2012/04/22
ぽかぽか春庭@アート散歩>建物めぐり(5)旧和辻哲郎宅(川喜多邸)
鎌倉、小町通りから鶴岡八幡宮方面へ向かい、出口あたりで左手山側にちょっと横に入ると川喜多映画記念館があります。川喜多長政(1903-1981)かしこ((1908-1993)は、映画の輸入や日本映画の海外普及を通して日本の映画産業に携わった夫妻です。
2010年、旧川喜多邸敷地に映画記念館がオープン。
和辻邸側から見た川喜多記念館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/91/694744e23605c0abbafbe22c418cab82.jpg)
記念館敷地内には、夫妻の住んだ家があります。夫妻が外国映画関係者などをもてなすために使用し、数々の映画スターや監督が訪問してきました。
元は江戸時代末期に神奈川県に建てられた農家を和辻哲郎が東京に移築し、それをさらに川喜多夫妻が鎌倉に移築したものです。夫妻の死後、鎌倉市に寄贈され、2010年、鎌倉市によって「景観重要建造物」に指定されました。
ヴィム・ヴェンダースが1985に『東京画』を製作し、この家の縁側で笠智衆インタビューを撮影したことで、世界の映画ファンにも知られた家になりました。
旧和辻邸
笠智衆もすわった縁側 廊下
鎌倉市のHP旧川喜多邸フォトギャラリー
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/b-shisetsu/kawapho.html
鎌倉は「歴史と文化の町」として文人文化人の家も数多く建てられました。
鎌倉三大洋館として知られる「鎌倉近代文学館(旧前田侯爵鎌倉別邸)」「旧華頂宮邸」「古我邸」のほか、洋館和館がたくさん残されています。(京都奈良と並んで、鎌倉は太平洋戦争末期の爆撃をうけなかった町なので)。
古我邸は、三井銀行重役の荘清次郎の別荘として桜井小太郎(コンドルの弟子)が設計し1916(大正5)年に完成。浜口雄幸、近衛文麿の別荘を経て、現在はカーレーサーだった故古我信生の夫人が住んでいます。
そのほか、旧村田邸など、訪ねてみたい家があります。村田邸は、横浜興信銀行(現横浜銀行)常務取締役村田繁太郎邸として1933年建築され、現在は国文学者故篠田太郎邸となっています。
鎌倉五山めぐりで浄妙寺へ行ったとき。境内の脇から近道のつもりで来たときと異なるところに出て「あれ、帰りのバス停はこっちだったけな」と思っていると、「辰巳」と表札がかかった大きなおやしき。どうやら料理研究家の辰巳芳子さんのおうちだったみたい。中のお庭には自給自足の広い菜園もあるということで、「鎌倉に住む」っていうのは、やっぱり庶民にとってあこがれの暮らし。
辰巳芳子邸の奥のほうには、原節子邸。原節子は、1920年生まれですから、今年は92歳になる。鎌倉谷戸の静かな住まい。鎌倉だからこそ、1963年の引退以来50年間もひっそりと過ごせたのだろうなあと思います。
華頂華子の鎌倉、川喜多かしこの鎌倉、原節子の鎌倉、それぞれの女人にそれぞれのドラマがあり、鎌倉、絵になる町です。キョンキョンのドラマ『最後から二番目の恋』もおもしろかったし。また、のんびり散歩をしてみたい町です。建物をめぐるもよし、花巡りもよし。
<おわり>
ぽかぽか春庭@アート散歩>建物めぐり(5)旧和辻哲郎宅(川喜多邸)
鎌倉、小町通りから鶴岡八幡宮方面へ向かい、出口あたりで左手山側にちょっと横に入ると川喜多映画記念館があります。川喜多長政(1903-1981)かしこ((1908-1993)は、映画の輸入や日本映画の海外普及を通して日本の映画産業に携わった夫妻です。
2010年、旧川喜多邸敷地に映画記念館がオープン。
和辻邸側から見た川喜多記念館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/91/694744e23605c0abbafbe22c418cab82.jpg)
記念館敷地内には、夫妻の住んだ家があります。夫妻が外国映画関係者などをもてなすために使用し、数々の映画スターや監督が訪問してきました。
元は江戸時代末期に神奈川県に建てられた農家を和辻哲郎が東京に移築し、それをさらに川喜多夫妻が鎌倉に移築したものです。夫妻の死後、鎌倉市に寄贈され、2010年、鎌倉市によって「景観重要建造物」に指定されました。
ヴィム・ヴェンダースが1985に『東京画』を製作し、この家の縁側で笠智衆インタビューを撮影したことで、世界の映画ファンにも知られた家になりました。
旧和辻邸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d2/61ab0094a7d39535f2d7fff84beaeb22.jpg)
笠智衆もすわった縁側 廊下
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/57/71b50abedc068b90f5146b1ac19197d4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/7c/c801b83b459a48068ba5dd19f09f4777.jpg)
鎌倉市のHP旧川喜多邸フォトギャラリー
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/b-shisetsu/kawapho.html
鎌倉は「歴史と文化の町」として文人文化人の家も数多く建てられました。
鎌倉三大洋館として知られる「鎌倉近代文学館(旧前田侯爵鎌倉別邸)」「旧華頂宮邸」「古我邸」のほか、洋館和館がたくさん残されています。(京都奈良と並んで、鎌倉は太平洋戦争末期の爆撃をうけなかった町なので)。
古我邸は、三井銀行重役の荘清次郎の別荘として桜井小太郎(コンドルの弟子)が設計し1916(大正5)年に完成。浜口雄幸、近衛文麿の別荘を経て、現在はカーレーサーだった故古我信生の夫人が住んでいます。
そのほか、旧村田邸など、訪ねてみたい家があります。村田邸は、横浜興信銀行(現横浜銀行)常務取締役村田繁太郎邸として1933年建築され、現在は国文学者故篠田太郎邸となっています。
鎌倉五山めぐりで浄妙寺へ行ったとき。境内の脇から近道のつもりで来たときと異なるところに出て「あれ、帰りのバス停はこっちだったけな」と思っていると、「辰巳」と表札がかかった大きなおやしき。どうやら料理研究家の辰巳芳子さんのおうちだったみたい。中のお庭には自給自足の広い菜園もあるということで、「鎌倉に住む」っていうのは、やっぱり庶民にとってあこがれの暮らし。
辰巳芳子邸の奥のほうには、原節子邸。原節子は、1920年生まれですから、今年は92歳になる。鎌倉谷戸の静かな住まい。鎌倉だからこそ、1963年の引退以来50年間もひっそりと過ごせたのだろうなあと思います。
華頂華子の鎌倉、川喜多かしこの鎌倉、原節子の鎌倉、それぞれの女人にそれぞれのドラマがあり、鎌倉、絵になる町です。キョンキョンのドラマ『最後から二番目の恋』もおもしろかったし。また、のんびり散歩をしてみたい町です。建物をめぐるもよし、花巡りもよし。
<おわり>