2012/04/21
ぽかぽか春庭@アート散歩>建物めぐり(4)鎌倉旧華頂宮邸
4月7日、鎌倉にある旧華頂宮邸の内部一般公開があり、行ってきました。

華頂宮は、慶応年間に伏見宮から分家し、大正年間に跡継ぎ無しのため廃絶。
華頂宮家最後の当主、博忠王の弟である伏見宮博信王が臣籍降下して華頂侯爵となり宮家の祭祀を受け継ぎました。博信王の母は徳川慶喜の娘(9女)なので、華頂博信は慶喜の孫に当たる。
華頂博信侯爵の妻は、閑院宮載仁親王第5王女・華子女王。旧皇族華族にスキャンダルは満載ですが、そのひとつ。華子夫人が戸田豊太郎と不倫(旧時代のことばでは姦通ですな)。戸田豊太郎の妻は、徳川慶喜の孫娘徳川喜和子、博信には従姉妹にあたる。旧皇族のなかで最初の「正式離婚」となる事件でした。その後、博信は再婚し渡米。孫の華頂尚隆は日本映画製作者連盟事務局長。事務局長というのがどのくらいエラいのかわかりませんけれど、映画振興のために働いているのはよいこと。
旧華頂侯爵邸の管理を行っている鎌倉市は「旧華頂宮邸」として公開しています。華頂侯爵邸より華頂宮邸としたほうが「格上」の気分になれるのかもしれませんが、1929(昭和4)年の春に華頂博信侯爵邸が建設された当初から「侯爵家」だったのですから、一度も「宮邸」として存在したことはないのです。鎌倉市のスノッブ精神丸出しのネーミングと言えましょう。まあ、私ら庶民にとっては、宮邸でも侯爵邸でも、「うえつかたのおやしき」をシモジモにも見せていただけるわけで、、、、、しかもタダで。
華頂宮邸北東面
1931年(昭和6)年に完成した華頂侯爵邸、何人かの人手を経て、鎌倉市が買い取り、庭園が通年一般公開されているほか、内部は春秋に特別公開されています。管理は市のボランティアらが協力して行っているそうで、当日もたくさんのボランティアさんが案内をしていました。
洋館階段 洋室の暖炉

洋館南側洋式庭園の奥に「旧松崎邸和館」があり、こちらもいっしょに公開されていました。東京の上大崎の茶室と門を1971(昭和46)年に移築した建物です。和館は中に入れず、庭から覗くだけ。

玄関前に青い粒の数珠玉のような実をつけている叢があり、見ている人が「あら~、きれいね、何でしょう」と写真を撮っていました。案内係のボランティアさんに「これは何ですか」と尋ねていた人もいたので、耳をそばだてて聞いていましたが、係も知らないということでした。どこかに出かけると美しい木々や草花に出あうのに、ぜんぜんその名を覚えられません。
ちょっと気になったのでさっそくネット検索。「青い実」と打ち込んでできたのはジャノヒゲ(蛇の髭、または竜の髭)。太くなっている根は麦門冬(ばくもんどう)という名で鎮咳・強壮に効く漢方薬となるのですって。ほんとにこの名でいいのやらも草花にうとい私にはわからないのですけれど。

<つづく>
ぽかぽか春庭@アート散歩>建物めぐり(4)鎌倉旧華頂宮邸
4月7日、鎌倉にある旧華頂宮邸の内部一般公開があり、行ってきました。

華頂宮は、慶応年間に伏見宮から分家し、大正年間に跡継ぎ無しのため廃絶。
華頂宮家最後の当主、博忠王の弟である伏見宮博信王が臣籍降下して華頂侯爵となり宮家の祭祀を受け継ぎました。博信王の母は徳川慶喜の娘(9女)なので、華頂博信は慶喜の孫に当たる。
華頂博信侯爵の妻は、閑院宮載仁親王第5王女・華子女王。旧皇族華族にスキャンダルは満載ですが、そのひとつ。華子夫人が戸田豊太郎と不倫(旧時代のことばでは姦通ですな)。戸田豊太郎の妻は、徳川慶喜の孫娘徳川喜和子、博信には従姉妹にあたる。旧皇族のなかで最初の「正式離婚」となる事件でした。その後、博信は再婚し渡米。孫の華頂尚隆は日本映画製作者連盟事務局長。事務局長というのがどのくらいエラいのかわかりませんけれど、映画振興のために働いているのはよいこと。
旧華頂侯爵邸の管理を行っている鎌倉市は「旧華頂宮邸」として公開しています。華頂侯爵邸より華頂宮邸としたほうが「格上」の気分になれるのかもしれませんが、1929(昭和4)年の春に華頂博信侯爵邸が建設された当初から「侯爵家」だったのですから、一度も「宮邸」として存在したことはないのです。鎌倉市のスノッブ精神丸出しのネーミングと言えましょう。まあ、私ら庶民にとっては、宮邸でも侯爵邸でも、「うえつかたのおやしき」をシモジモにも見せていただけるわけで、、、、、しかもタダで。
華頂宮邸北東面

1931年(昭和6)年に完成した華頂侯爵邸、何人かの人手を経て、鎌倉市が買い取り、庭園が通年一般公開されているほか、内部は春秋に特別公開されています。管理は市のボランティアらが協力して行っているそうで、当日もたくさんのボランティアさんが案内をしていました。
洋館階段 洋室の暖炉


洋館南側洋式庭園の奥に「旧松崎邸和館」があり、こちらもいっしょに公開されていました。東京の上大崎の茶室と門を1971(昭和46)年に移築した建物です。和館は中に入れず、庭から覗くだけ。

玄関前に青い粒の数珠玉のような実をつけている叢があり、見ている人が「あら~、きれいね、何でしょう」と写真を撮っていました。案内係のボランティアさんに「これは何ですか」と尋ねていた人もいたので、耳をそばだてて聞いていましたが、係も知らないということでした。どこかに出かけると美しい木々や草花に出あうのに、ぜんぜんその名を覚えられません。
ちょっと気になったのでさっそくネット検索。「青い実」と打ち込んでできたのはジャノヒゲ(蛇の髭、または竜の髭)。太くなっている根は麦門冬(ばくもんどう)という名で鎮咳・強壮に効く漢方薬となるのですって。ほんとにこの名でいいのやらも草花にうとい私にはわからないのですけれど。

<つづく>