2012/10/06
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年7月~9月読書(3)黄泉の犬・読書感想ひとくちメモ
夏休み読書、感想メモつづき。
『黄泉の犬』を読んだあと、本好きのホークさんへのコメント返信に書いた文を再録します。
~~~~~~~~~~~
2012-09-10 09:17:46
旅のスタイルは人それぞれだし、私は旅行社のお膳立てにそっくり乗ってしまうパック旅行だってそれなりに楽しめればいい、と、今では考えています。
昨年2011年には、旅行社のバスパックツアーにお一人様で参加し、「家族も友達もいない、かわいそうな人」という目で見られながら、黒部ダムを見て来ました。
旅してみれば、パック旅行でも定番観光でも、自分なりの楽しみ方が見つけられるし、それでいいと思うのです。
しかし、これまでの来し方を思うと、なかなかそういう旅を旅として受け入れられない自分がいました。
私たちは、旅のスタイルとして、決定的に小田実の「なんでも見てやろう」と藤原新也の「印度放浪」の影響を受けて育った世代です。小田実は少し前の世代にあたりますが、藤原新也は、ちょっと兄貴というくらいの、ほぼ同世代として、団塊世代には大きな存在でした。
単行本『印度放浪』が出た1972年、学生の私には当然単行本を買うお金がなく、図書館で借りたのだと思います。
今、文庫棚で確かめたら、私が持っていた文庫本は1984年初版の朝日文庫第3版で1986年発行のものでした。
1979年の夏、ケニアに出かけたときは、当然「印度放浪スタイル」の旅をするつもりで意気込んで出かけました。藤原の「西蔵放浪」も出版されていました。
サハラ砂漠南端にあたるケニア北部の沙漠地帯で、ヌーやらシマウマの死骸をあさるハゲコウの姿も見ましたが、とても「ヒトの死骸をあさる犬」には及ばない。
凡人の旅はただ「楽しかった」でいいとは思うのですが、私のケニア滞在1年間も楽しくすごしただけで終わりました。それでも、ケニア体験を何かしらの形でまとめたいなあと思っているうち「全東洋街道」(1981年)が出て、もう完全に私は「私如きのヤワな旅を記録することもない」という気になりました。
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という、私たちの世代にとっては衝撃的だったキャプションと、印度の川で流されてきて引っかかった死体を食いあさる犬の写真。
これを 超える写真とキャプションがないなら、ものを書く価値などない、という気になった。
このごろ、ケニアですごしたあのゆったり時間が流れた日々をなつかしく思い出すのは、要するに私が年取ったということです。
今では、あの日々を記録しておくのも、それはそれで意味があるのではないかと思うようになりました。しょうもない青春のしょうもない1ページ。私がいて、私同様しょうもない夫がいたケニアの日々。
で、ケニアで出会った男と結婚して娘むすこをシングルハンドで育てる一生になり、いまだにパラサイトの娘むすこを食わせるために働く毎日となったっていうお粗末な一代記。
ようやく、定番観光やら小市民向け格安パックツアーだのに抵抗がなくなった。「印度放浪」の旅スタイルの呪縛から抜け出すのに、40年かかった、ということです。
きのう、藤原新也の『黄泉の犬』を読み終わったところなので、しばらく遠ざかっていた藤原新也を久しぶりに読みおえて、私たち、ほんとに影響されまくりだったなあと、振り返っていたところです。
~~~~~~~~~~~
「黄泉の犬」は、2009年発行の文春文庫。1995~1996年「プレイボーイ」連載の「世紀末大航海」を改稿した2006年単行本の文庫化。それが100円本になったので、ようやく買って読んだ。なにも、100円になるまで3年またずに文庫化時点で読んだらいいじゃないか、と思うものの、仕事で直接使う以外の本は、定価で買えない習性が身についてしまって。
『黄泉の犬』は、『印度放浪』から34年して書かれた「インド紀行完結編」というキャプションがついている。しかし、読者の関心の大きな部分を占めるのは、「世紀末大航海」が連載途中で唐突に連載中止となった「オーム真理教」カンケーの軋轢とはどんなことだったのか、という週刊誌的ゴシップ感覚によるものも含まれていたと思う。
って、私がゴシップ好きというだけか。
連載中止の理由は、松本智津夫死刑囚(麻原彰晃)の長兄松本満弘と面談したことを掲載しようとした際、当初は雑誌掲載OKを出していた長兄から「掲載するな」という連絡を受けたため、と藤原は述べている。
書くことにしていた内容は、この長兄が「水俣病患者として松本満弘と智津夫のふたりの名で申請を出したが、受け付けられなかった」ということ。その後の事実確認は、藤原自身では行っていない。事実関係の確認はないまま、この長兄の死によって、掲載反対者がいなくなった、として「松本智津夫水俣病罹患説」を含む内容が単行本収録となった。
執筆の経緯はぬきにして、この「長兄の語る松本智津夫、水俣病罹患説」は、滝本太郎弁護士、現在は民主党議員となっている有田芳生らが批判をしている。
「松本長兄が水俣病患者申請をした」ということについて、患者申請者の一覧に松本智津夫の名を確かめる事実関係の有無を確認することがほんとうに出来なかったのか、知りたい。「患者申請者の閲覧は、個人情報を守る」という役所の観点から難しいとは思うけれど。
藤原は、水俣病患者申請が受け付けられなかったための、松本の国家へのルサンチマン」が皇居襲撃計画にまでつづく、と書く藤原の論があげる理由として「長兄から聞いた話」だけでは、たしかに論拠にならない。
あとがきに、「松本満弘からの掲載不許可」を受けて「世紀末大航海」の連載そのものをやめてしまったことについて、自分が高校生のとき実家の旅館が倒産し、「世間の日陰者」として生活したことと、松本智津夫の兄弟であったために世間をはばかっていきるしかなくなった「犯罪者の家族」を重ね合わせて「記事差し止め」を決めた、と書いているが、2006年の単行本発行時点で、松本満弘本人は亡くなっていただろうけれど、他の多くの兄弟(松本智津夫は、6男3女の9人兄弟の四男)はまだ生きているので、この言い訳を聞くと、他の兄弟についてはどうでもよかったのか、というイジワルな感想も出てくる。
「印度放浪」の34年目完結編という主旨の後半。自分の「旅」も自由な放浪でありたいと思ってアフリカへの旅に出た者のひとりとしては、30余年を隔てて感慨深く読みました。「高齢者放浪」を老後の生活にしたいと思っている身には「旅行社ツアーもいいけれど、放浪もねっ」という気になる。
リュック背負って、ヒッチハイクを続け、のみシラミがつきものの安ベッドに泊まる旅を続ける体力をつけるほうが先決だけどね。
<つづく>
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年7月~9月読書(3)黄泉の犬・読書感想ひとくちメモ
夏休み読書、感想メモつづき。
『黄泉の犬』を読んだあと、本好きのホークさんへのコメント返信に書いた文を再録します。
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2012-09-10 09:17:46
旅のスタイルは人それぞれだし、私は旅行社のお膳立てにそっくり乗ってしまうパック旅行だってそれなりに楽しめればいい、と、今では考えています。
昨年2011年には、旅行社のバスパックツアーにお一人様で参加し、「家族も友達もいない、かわいそうな人」という目で見られながら、黒部ダムを見て来ました。
旅してみれば、パック旅行でも定番観光でも、自分なりの楽しみ方が見つけられるし、それでいいと思うのです。
しかし、これまでの来し方を思うと、なかなかそういう旅を旅として受け入れられない自分がいました。
私たちは、旅のスタイルとして、決定的に小田実の「なんでも見てやろう」と藤原新也の「印度放浪」の影響を受けて育った世代です。小田実は少し前の世代にあたりますが、藤原新也は、ちょっと兄貴というくらいの、ほぼ同世代として、団塊世代には大きな存在でした。
単行本『印度放浪』が出た1972年、学生の私には当然単行本を買うお金がなく、図書館で借りたのだと思います。
今、文庫棚で確かめたら、私が持っていた文庫本は1984年初版の朝日文庫第3版で1986年発行のものでした。
1979年の夏、ケニアに出かけたときは、当然「印度放浪スタイル」の旅をするつもりで意気込んで出かけました。藤原の「西蔵放浪」も出版されていました。
サハラ砂漠南端にあたるケニア北部の沙漠地帯で、ヌーやらシマウマの死骸をあさるハゲコウの姿も見ましたが、とても「ヒトの死骸をあさる犬」には及ばない。
凡人の旅はただ「楽しかった」でいいとは思うのですが、私のケニア滞在1年間も楽しくすごしただけで終わりました。それでも、ケニア体験を何かしらの形でまとめたいなあと思っているうち「全東洋街道」(1981年)が出て、もう完全に私は「私如きのヤワな旅を記録することもない」という気になりました。
