2012/10/20
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年(5)20年前の今日、何をしていたか1992年10月19日「宇宙飛行士比較論」
1992年十月一九日 月曜日(曇り夕方から雨)「毛利衛さんを見て宇宙共同幻想を思うこと」
二年後のスペース・シャトル・コロンビアの宇宙飛行士に向井千秋さんが決定した。
インタヴューに応じる向井さんの言葉はとてもはぎれよく、好感が持てた。同じ群馬の出身で、私より三歳年下。私はとても嫉妬深くて、私にないものを持っているひと、すなわち、才能のある女性と美貌の持ち主、個性豊かで活力のある人、イイ男に愛されている女たちに対して「同じ人間に生まれながら神はなぜ不公平なのだ!」といつも不平タラタラなのだが、向井さんに対しては、心から「こんなすばらしい女性が飛行士に選ばれて本当によかった。」と思えた。
こんなふうに素直に喜べるのは、ことが宇宙に関わっているからかもしれない。毛利さんも向井さんも私も、小学生のときガガーリンの宇宙からの言葉を聞いた。「地球は青かった」と。宇宙へのあこがれは私たちの世代の誰もが持っている共通の夢だったのだ。 「宇宙へ行ってみたい」と思いながら、また「決して、自分が宇宙飛行士になることはない」とはじめからおおかたの人があきらめていた夢。
その夢を毛利さんと向井さんがかなえてくれた。と、皆が思ったのではないだろうか。「秋山さんはどうした?」そうなのだ。宇宙を見た第一号の日本人は、秋山豊寛さんなのに。現在は宇宙についての講演会にいそがしく全国をまわって、落ち目のTBSのイメージ回復に努めているはずの秋山さん。なんだか影が薄い。
秋山さんが第一号なのに、「宇宙飛行士」のイメージとして、私は毛利さんを思い浮かべてしまう。テレビの画面での好みは、人によって秋山派と毛利派に別れるようだが、私は、毛利さんに宇宙飛行士のイメージを重ね、積年の宇宙の夢を託した。なぜなのか。
ガガーリンの「地球は青かった」以来、あるいは、人によってはスプートニク以来、宇宙は、人類にとって未来への希望だった。二十一世紀へ向かう夢だった。「科学=進歩と発展」という二十世紀の幻想がしだいにほころび、繕い切れなくなってからも、宇宙はなお、私たち人類の共同幻想として存在してきたのだ。
先ごろNHKでボイジャーの旅を追った特集番組をみた。太陽系の中を旅し、惑星たちの魅力的な映像を地球に向かって送り続けたボイジャー。冥王星の映像を最後に、ついに果てしない宇宙へと旅立ち、二度ともどらないボイシャー。バリ島のイメージと重ねあわされたボイジャーの旅の記録は、まさに神話となり、私たちはすっかりボイジャーに感情移入していた。
ナサの職員なども、ボイジャーにお別れをいうときは涙をながし、別れをつらがっていたが、まさしくボイジャーは宇宙のオデユッセイアとなっていた。この孤独な旅人の神話は、宇宙共同幻想にピッタリと合っていたゆえ、かくも私たちの心を揺すったのだ。
宇宙が共同幻想であるからには、宇宙飛行士に対しても共同のイメージが形成されており、このイメージに合う宇宙飛行士が求められる。このイメージテストに、私は、秋山さんより、毛利さんに高い得点を与えた。人によっては秋山さんに高得点をだしているのだが、その採点基準はなにか。以下、傾向と対策を示す。
第一番に「時間」の問題がある。毛利さんたちが宇宙飛行士に選ばれたのは七年前のことだ。この七年の間私たちは三人の過酷な訓練の様子をテレビでみたり、チャレンジャー事故によって、宇宙への夢が遠のいてがっかりしたり、逐一かれらと共に宇宙への夢を育んできた。
