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ぽかぽか春庭「劉抗・チョプスイ-シンガポールの日本兵たち」

2012-10-07 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/10/07
ぽかぽか春庭ブックスタンド>夏の読書(3)劉抗「チョプスイ-シンガポールの日本兵たち」

 夏の読書の中から一冊紹介。
 図書館や本屋にはおいてない本だと思うし、偶然見かけて手に取るということもないと思うので、紹介しておきたいのです。

中原道子『チョプスイ-シンガポールの日本兵たち』1990めこん
 シンガポールを占領した日本兵の姿のスケッチ36枚に、中原の解説がついた本です。



 翻訳と解説を手がけている中原道子は、アジア史家。早稲田大学名誉教授。VAWW-NETジャパンの副代表。埋もれたアジア戦史を掘り起こす中、劉抗(リュウ・カン)が1949年に出版した『チョプスイ-シンガポールの日本兵たち』を見つけました。劉抗は、現代シンガポールを代表する画家のひとりでした。 

 初版は1949年、シンガポールでの出版。英語版初版を手に入れた中原道子が劉抗に連絡を取り、1990年に日本語版の出版にこぎつけました。

 劉抗は、1911年生まれ。華僑の両親と共に旧英領マラヤに移住。上海で美術大学を卒業した後、パリ留学。サロン・ドートンヌ入選を果たして22歳で上海美術専科学校教授に就任。結婚後マラヤに戻るも、日本のシンガポール侵略のため、コーヒー屋経営、靴屋店員などで身を隠す。知識人階級は逮捕連行される恐れがあったからです。
 戦後はシンガポールの代表的な画家として活躍。

 サロン・ドートンヌにも入選した戦前の劉抗の絵がどんなものであったか、福岡アジア美術館で展示された絵を紹介します。下の一枚は、マチスに印象が似ているように思います。黄と赤のバランスがとても美しい。22歳のときの作品ですが、若々しい感受性にあふれています。

 劉抗「スリッパ」1930


 劉抗は、シンガポールの日本占領下で、友人一家は皆殺しにあい、同胞が次々と連行虐殺されるなか、自身も日本軍に逮捕連行されます。しかし、とっさに司令官の似顔絵を描いて贈り、肖像画を描くという約束によって生き延びるなど、ぎりぎりの中で日本軍の行動を見つめました。

 戦後、描き貯めた「日本兵士」の姿を3巻の画集として、1949年に出版しました。しかし、戦後のもののない時代なので、原本は失われ、中原が手に入れた英語版を含め、残部はごくわずかだったそうです。

 チョプスイとは、漢字で書くと「雑炊」。野菜や肉をこまかくきざんだ雑炊を、シンガポール華僑の中国語(客家語ハッカご)で発音すると、チョプスイ。
 戦時中に見たことを、整理整頓せずに、見たままをごたまぜに描きとったことなので、チョプスイ、というタイトルにしたのだそうです。

 36枚のスケッチの中には、No.8「もう一つの拷問」と題された絵があります。逮捕した人を大きな釜に裸にして入れ、熱湯にする。気を失ったら釜から出して水をかけて蘇生させ、また釜に入れる。兵士は、黙々と薪をくべています。命じられたら、それは天皇の命令ですから、釜の中の人が泣こうが叫ぼうが、兵士の役目は薪を燃やし続けることです。

 表紙に採用された絵は、No.6「人間サテ」
 「サテ」は、シンガポールの代表的な食べ物で、肉を串にさして焼いたものです。道ばたにコンロをおき、鳥や豚、牛肉を串にさして焼いて食べる庶民的な食べ物。

 画集は、右ページにスケッチ、左ページにある解説というページ構成です。左に描かれた劉抗の説明によると。
 「日本人は信じられないようなやり方で車の運転をした。ある日、軍用トラックが鋭く尖った鉄の棒を積んで走っていた。運転手は日本人であった。クアラ・ルンプールの最も混雑した通りのある角を曲がった。鋭い棒が通行人を突き刺した。まるでサテのように

 トラックのわきに突き出ている棒に、刺さった人の姿。1945年のスケッチです。


 シンガポールの占領中、日本軍が行った華僑虐殺は、日本軍側の記録によって氏名住所が記録されたものだけで、8,000名。大半は、記録もなされずにいきなり連行され、銃殺、絞殺、銃剣でのつきさしなど、あらゆる手段で虐殺し、華僑側発表の「行方不明者」の数は8万人。ここで、8千人と8万人では10倍の違いがあるじゃないか、この数はでたらめにちがいない、などと水掛け論をして何の意味があるのでしょうか。残された家族や友人には、「あの人が突然連れ去られて帰ってこなかった」という記憶が、戦後70年続いている、ということです。

 普通に暮らしていた人々が、ある日突然、「スパイの嫌疑」「日本軍に協力的でない」などの理由で逮捕されました。金品を要求する兵士に、お金の供出をしぶった、というだけで「日本軍に協力的でなく、スパイ」とされたのです。

 私が語彙論を教えていただいた先生は、昭南と名付けられたことを、「どうも、アジアの人と話すときは、困る」と言っていました。「自分が占領者を代表してしまうみたいで、居心地が悪い」シンガポールを日本軍が占領したあと、この地は昭南島と呼ばれていたのです。

 シンガポールが、かって昭南島と呼ばれていたことを知る人も少なくなりました。現在のシンガポールは、旅行者に人気のスポットで、毎年夏休みに訪れる人も数多い。シンガポールはアジアの中でも、日本人に友好的な国とされています。

 シンガポールの対日教育では、70年前の占領時代については「許そう、しかし忘れるな」という扱いをされています。しかし、私たち自身、許されていることに安住せず、「忘れるな」の部分を常に問い続けなければ、許される資格はありません。
 歴史の事実は事実として見つめていかなければならないのです。
 山本美香さんが、現代紛争地の真実を伝えようと命をかけたことと、過去の真実を掘り起こそうとすること、同じ精神だと思います。

 領土問題で日本中国韓国の関係が揺れています。
 中国の反日デモの多くは、「自国政府への反対デモや民主化運動などしたら、逮捕されてしまう」という国内事情によること、反日デモが一般大衆の不満のはけ口となっていること、などが再三報道もされて、そういう中国の事情を知る日本人も多くなりました。中国の反日デモに触発されたネット分子が「中国人を殺せ」などという書き込みをし、それが中国側にも報道されて、さらなる憎悪を招いた、というニュースもありました。冷静さを欠くあおりは、双方にとってなんの益もありません。

 冷静に歴史の事実を学び、未来への礎としなくてはならないと思います。
 中国はアメリカの新聞に意見広告を出したり、国連で演説をする、また政府の白書を9月26日に発表し、領土領有を主張するなど、強い態度に出ています。私が思い起こす歴史的なできごと。1950年代、毛沢東が大躍進政策に失敗し、中国全土に何千万人も餓死者が出たとき、毛沢東が行ったのは、台湾との紛争に国民の目を向けさせるための金門島砲撃でした。
 中国の政権交代が進み、習近平政権への移行が図られているおりの領土問題。なんだか、歴史を繰り返しているように思うのは、私が古い人間だからでしょうか。
 冷静に歴史を学んでいきたいです。

 「チョプスイ」は、アマゾン注文でも買えます。新本1890円 中古399~1004円。 
 
<つづく>
コメント (2)
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