2012/04/25
ぽかぽか春庭十二単日記>シニアデビュー(2)シルバー&ゴールド
パラちゃんの演劇公演デビューで思い出したことがあります。
わたし、2006年に蜷川幸雄が「さいたまゴールド劇場」を立ち上げることを聞いて、「タダで蜷川幸雄を間近で見られるチャンス」と思って、オーディションを受けたことあるんです。
蜷川幸雄が「彩の国さいたま芸術劇場」の芸術監督に就任したとき、就任後第一番の事業として、「シルバー世代の演劇」を構想しました。
蜷川は、「年齢を重ねた人々が、その個人史をベースに身体表現という方法によって新しい自分に出会う場を提供するための集団作り」としてオーディション合格者に演劇訓練を行い、毎年公演を行ってきました。現在は60歳から85歳まで42名が在籍しています。
http://www.saf.or.jp/gold_theater/about/index.html
2006年春のオーディションは、チェホフ「桜の園」か三島由紀夫「卒塔婆小町」のどちらかの台詞を暗記してきて、蜷川の前で演じてみる、という課題でした。
当初20人の募集枠に1200名を超す応募があり、オーディションは1週間続きました。きちっとひとり5分くらい、蜷川の前で演技するチャンスが与えられたのです。
私は春休みに「卒塔婆小町」の台詞をおぼえ、蜷川の前で演技、、、、、ちらっと見上げた蜷川は渋い顔をしていたという記憶がある、、、こりゃダメだろうなあと、思ったら案の定、オーディションに落ちてしまった、、、、ぐすん。
おまけに、このオーディションをドキュメンタリーに仕立てるというNHKの取材が入って、インタビューに答えたのですが、「このドキュメンタリーが出来上がって放送するときにあなたのインタビューを使用することになったら連絡するから、連絡先を教えて下さい」と、制作の女性に言われたけれど、連絡はありませんでした。ぐすん、ぐすん。
私はこのときの応募履歴書に、ダンス訓練を受けてきたことやプロの俳優として劇団の地方まわり公演に参加したことを書いてしまったのが失敗だったと思っています。演劇の素人を基礎から訓練したい、という蜷川の要求に対して「へんな色がついている演技」として落とされたのだと思ったのですが、心やさしいK子さんがなぐさめてくれることに「55歳のときオーディションを受けたと言っても、あなたは55歳のころは40代にしか見えなかったから、蜷川の「シルバー世代の演劇」っていう要望に合わなかったのよ」、、、、持つべきは心やさしい友。
演劇は私とK子さんの共通の趣味。1970年に知り合ったころ、いっしょに早稲田小劇場や文学座などの演劇を見て歩く仲間でした。
私は、中学校国語教師をやめたあと、地方の小学校の体育館で演劇を見せる劇団の客演俳優として、短い間でしたが「女優として生活する」という経験をしました。女優生活ドサまわりは、今でも「病院の検査技師や英文タイピストその他13の職歴」を重ねた中でも、一番心に深く刻まれた仕事、として思い出されます。
K子さんは、これから先も演劇活動を続け、退職後の生活を豊かに築いていくことでしょう。
シルバー世代のさまざまな活動。ボランティアや演劇読書絵画サークル、旅行、茶の湯や生け花、どれをとっても、団塊の世代と言われる私たちの年齢層にとって、おそらく社会の消費動向左右することになるでしょう。不況下の若者より、年金手にした団塊世代のほうがお金もっているだろうから、マーケットはこの世代の年金消費をとりこもうとしています。
社会の消費向上にはいっこうに役に立たない金無しシルバーの私だけれど、ゴールドライフをめざして、心は豊かに保っていきたいです。
そういえば、私の別ブログを「co-HALのゴールドライフ」と名付けたのは、このオーディションを受けたころのことでした。
蜷川ゴールドシアターではデビューできなかった私ですが、ゴールドでもシルバーでもブロンズでも、シニアライフ、充実させていきたいです。
