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ぽかぽか春庭ブックスタンド「新しい左翼入門&司馬遼太郎・読書感想ひとくちメモ」

2012-10-04 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/10/04
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年7月~9月読書(2)新しい左翼入門&司馬遼太郎・読書感想ひとくちメモ

 夏休み読書、感想メモ。

・松尾匡『新しい左翼入門-相克の運動史は超えられるか』
 左翼運動史を、明治の幸徳秋水あたりから現代までまとめ、問題点を取り出していく手際がよく、とてもわかりやすい。
 サヨクは、なぜ失敗を重ねてきたのか、この失敗を繰り返すこともないから、なぜ失敗したのかという失敗史を書いておく、という主旨に賛同。われわれは、失敗を重ねてきた。そして失敗から学んでいない。

・佐高信『司馬遼太郎と藤沢周平』
 佐高が、「司馬は嫌い」と、文句つけ放題。
 佐高が嫌いな無能経営者や無能政治家のほとんどが愛読書として『龍馬が行く』とか『坂の上の雲』をあげることに憤激し、これらの無能リーダーたちが私利私欲に走っているにもかかわらず、自分たちは「お国のために」何かやっているつもりになっているのは、司馬の小説を読んで、自分たちを正当化し、免罪符を与えられた気になったからではないか。司馬の小説こそが毒だったのではないか、とぶち上げています。晩年のエッセイ『この国のかたち』で書いていることは、ことごとく自分が小説で書いたことを否定しているじゃないか、と噛みついています。

 私は、司馬を読み始めたのが『この国のかたち』からだったし、短編以外には小説をほとんど読んでいないので、佐高の激高ぶりには与しないで「傍目」でこの本を読みました。佐高が同郷の藤沢周平をひいきするのはいいとして、「無能なリーダー」たちのバイブルになってしまったからといって、司馬をこき下ろすこともないんじゃないかしら。
司馬が松下幸之助と対談したことも、佐高は気に入らず、「松下なんかを高く評価する司馬は、それだけの小さい人間」と、怒りまくる。

 司馬は、自分の小説が誤読される恐れがあることを十分に知っていたと思う。だから、生きている間は『坂の上の雲』の映像化を許可しなかった。文章から映像になった場合、表層しか描かれず、この小説が「若い明治期の日本が、坂の上の雲を見つめてどこまでも歩いて行く」というように受け取られ、明治国家肯定、少なくとも日露戦争までの歩みの肯定と受け取られてしまいかねないことを懸念していました。

 司馬の死後、ようやく著作権者が映像化を許可。NHKが足かけ3年でドラマ化したのを見ると、司馬の懸念は見事に当たっていて、このテレビドラマを見た限りでは、日清日露までの明治は、ひたすら明るく元気で、「坂の上をめざして若者達が意気揚々と登っていく」、かのようになっていました。

 「司馬史観」への評価は一面だけでは語れないのではないかと思います。司馬の対談集『土地と日本人』のあとがき(1976執筆)などで、司馬は、「土地は公有にすべきだ」と述べており、それらも含めて評価したい。
 
・町田宗鳳『異端力-規格外の人物が時代をひらく』
 8/16「ヒマワリ映画」のコメント欄に書いた感想から。
「私の好きな宗教家のひとりである町田宗鳳は、座禅会を続けていて、宗派をこえた祈りのことばとして「ありがとう」を唱える、「風の会」という集会を行っています。
 何を思って黙祷したらわからいないという人がいたら、何はともあれ、いまある自分の命がたくさんの人々によって支えられてきたことに感謝して「ありがとう、ありがとう」と百万遍唱えたらいいんじゃないかというのが、町田の「ありがとう念仏」

 南無阿弥陀仏、でもなく、南無妙法蓮華経でもなく、般若はらみった~でもなく、「ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、、、」と唱えよと言う主張、いいと思います。同じ一つのことばを唱えて無心になると、脳波がα波になって心身リラックスでき、免疫力なども強くなることは、近年の脳の研究最前線でも証明されてきました。お念仏を唱えて声をだすこと、脳をリラックスさせるのは、「笑う門には福きたる」と同じくらい、疫学的根拠があったんですね。
 ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、、、、

<つづく>
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