2012/04/08
ぽかぽか春庭十二単日記>はるHAL春(9)富山妙子インタビューを聞く
3月31日、強風強雨の一日でしたが、下北沢にでかけて、よい一日になりました。でかけた先は、http://vawwrac.org/?p=599
友人のA子さんとは2004年にウェブで出会って以来、会うのは1年に1度くらいなのですが、いつもいろいろな刺激をもらいます。
今回、A子さんから「富山妙子さん、ぜったいに春さんが興味を持つ人だと思う」と紹介され、講演会を聞く前に、富山さんの著書『アジアを抱く』岩波書店2009と、『戦争責任を訴えるひとり旅』岩波ブックレット1989を読みました。
アジアを抱く
強い風雨に難儀しながら、A子さんと和食の店でランチしてから早めに会場に着きました。
講演中の富山さん
富山妙子は画家です。でも、展覧会開催の報道をこれまで私は見ることがなかったし、中央画壇の大きな賞を受賞したニュースもなかった。私のアンテナは非常に貧しいものであり、自分では画家富山妙子をキャッチできませんでした。富山妙子とコラボレーションを続けてきた作曲家高橋悠治の名前は知っていました。高橋悠治の公式プロフィールに「1976年から画家・富山妙子とスライドと音楽による物語作品の製作」とあるのですが、たぶん、「富山妙子」というそれほどインパクトの大きくない名前で、スルーしていた。
(こう言ってはなんですが、田中洋子とか鈴木芳子とか、あまり印象に残らない「普通っぽい」名前です。若桑みどりは、山本みどりという旧姓名が平凡な響きなので、離婚後、夫の姓を名乗り続けたと述べていました)。
2012年3月31日
富山妙子は1921年生まれ、今年91歳になります。画家として長いキャリアを持つ人なのに、マスコミの注目を集めたことはなかった。なぜか。反権力の人だからです。新聞や雑誌が取り上げるとウヨクの標的にされそうな仕事を続けています。
富山の絵画のテーマは、炭鉱労働者、半島から日本の炭鉱への強制動員。戦争責任の追及とアジア民衆への連帯、従軍慰安婦問題の追及、反原発、どれをとっても、現在のマスコミには「取り扱い注意」となってきた問題ばかり。富山は、既成の画壇には背を向け、ひとり「社会と関わる絵画」を描き続けてきました。
慰安婦とかアジアに対する戦争責任問題などと口にしただけで、冷静な議論ではなく、一方的な暴力にさらされてしまう世の中で、韓国の民主化運動、タイの女性の売春問題など、常に「弱者からの異議申し立て」を行う画業は、どれほどのエネルギーを要したことでしょう。
今回の企画、富山妙子・公開インタビュー第3回「フェミニズムアートと『慰安婦』」も、ヤワなマスコミには取り上げられにくいイベントです。
2009年7月8月、「富山妙子の全仕事展 1950〜2009」が、越後妻有「大地の芸術祭」で開催されました。越後妻有は、私の先祖の出身地。3年に一度行われる現代美術の芸術祭で富山妙子が取り上げられたのも、アートディレクターの北川フラムが信念の人だからです。第4回大地の芸術祭。富山の画業60年の作品は、廃校になった旧清津峡小学校に展示されました。
しかし、せっかく「富山妙子の全仕事」が展示された2009年に、私は日本にいなかった。2009年夏、富山妙子がマスコミにも話題になったであろうこのとき、私は中国滞在中でした。youtubeも遮断されていたような当時の中国通信事情で、日本のニュースから遠かった。
2012年3月、91歳の富山妙子にようやく出会いました。
おおよその生涯は富山の公式ブログ「火種工房」のプロフィールで。
キーワードをあげていけば、神戸で出生、9歳から18歳まで旧満州ハルビンで成長。ひとり内地に渡り、女子美に入学。二度の結婚と二度の出産を経て、離婚後は子育てをしつつ、炭鉱取材。離職した炭鉱夫の棄民先であったラテンアメリカ入植地への旅。戦争責任をテーマとして、欧米各地でスライドによる作品展示。91歳の今日まで、国家権力に抵抗し経済優先の社会の姿と闘い、作品を作り続けてきました。
富山妙子と火種工房のあゆみ http://www.ne.jp/asahi/tomiyama/hidane-kobo/contents/jidai/jidai.html
火種工房トップ http://www.ne.jp/asahi/tomiyama/hidane-kobo/
富山は、童話絵本の挿絵雑誌表紙イラストなども手がけています。私、著者名は見るのに、挿絵担当者の名までは見ることなく、気づかぬうちに富山妙子の絵を目にしていました。下記のギリシア神話の本のイラストなどもその例。
文:石井桃子 挿絵:富山妙子
2012年3月31日開催の「富山妙子インタビュー」は2時から4時まで。
富山は、これまでの人生を90分間休みなく語り続けました。
『アジアを抱く』に書かれている自伝部分と重なる話もありましたが、やはり本人の口から直接聞くと、行間を埋めていくように画家91年の人生がくっきりとします。
休憩を挟んで、インタビュアーの質問に答えるコーナーと参加者の質問に答えるコーナーがありました。インタビュアー西野瑠美子 は、「女たちの戦争と平和資料館」館長。
参加者は、大阪や京都から来た人も、九州からかけつけた人もいて、富山さんへの熱い思いが伝わりました。
90歳で遭遇した未曾有の大震災のあと、富山妙子はすぐさまセシウムへの怒りを絵に描いています。津波と原発とセシウムをモチーフにした絵。このシリーズは絵はがきに仕立てられています。「この絵はがきの売上げは、被災の悲劇を訴える活動に使われます」というメッセージがついた絵はがきセットを購入しました。3枚500円。
この3枚の絵は、『週刊金曜日』の2012年3月、震災1年後の特集号の表紙となっていますので、富山妙子の作品を気づかぬうちに目にした方もいらっしゃるかと思います。
フクシマ春のセシウム137
海の黙示つなみ
日本:原発2011
原画は、アトリエいっぱいの大作だそうです。90歳の女性が描いた、気迫に満ち、地上をみたすものの尊厳へ向けた祈りの気持ちにあふれる大作ですが、この絵はがきは今販売中なので、ネットにUPするときは著作権に留意ということで、画質を落としていて、細部はわかりにくいかと思います。
ぜひ、絵はがきをご購入ください。
富山の絵は、激しいです。強く激しいモチーフと色使い。こちらの中途半端でヤワな生き方がぐさりと突き通されるような気迫があり、のうのうと楽をしたいという近代都市生活者のいいかげんさに刃が迫る気がします。だから、「絵を見て心地よく癒されたい」という絵画鑑賞には向かないかも知れません。
でも、私はこれからできる限り富山の絵を見て歩くつもりです。ときには、燃える絵とともに火傷を負う覚悟で、富山妙子に近づいてみます。
<おわり>
もんじゃ(文蛇)の足跡:
掲載した富山妙子さんの肖像は、私が勝手に撮影したもので、このときの富山さんのインタビューを企画したVAWW RAC及び富山さんの許可を得て掲載したものではないことをお断り申し上げます。富山さんの写真は、オープンソースとしてネットには出ており、作品画像も、「大地の芸術祭」などで撮影されオープンとなっているものをコピーさせていただきました。
こののち、VAWW RACまたは富山さんから「不都合」であるとの連絡があったとき、画像を削除する旨、あらかじめお断り申し上げます。また、このページからの画像コピー等は固くお断り申し上げます。