春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「桜吹雪忌」

2012-04-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
六義園しだれ桜(エドヒガン変種枝垂れ)2012年4月6日

2012/04/10
ぽかぽか春庭十二単日記>はるHAL春(10)桜吹雪忌

 4月6日、お花見サイクリングで六義園、飛鳥山などで桜をながめつつ自転車を走らせました。
 4月7日、春休み最後の「ひとり行楽」として鎌倉へ。
 1月から始まっていた鎌倉での「藤牧義夫展」を会期終了3日前の3月22日まで見ないで待っていたのは、3月下旬になれば、鎌倉で花見をしつつ藤牧展も見られるのではないかと期待していたからです。しかし、展覧会会期終了となるのに、桜はまだ固いつぼみ。しかたなく、とにかく藤牧展は会期が終わる前に見ておき、花見は別の企画で、と思いました。この前鎌倉を散歩したのは、2002年だか2003年の秋に、娘とふたりで歩いて以来のことですから、春に2度も続けて行くのは初めてのことです。

 鎌倉花見のメインは、旧華頂宮邸一般公開と旧和辻哲郎宅一般公開です。近代洋風建築のお屋敷と、『風土』の哲学者から映画制作者の川喜多夫妻の手に渡った「武蔵野の農家」の家を見ること。(建築散歩の報告はまたのちほど)

 鎌倉駅前から金沢八景行きのバスに乗り込むと、隣席の女性が黄色い花を持っていました。「きれいな花ですね」と、声をかけてみました。
 女性は「ええ、これから鎌倉霊園へお墓参りに行くんです」と、バスでのおしゃべりが始まりました。

 私は人とことばをかわすのが苦手で、手紙、ブログやメールならいくらでもおしゃべりができるのに、直接顔を合わせて話すと、緊張するのです。緊張するのでこわばった話し方になり、子どもの頃「○○ちゃんの話し方って、こわい」とクラスメートに指摘されたことがいまだにトラウマになっていて、人と話すのが苦手になったみたい。家族など、慣れている人なら平気ですが、初めて出会った人や、これから仕事で関わらなければならないとなると、特に。
 それでも、「この先二度と会うことがない人」とは、割合平気で話せます。きっと「これから関わっていかなければならない人」と話すときは「こわい話し方をしてイヤな人、傲慢で生意気な人、という第一印象を与えないようにしなくちゃ」と思ってしまうので、話すのがイヤになり、この先二度と会わないとわかっている人だと、緊張せずに話せるのだろうと思います。

 隣席の方は、「きれいでしょう。母は黄色い花が大好きだったので、いつも黄色の花を持っていくんです。夏はね、ひまわりが一番好きでした」と、お母さんの思い出話を始めました。こういうふうにひとりでしゃべっていて、こちらは相づちを打つだけの人となら、私も、おしゃべりができます。私の妹もひとりでしゃべりまくる人です。

 この女性のお母さんは、80歳まで元気にひとり暮らしを続け、犬の散歩を欠かさない人でした。81歳すぎた朝、いつものように犬の散歩に出かけたのですが、帰ってこないのでこれは変だ、となりました。近所の方が見つけたときは、すでにこと切れている姿だったそうです。脳溢血で倒れ、急死。犬は、散歩の綱がお母さんの手からはずれても、じっと飼い主のそばにいて、見守っていたのだと。

 家族や近所の人皆が、「後生がよい人だ」と思ったそうです。80歳という年齢まで犬の散歩に出られる元気さを保ち、「早すぎる死」という嘆きもなく、子ども達に介護の苦労をかけることもなく、きっぱり旅立ち、立派な一生を送ったと、子ども達も満足して送り出したのだとか。

 東京生まれだけれど、今は御殿場に住んでいるというこの女性は、「父の命日は二月の寒い頃なので、お父さんにはがまんしてもらって、毎年母の命日4月8日に両親まとめての墓参り。毎年桜がきれいなころに鎌倉に来られて、お母さんほんとうに子ども思いだねって、毎年思いながらお花見がてら鎌倉霊園に行くんです」と言います。「こうして毎年お墓参りするのも、母がよい死に方をして、子ども達を患わせることがなかったことへの恩返しかな」と語っていました。
 世の中の「元気で長生き、ぽっくり死にたい」という願望を代表するような死に方です。

 4月10日は、2002年に54歳で亡くなった姉の命日です。
 姉はこの日、桜吹雪を見つめながら、医者の誤診による無念の死にも泣き言一つ言わず、静かに旅立っていきました。
菩提寺に咲く枝垂れ桜。

 毎年、東京では三月下旬に花が咲き、10日にはもう葉桜。群馬の山の中のホスピスで見たような美しい桜吹雪は、4月10日には過ぎてしまっていたのですが、今年は、姉をしのぶにふさわしい桜吹雪を見ることができます。

 死生観というのは人それぞれでしょうが、母親が55歳で姉が54歳で早死にしてしまった私は、介護に手を患わせても、看病に疲れてこちらが死にそうになったとしても、家族にはできる限り長生きして欲しいと思っています。
 でも、「僕はどうせ早死にするから」と言っていた夫が、なんだかんだで還暦を迎え、さらにマラソンに目覚めてしまったのは計算外。早死にするというから、早めに未亡人になれるのなら、それまでの間ちょっとはがまんしておこうと思っていた夫なのに、長生きされたら未亡人計画はどうなるやら。
 
 運動大嫌いで、「運動不足で早死にするなら、それでよし」と言っていた夫が、タイ語学習仲間と「タイのマラソン大会に出る」という目標を持って以来、にわかにウォーキングに目覚め、仕事先回りは「ビジネスシューズのように見えるウォーキングシューズ」を履いて歩いて回り、休日には皇居一周ランニングを続けています。今のところ、10キロを100分で走っているけれど、タイマラソンの出場標準記録は10km90分なので、もう少しがんばると言っています。どーしたもんだか。
 ま、夫は夫で皇居の回りを走りながら桜見ているだろうし、妻は妻でひとり鎌倉や東京の桜を見て歩く。
皇居北桔橋門前のしだれ桜

 生きるも死ぬも、それぞれの運命。咲くも散るも花の運命。

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする