2012/10/17
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年(3)20年前の今日、何をしていたか1992年10月17日「千葉敦子」
1992年10月17日 土曜日(晴れ時々曇り)『乳ガンなんかに敗けられない』を読んで「主婦」という身分について思うこと
「私は病院で胃を調べた」に類する例文を見つけ出すため、病気関連の本のチェックをしようと、千葉敦子の『乳ガンなんかに敗けられない』の線びきをする。
「を格」を含む文にとにかく赤線を引き、主語と「を格」が所属関係になっている文をチェック。内容を読まず、ひたすら例文を捜すつもりなのに、好きな著者の本ゆえ、ついつい内容に心奪われて例文を見落とす。
例文チェックは、嫌いな著者の無味乾燥に思える本を選んだ方が、はかどるのかもしれない。とにかく乳ガンで入院中でさえ千葉さんの毎日はバリバリとすごいのだ。私などオタオタと目を見張るばかり。
千葉敦子の本は、娘が生れた年に石子さんから『ニューウーマン』を借りて読んだのが最初。『ニューヨーク二四時』を読んだのは、八七年に彼女が亡くなってからだった。 数学教師の職を続けたかったのに子供の病気入院のためにやむをえず退職した石子さんと、「ほかの生き方もあるかもしれないなぁ」などと、漠然としたまま国語教師をやめた私とでは、「主婦」という身分への安住の仕方、姿勢がまったく違っていた。
石子さんは「専業主婦」になりきることにあまんじることができず、数学テスト添削の仕事を続け、また、カウンセラーの勉強をコツコツと続けてきた。「しばらく専業主婦を楽しむことにしました。」というハガキが届いたのは、子供もようやく手を離れた、つい最近のことだ。彼女にとっては、千葉敦子の生き方こそ、もっとも輝かしい女性の生き方として受け止められたのだと思う。
私は『ニューウーマン』を借りた時に石子さんへの手紙にも書いた気がするが、一読後「私にはできな~い」というのが第一印象であった。こんなふうに一瞬のムダもなく、バリバリと仕事をし、恋に生き、社交を楽しむことができたなら、確かに四十余年の人生も充実したすばらしいものとだれもが賞賛するものとなるだろう。
悲しいかな私のDNAには「ミツユビナマケモノ」の遺伝子が潜んでいる。「明日できることを今日するなかれ、明日は明日の風が吹く、アシタマニヤーナ」というモットーのもとに生きている私にはとてもマネができないし、千葉さんにあこがれることさえおこがましい。
~~~~~~~~~~~~
もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/10/17のつっこみ
1992年の私は、文例を集める作業をいやいややっていて、修士論文を仕上げなければならない毎日なのに、ついつい本文に読みふけってしまうナマケモノ。
2012年の今日も、あいかわらず、私は「なまけもの」のままの日常。授業で使うパワーポイントスライドを作らなければならないのに、ついついテレビで録画した映画など見続ける。
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年(3)20年前の今日、何をしていたか1992年10月17日「千葉敦子」
1992年10月17日 土曜日(晴れ時々曇り)『乳ガンなんかに敗けられない』を読んで「主婦」という身分について思うこと
「私は病院で胃を調べた」に類する例文を見つけ出すため、病気関連の本のチェックをしようと、千葉敦子の『乳ガンなんかに敗けられない』の線びきをする。
「を格」を含む文にとにかく赤線を引き、主語と「を格」が所属関係になっている文をチェック。内容を読まず、ひたすら例文を捜すつもりなのに、好きな著者の本ゆえ、ついつい内容に心奪われて例文を見落とす。
例文チェックは、嫌いな著者の無味乾燥に思える本を選んだ方が、はかどるのかもしれない。とにかく乳ガンで入院中でさえ千葉さんの毎日はバリバリとすごいのだ。私などオタオタと目を見張るばかり。
千葉敦子の本は、娘が生れた年に石子さんから『ニューウーマン』を借りて読んだのが最初。『ニューヨーク二四時』を読んだのは、八七年に彼女が亡くなってからだった。 数学教師の職を続けたかったのに子供の病気入院のためにやむをえず退職した石子さんと、「ほかの生き方もあるかもしれないなぁ」などと、漠然としたまま国語教師をやめた私とでは、「主婦」という身分への安住の仕方、姿勢がまったく違っていた。
石子さんは「専業主婦」になりきることにあまんじることができず、数学テスト添削の仕事を続け、また、カウンセラーの勉強をコツコツと続けてきた。「しばらく専業主婦を楽しむことにしました。」というハガキが届いたのは、子供もようやく手を離れた、つい最近のことだ。彼女にとっては、千葉敦子の生き方こそ、もっとも輝かしい女性の生き方として受け止められたのだと思う。
私は『ニューウーマン』を借りた時に石子さんへの手紙にも書いた気がするが、一読後「私にはできな~い」というのが第一印象であった。こんなふうに一瞬のムダもなく、バリバリと仕事をし、恋に生き、社交を楽しむことができたなら、確かに四十余年の人生も充実したすばらしいものとだれもが賞賛するものとなるだろう。
悲しいかな私のDNAには「ミツユビナマケモノ」の遺伝子が潜んでいる。「明日できることを今日するなかれ、明日は明日の風が吹く、アシタマニヤーナ」というモットーのもとに生きている私にはとてもマネができないし、千葉さんにあこがれることさえおこがましい。
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もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/10/17のつっこみ
1992年の私は、文例を集める作業をいやいややっていて、修士論文を仕上げなければならない毎日なのに、ついつい本文に読みふけってしまうナマケモノ。
2012年の今日も、あいかわらず、私は「なまけもの」のままの日常。授業で使うパワーポイントスライドを作らなければならないのに、ついついテレビで録画した映画など見続ける。