2012/10/27
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年(9)20年前の今日、何をしていたか1992年10月26日
1992年十月二六日 月曜日(晴れ)「カッパ橋へ行ってから、本の衝動買いをすること」
午後、浅草カッパ橋道具街へ行き、春日部の姉の店のおつかい。
一人前用のステンレス鍋を四つ買った。道具街をひやかすのはなかなか楽しい。
ここの道具は、飲食店用の器具や飾りなどが多い。なかには食品の蝋製見本店にパーティのデコレーションに使うようなものもあるが、たいていは実用本位の道具だ。
今日は鍋を買うことと、赤ちょうちんの値段を聞くことが用件で、用事だけ済ませてすぐ帰ったが、そのうちゆっくりと道具街散歩もしようと思っている。
赤ちょうちんについて、店の人からいろいろ話が聞けた。
ちょうちんそのものの値段はそれほど高いものではないが、そこに文字を書く職人がいなくなり、今は七十歳の老人ひとりだけ。
松ヤニなど八十種のものを調合する墨が秘伝中の秘伝で、その老人以外に知る人はなく、他の墨で書いたちょうちんは、一年もたたないうちに熱によって墨の部分に穴があくのだという。一文字千円の割で書くので、五文字入れれば、ちょうちんの値段プラス五千円、屋号など入れれば、さらに五千円という具合に高くなるのだそう。
道具街では、頼まれたもの以外に目もくれず、さっさと帰宅して例文カード作りでもしようと思ったのに、駅を降りたら突然、禁断症状がでて、本の衝動買いをした。ブックス・オークラで、文庫と新刊、計九冊六千五百円。古本屋で百円の文庫と新書など計九冊千三百八十円。さすがに古本屋は安上りだ。
新聞の新刊広告などで著者や出版社のチェックをいれ、おもむろに買いに行くのとちがい、棚を見渡して、とにかく目についたタイトルの本を買ってしまう衝動買い。
これは「エサ」だ。高知能の類人猿アイと異なり、私はごほうびのエサを与えられないとオベンキョウができないのだ。(類人猿以下)
「論文執筆が終わったらこれだけ読もう」という褒美のエサを目の前に積み上げて、エサをちらちら見ながら、よだれをたらしつつ、カード作りをするのだ。
前にバザーで五百円で買った小林秀雄『本居宣長』や古本屋で買った色川大吉『明治精神史』も、ご褒美用にツン読であったのだが、これまでのご褒美エサに加えて、本日の衝動買いで、ご褒美リストが増えた。
単行本 大江健三郎『人生の習慣』椎名誠『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』
文庫 瀬戸内寂聴『女人源氏物語第一巻~三巻』吉本隆明『源氏物語論』沢地久枝『遊色』永畑道子『華の乱』以上新刊本屋。丸谷才一の『猫だって夢をみる』は九十年に読んじゃった本の文庫化なので、リスト外。古本屋では、単行本、吉武輝子『舞踏に死す』文庫高田宏『言葉の海へ』井上ひさし『巷談辞典』山口瞳『小説吉野秀雄先生』あとは、例文切り抜き用に三島と芥川を買った。
新書、池上嘉彦『記号論への招待』や、ドン・ボスコ社という聞いたこともない出版社からでている、やなぎやけいこ『マザーテレサ』たぶんキリスト教関係の出版社なのか、代表者名はアルド・チプリアニ。著者はアルゼンチンに留学していた、と略歴にあるので、中南米関係の本を出しているのかもしれない。山崎浩一『なぜなにキーワード図鑑』これは、電車のなかで読む本にする。
十月五日に大学生協で買った『南方熊楠コレクション』もご褒美用。
その他のご褒美リスト、ラフカディオ・ハーン『日本の面影』スウェン・ヘディン『さまよえる湖』岩田慶治『カミの人類学』沢地久枝『石川節子』大岡昇平『歴史小説論』中沢新一『蜜の流れる博士』石牟礼道子『花をたてまつる』森淳『アフリカの陶工たち」中田正一『国際協力の新しい風』
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もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/10/25のツッコミ
ツンドク用になるのを承知で買い込んだ本のリストを見て、そのまま20年積まれている本があるので、なにやらなつかしい気がした。大岡昇平『歴史小説論』中沢新一『蜜の流れる博士』山口瞳『小説吉野秀雄先生』、まだ読んでおらず、捨ててもいない。
やなぎやけいこ(柳谷圭子)を、「やなぎけいこ」と誤記していたのだが、検索で確認したところ、柳谷圭子であることが判明。私がワープロをパソコンに変えたのが、1995年。電話回線でとても遅かったので、調べ物は事典類をひいたほうがはるかに早かった。インターネットをつかいこなすようになったのは、常時接続ができるようになった2001年以後のこと、20年のちに、こんなに調べ物が簡単にできるようになるとは、思ってもいなかった。「やなぎけいこ→やなぎやけいこ」の誤記訂正。
ほかにも20年前のまちがいは多々あるだろうと思うけれど、基本的な人名命の間違いなどのほかは、誤記誤変換は、そのままにしておく方針。誤記があったとして、それがそのときの私の頭の中味なので。
