小椋桂に「さらば青春」という曲がある。「ぼくは呼びかけはしない遠く過ぎ去るものに
…」という青春への惜別の歌なのだが、確かに我が青春も去ってしまったのである。
しかし、それは果実の、文字通り熟れる前の青い時で、実は硬く、味も酸っぱくて、とても
食べれたものではないのだ。
「大人」が若者たちの言っている言葉なら、「青春」は、おじさん達が振り返って
懐かしがっている言葉なのかもしれないのだ。本当の食べ頃は、果物であれば熟れきった
ときなのであろうが、さらにしばし置いておくと、えもいわれぬ味わいをかもし出すものが
あまた存在するのである。
わが身に振り返れば、青春時代はそれなりに謳歌したと思うが、現実は何もいい味わいを
感じてなくて、ただ真っ只中で通り過ぎるにまかせるといった感じだった。
しかし、今は目前の出会い1つ1つに、味わいを見出すことが出来るようになった
のである。目覚めに賜るスズメのさえずり、日の出の清やかさ、頬に触れる春の微風、
道端の雑草の芽吹き、恋蝶の舞い、親近の笑み…などを感受できるようになったのである。
そして、やっと気づいたような気がしているのだ、遅まきの青春性の目覚めを賜った
理由を…。これがなければ、さらなる深い感銘と甘酸っぱさを味わうことができなかったに
違いないのだ。
残念ながら、肉体は確実にたそがれが進んでいるのだが、心はこれぞ青春という味わいを
感じているのである。
わたしはここに宣言したい。今が「心の青春」と…。
…」という青春への惜別の歌なのだが、確かに我が青春も去ってしまったのである。
しかし、それは果実の、文字通り熟れる前の青い時で、実は硬く、味も酸っぱくて、とても
食べれたものではないのだ。
「大人」が若者たちの言っている言葉なら、「青春」は、おじさん達が振り返って
懐かしがっている言葉なのかもしれないのだ。本当の食べ頃は、果物であれば熟れきった
ときなのであろうが、さらにしばし置いておくと、えもいわれぬ味わいをかもし出すものが
あまた存在するのである。
わが身に振り返れば、青春時代はそれなりに謳歌したと思うが、現実は何もいい味わいを
感じてなくて、ただ真っ只中で通り過ぎるにまかせるといった感じだった。
しかし、今は目前の出会い1つ1つに、味わいを見出すことが出来るようになった
のである。目覚めに賜るスズメのさえずり、日の出の清やかさ、頬に触れる春の微風、
道端の雑草の芽吹き、恋蝶の舞い、親近の笑み…などを感受できるようになったのである。
そして、やっと気づいたような気がしているのだ、遅まきの青春性の目覚めを賜った
理由を…。これがなければ、さらなる深い感銘と甘酸っぱさを味わうことができなかったに
違いないのだ。
残念ながら、肉体は確実にたそがれが進んでいるのだが、心はこれぞ青春という味わいを
感じているのである。
わたしはここに宣言したい。今が「心の青春」と…。