるのではあるまいか。
世界に冠たる巨額の財政赤字の国が、円高になるのがよく分からない。

わが畑は雑草だらけ

2010年08月14日 | Weblog
思いがけず、今日は、降ったりやんだりで、一日雨模様の天気であった。畑に自分で水やりをしたり、雑草を取ったりするほどには、暇でないから、助かる。雑草は、もう3回も取っているが、それでもぼうぼうである。収穫物は、ズッキーニくらいだ。ササゲも数日に一回くらい穫れる。6月に植えた20日大根が今ごろ一本だけ獲れ、あとは殆ど全滅であった。7月末に植えた20日大根は、一カ所に集中している。間隔を置いて植えたつもりだが、水をやった時、その水で流されて、一カ所に集中したのかもしれない。畑は、毎年失敗ばかりしている。
今日は、佐藤元大工さんがミョウガを持ってきてくれた。奥さんを看病しながる、畑もする勤勉さに脱帽だ。
朝、牛乳配達に来た秀夫ちゃんが、私の畑を見て、トマトを持って来てやると言っていたのが、夕方に、大量にトマトを持って来てくれ、それに加えて、キュウリとなすの漬け物と、ジャガイモのニッコロガシもくれた。併せて段ボール箱一つだった。
この時期の畑は、雑草が伸びやすく、敏捷な蚊が棲んでいる。私は、勝手の分からない他国でゲリラに出くわした米兵のようなものである。ただ、当惑しているばかりだ。

野菜も環境に左右されたりされなかったり

2010年08月13日 | Weblog
このところ、乾期のように雨が降らなかったから、台風で相当降るかと期待したが、予報に反して、あまり降らなかった。
秀夫ちゃんが持って来てくれた茄子もピーマンも皮が硬いのは、日照りが続いて水が少ないせいだという。
佐藤元大工さんが持って来てくれたズッキーニもそうだ。しかし、今日持って来てくれた枝豆は、茹でるとうまかった。トマトも水が少ないほうがうまいそうだ。
同じ暑い季節でも、水が多いほうが良いのと、少ないほうが良いのと違いがあるのだ。人間も様々で、環境が同じでも、いろいろな違いのある人間が育っている。それぞれに相応しい育ち方があるのであろう。鳩山首相兄弟も、体型も含め随分違って見える。
民主党政権は、学校の組合出身者も多いようだから、学校教育の多元性を取り入れられるのではないか。
現在のように、義務教育のあと、高校、大学と進学しているのは、どんなものかと思う。職人教育をできる社会を作って行くべきである。徒弟制が、前世紀の遺物のような言い方をする人もいるかもしれないが、働きながら、技術を身につけるのは重要である。江戸時代のほうが進んでいたと言える。
最近話題になった、法曹関係で国からの奨学金をもらうのではなく、法曹関係の事務所で働いて実務を身につけながら、司法試験を受けることができやすい制度があってもいいのではないか。彼らも専門家であり、一種の職人と言っても良いのだ。

月刊Rowing に「とよま漕艇場」開所までの経緯を寄稿

2010年08月12日 | Weblog
午前中、奥さんの看護に行く前に、佐藤元大工さんが寄って、今日は、台風が来るから舟を飛ばされないようにして置いたほうがいいのではないかと言ってくれた。
今日は、朝から蒸すものの、涼しかったので、朝から行こうかと思っていたが、畑のトマトとゴーヤに支柱を立てたり、雑草を取っているうちに、行けなくなった。佐藤元大工さんが出かけてから、自転車で小竹牛乳に行き、ブロックに紐をつけて、艇のリガーにぶら下げた。帰りに船着き場を見たら、舟を出すのが難しいくらいに水かさが減っていて、先日の水かさが増している時とはがらりと変わっていた。
月刊Rowing が8月1日にこのブログのコメントを通して、寄稿するように言ってきていたので、あらためて、コメントを見たら、今週初めが締め切りであることが分かった。もう締め切りが過ぎているが、あわてて、書いて、午後になってから送ろうと思ったが、月刊Rowing のメールアドレスが、インターネット・イクスプロアラのため,私のマッキントッシュから送れない。やむをえず、日本ボート協会に問い合わせると、竹内さんという女性が、受けてくれ、編集部に転送してくれるというので、やっつけ原稿と岩手日日新聞の千田記者が自由に使ってくれていいと送ってくれた写真を数葉送った。