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年(9)20年前の今日、何をしていたか1992年10月26日
1992年十月二六日 月曜日(晴れ)「カッパ橋へ行ってから、本の衝動買いをすること」
午後、浅草カッパ橋道具街へ行き、春日部の姉の店のおつかい。
一人前用のステンレス鍋を四つ買った。道具街をひやかすのはなかなか楽しい。
ここの道具は、飲食店用の器具や飾りなどが多い。なかには食品の蝋製見本店にパーティのデコレーションに使うようなものもあるが、たいていは実用本位の道具だ。
今日は鍋を買うことと、赤ちょうちんの値段を聞くことが用件で、用事だけ済ませてすぐ帰ったが、そのうちゆっくりと道具街散歩もしようと思っている。
赤ちょうちんについて、店の人からいろいろ話が聞けた。
ちょうちんそのものの値段はそれほど高いものではないが、そこに文字を書く職人がいなくなり、今は七十歳の老人ひとりだけ。
松ヤニなど八十種のものを調合する墨が秘伝中の秘伝で、その老人以外に知る人はなく、他の墨で書いたちょうちんは、一年もたたないうちに熱によって墨の部分に穴があくのだという。一文字千円の割で書くので、五文字入れれば、ちょうちんの値段プラス五千円、屋号など入れれば、さらに五千円という具合に高くなるのだそう。
道具街では、頼まれたもの以外に目もくれず、さっさと帰宅して例文カード作りでもしようと思ったのに、駅を降りたら突然、禁断症状がでて、本の衝動買いをした。ブックス・オークラで、文庫と新刊、計九冊六千五百円。古本屋で百円の文庫と新書など計九冊千三百八十円。さすがに古本屋は安上りだ。
新聞の新刊広告などで著者や出版社のチェックをいれ、おもむろに買いに行くのとちがい、棚を見渡して、とにかく目についたタイトルの本を買ってしまう衝動買い。
これは「エサ」だ。高知能の類人猿アイと異なり、私はごほうびのエサを与えられないとオベンキョウができないのだ。(類人猿以下)
「論文執筆が終わったらこれだけ読もう」という褒美のエサを目の前に積み上げて、エサをちらちら見ながら、よだれをたらしつつ、カード作りをするのだ。
前にバザーで五百円で買った小林秀雄『本居宣長』や古本屋で買った色川大吉『明治精神史』も、ご褒美用にツン読であったのだが、これまでのご褒美エサに加えて、本日の衝動買いで、ご褒美リストが増えた。
単行本 大江健三郎『人生の習慣』椎名誠『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』
文庫 瀬戸内寂聴『女人源氏物語第一巻~三巻』吉本隆明『源氏物語論』沢地久枝『遊色』永畑道子『華の乱』以上新刊本屋。丸谷才一の『猫だって夢をみる』は九十年に読んじゃった本の文庫化なので、リスト外。古本屋では、単行本、吉武輝子『舞踏に死す』文庫高田宏『言葉の海へ』井上ひさし『巷談辞典』山口瞳『小説吉野秀雄先生』あとは、例文切り抜き用に三島と芥川を買った。
新書、池上嘉彦『記号論への招待』や、ドン・ボスコ社という聞いたこともない出版社からでている、やなぎやけいこ『マザーテレサ』たぶんキリスト教関係の出版社なのか、代表者名はアルド・チプリアニ。著者はアルゼンチンに留学していた、と略歴にあるので、中南米関係の本を出しているのかもしれない。山崎浩一『なぜなにキーワード図鑑』これは、電車のなかで読む本にする。
十月五日に大学生協で買った『南方熊楠コレクション』もご褒美用。
その他のご褒美リスト、ラフカディオ・ハーン『日本の面影』スウェン・ヘディン『さまよえる湖』岩田慶治『カミの人類学』沢地久枝『石川節子』大岡昇平『歴史小説論』中沢新一『蜜の流れる博士』石牟礼道子『花をたてまつる』森淳『アフリカの陶工たち」中田正一『国際協力の新しい風』
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もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/10/25のツッコミ
ツンドク用になるのを承知で買い込んだ本のリストを見て、そのまま20年積まれている本があるので、なにやらなつかしい気がした。大岡昇平『歴史小説論』中沢新一『蜜の流れる博士』山口瞳『小説吉野秀雄先生』、まだ読んでおらず、捨ててもいない。
やなぎやけいこ(柳谷圭子)を、「やなぎけいこ」と誤記していたのだが、検索で確認したところ、柳谷圭子であることが判明。私がワープロをパソコンに変えたのが、1995年。電話回線でとても遅かったので、調べ物は事典類をひいたほうがはるかに早かった。インターネットをつかいこなすようになったのは、常時接続ができるようになった2001年以後のこと、20年のちに、こんなに調べ物が簡単にできるようになるとは、思ってもいなかった。「やなぎけいこ→やなぎやけいこ」の誤記訂正。
ほかにも20年前のまちがいは多々あるだろうと思うけれど、基本的な人名命の間違いなどのほかは、誤記誤変換は、そのままにしておく方針。誤記があったとして、それがそのときの私の頭の中味なので。