<つづく>
ぽかぽか春庭十二単日記>シニアデビュー(2)シルバー&ゴールド
パラちゃんの演劇公演デビューで思い出したことがあります。
わたし、2006年に蜷川幸雄が「さいたまゴールド劇場」を立ち上げることを聞いて、「タダで蜷川幸雄を間近で見られるチャンス」と思って、オーディションを受けたことあるんです。
蜷川幸雄が「彩の国さいたま芸術劇場」の芸術監督に就任したとき、就任後第一番の事業として、「シルバー世代の演劇」を構想しました。
蜷川は、「年齢を重ねた人々が、その個人史をベースに身体表現という方法によって新しい自分に出会う場を提供するための集団作り」としてオーディション合格者に演劇訓練を行い、毎年公演を行ってきました。現在は60歳から85歳まで42名が在籍しています。
http://www.saf.or.jp/gold_theater/about/index.html
2006年春のオーディションは、チェホフ「桜の園」か三島由紀夫「卒塔婆小町」のどちらかの台詞を暗記してきて、蜷川の前で演じてみる、という課題でした。
当初20人の募集枠に1200名を超す応募があり、オーディションは1週間続きました。きちっとひとり5分くらい、蜷川の前で演技するチャンスが与えられたのです。
私は春休みに「卒塔婆小町」の台詞をおぼえ、蜷川の前で演技、、、、、ちらっと見上げた蜷川は渋い顔をしていたという記憶がある、、、こりゃダメだろうなあと、思ったら案の定、オーディションに落ちてしまった、、、、ぐすん。
おまけに、このオーディションをドキュメンタリーに仕立てるというNHKの取材が入って、インタビューに答えたのですが、「このドキュメンタリーが出来上がって放送するときにあなたのインタビューを使用することになったら連絡するから、連絡先を教えて下さい」と、制作の女性に言われたけれど、連絡はありませんでした。ぐすん、ぐすん。
私はこのときの応募履歴書に、ダンス訓練を受けてきたことやプロの俳優として劇団の地方まわり公演に参加したことを書いてしまったのが失敗だったと思っています。演劇の素人を基礎から訓練したい、という蜷川の要求に対して「へんな色がついている演技」として落とされたのだと思ったのですが、心やさしいK子さんがなぐさめてくれることに「55歳のときオーディションを受けたと言っても、あなたは55歳のころは40代にしか見えなかったから、蜷川の「シルバー世代の演劇」っていう要望に合わなかったのよ」、、、、持つべきは心やさしい友。
演劇は私とK子さんの共通の趣味。1970年に知り合ったころ、いっしょに早稲田小劇場や文学座などの演劇を見て歩く仲間でした。
私は、中学校国語教師をやめたあと、地方の小学校の体育館で演劇を見せる劇団の客演俳優として、短い間でしたが「女優として生活する」という経験をしました。女優生活ドサまわりは、今でも「病院の検査技師や英文タイピストその他13の職歴」を重ねた中でも、一番心に深く刻まれた仕事、として思い出されます。
K子さんは、これから先も演劇活動を続け、退職後の生活を豊かに築いていくことでしょう。
シルバー世代のさまざまな活動。ボランティアや演劇読書絵画サークル、旅行、茶の湯や生け花、どれをとっても、団塊の世代と言われる私たちの年齢層にとって、おそらく社会の消費動向左右することになるでしょう。不況下の若者より、年金手にした団塊世代のほうがお金もっているだろうから、マーケットはこの世代の年金消費をとりこもうとしています。
社会の消費向上にはいっこうに役に立たない金無しシルバーの私だけれど、ゴールドライフをめざして、心は豊かに保っていきたいです。
そういえば、私の別ブログを「co-HALのゴールドライフ」と名付けたのは、このオーディションを受けたころのことでした。
蜷川ゴールドシアターではデビューできなかった私ですが、ゴールドでもシルバーでもブロンズでも、シニアライフ、充実させていきたいです。
<つづく>