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という、私たちの世代にとっては衝撃的だったキャプションと、印度の川で流されてきて引っかかった死体を食いあさる犬の写真。
これを 超える写真とキャプションがないなら、ものを書く価値などない、という気になった。
このごろ、ケニアですごしたあのゆったり時間が流れた日々をなつかしく思い出すのは、要するに私が年取ったということです。
今では、あの日々を記録しておくのも、それはそれで意味があるのではないかと思うようになりました。しょうもない青春のしょうもない1ページ。私がいて、私同様しょうもない夫がいたケニアの日々。
で、ケニアで出会った男と結婚して娘むすこをシングルハンドで育てる一生になり、いまだにパラサイトの娘むすこを食わせるために働く毎日となったっていうお粗末な一代記。
ようやく、定番観光やら小市民向け格安パックツアーだのに抵抗がなくなった。「印度放浪」の旅スタイルの呪縛から抜け出すのに、40年かかった、ということです。
きのう、藤原新也の『黄泉の犬』を読み終わったところなので、しばらく遠ざかっていた藤原新也を久しぶりに読みおえて、私たち、ほんとに影響されまくりだったなあと、振り返っていたところです。
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「黄泉の犬」は、2009年発行の文春文庫。1995~1996年「プレイボーイ」連載の「世紀末大航海」を改稿した2006年単行本の文庫化。それが100円本になったので、ようやく買って読んだ。なにも、100円になるまで3年またずに文庫化時点で読んだらいいじゃないか、と思うものの、仕事で直接使う以外の本は、定価で買えない習性が身についてしまって。
『黄泉の犬』は、『印度放浪』から34年して書かれた「インド紀行完結編」というキャプションがついている。しかし、読者の関心の大きな部分を占めるのは、「世紀末大航海」が連載途中で唐突に連載中止となった「オーム真理教」カンケーの軋轢とはどんなことだったのか、という週刊誌的ゴシップ感覚によるものも含まれていたと思う。
って、私がゴシップ好きというだけか。
連載中止の理由は、松本智津夫死刑囚(麻原彰晃)の長兄松本満弘と面談したことを掲載しようとした際、当初は雑誌掲載OKを出していた長兄から「掲載するな」という連絡を受けたため、と藤原は述べている。
書くことにしていた内容は、この長兄が「水俣病患者として松本満弘と智津夫のふたりの名で申請を出したが、受け付けられなかった」ということ。その後の事実確認は、藤原自身では行っていない。事実関係の確認はないまま、この長兄の死によって、掲載反対者がいなくなった、として「松本智津夫水俣病罹患説」を含む内容が単行本収録となった。
執筆の経緯はぬきにして、この「長兄の語る松本智津夫、水俣病罹患説」は、滝本太郎弁護士、現在は民主党議員となっている有田芳生らが批判をしている。
「松本長兄が水俣病患者申請をした」ということについて、患者申請者の一覧に松本智津夫の名を確かめる事実関係の有無を確認することがほんとうに出来なかったのか、知りたい。「患者申請者の閲覧は、個人情報を守る」という役所の観点から難しいとは思うけれど。
藤原は、水俣病患者申請が受け付けられなかったための、松本の国家へのルサンチマン」が皇居襲撃計画にまでつづく、と書く藤原の論があげる理由として「長兄から聞いた話」だけでは、たしかに論拠にならない。
あとがきに、「松本満弘からの掲載不許可」を受けて「世紀末大航海」の連載そのものをやめてしまったことについて、自分が高校生のとき実家の旅館が倒産し、「世間の日陰者」として生活したことと、松本智津夫の兄弟であったために世間をはばかっていきるしかなくなった「犯罪者の家族」を重ね合わせて「記事差し止め」を決めた、と書いているが、2006年の単行本発行時点で、松本満弘本人は亡くなっていただろうけれど、他の多くの兄弟(松本智津夫は、6男3女の9人兄弟の四男)はまだ生きているので、この言い訳を聞くと、他の兄弟についてはどうでもよかったのか、というイジワルな感想も出てくる。
「印度放浪」の34年目完結編という主旨の後半。自分の「旅」も自由な放浪でありたいと思ってアフリカへの旅に出た者のひとりとしては、30余年を隔てて感慨深く読みました。「高齢者放浪」を老後の生活にしたいと思っている身には「旅行社ツアーもいいけれど、放浪もねっ」という気になる。
リュック背負って、ヒッチハイクを続け、のみシラミがつきものの安ベッドに泊まる旅を続ける体力をつけるほうが先決だけどね。
<つづく>