一方、秋山さんのソ連宇宙船搭乗を私たちが知ったのは、ミールに乗り込むせいぜい一年くらい前ではなかったか。ソ連のことであるから、訓練の様子を私たちが詳しく知ることもできなかったし、秋山さんに感情移入する時間がなかった。
七年間が長すぎたと思う人もいる。七年間待つのにあきあきした人は、一歩先んじた秋山さんに「効果」。宇宙に関しては、光年単位の長い時間で待てる気の長い私は、「感情移入の時間」で、毛利さんに「有効」
第二に「顔とスタイル」の問題。これは勝手に「あるべき宇宙飛行士の顔とスタイル」を思い描く私が悪いのだが。秋山さんははっきり言って、典型的な中年のオジサンに見えた。年令は毛利さんも秋山さんも同世代なのだと思うが、秋山さんは顔もスタイルも、年令にふさわしい中年のオジサンだったのに対し、毛利さんはウルトラマン「科学宇宙特別捜査隊」の一員であるかのような、「宇宙」のイメージにぴったりの「科学青年」に思えた。
宇宙授業の間、毛利さんは宇宙にいることが楽しくてたまらないように見えた。授業の最後に、同僚にくるくる回されてハシャグ彼の姿は、宇宙にあこがれる少年がそのまま大人になったような愛すべく、若々しい、イメージを与えた。
中年の落ち着きと、年輪の放つ渋さが気に入った人は秋山さんに「有効」。若作り好みの私は「顔とスタイル」で毛利さんに「効果」
第三番に「目的」と「職業」の問題。秋山さんはジャーナリストであり、宇宙の様子を私たちに報告するのが第一の目的であった。ミールの中にあっては彼にも「報告」以外のさまざまな任務が与えられていたのかもしれないが、私たちの目には彼がミールの「ファーストクラスのお客さん」にみえた。他方、毛利さんは北海道大学助教授の職をなげうって宇宙飛行士に応募した科学者であり、向井さんは医者である。
毛利さんは宇宙での八日間に八十もの実験をこなし、宇宙滞在が一日伸びた最後の八日目も、うまくいかなかった実験をやりなおす「残業」をやるなど、まさしく勤勉な科学者そのままのイメージを私たちに与えた。
この「日本株式会社の過労死サラリーマン」さながらの働きぶりは、この勤勉さをプラスと受け止める人には好意的に受け止められ、ちょっとヤリすぎと思う人には不評。「職業と目的のイメージ」で毛利さん「技あり」
第四に「宇宙からの言葉」の問題。秋山さんはTBSの社員であり、「日本人による最初の宇宙映像を送る」という社命をかけたプロジェクトを背負っていた。
彼の宇宙からの最初の言葉が「これ、本番ですか」だったことは、ユーモラスにおおむね好意的に受け止められたようだが、私はこの言葉を聞いて、秋山さんの目的の一番のものが「TBSの社運」だったという印象を受けて、シラケてしまった。
日本の宇宙開発事業団がナサに宇宙飛行士を送り込むのだって、お金をずいぶん使っているのだろうが、私たちの目には毛利さんたちの個人的な努力が前面にうつる。
ところが秋山さんの場合、彼もいろいろ努力をしただろうに、前面にでてくるのは「放送界で落ち目のTBSが、世界で落ち目のソ連から、ミール搭乗券を金で買った」という印象なのだ
。
毛利さんの言葉の中で最も印象に残ったのは、地球の大気について。オゾン層の穴については、ときどき環境破壊の例として取り上げられるので「地球の危機」というイメージを持っていたが、大気そのものについては地上にいるかぎり、無限に地球を取り巻くようなイメージを持っていた。
しかし、宇宙のかなたからの報告では、大気とは地球の引力によってかろうじて留まっている、薄い、薄い空気の層にすぎないという。そういわれて初めて、大気を宇宙から見るイメージがわいた。大気層は百キロの厚さで地球をとりまいている。身長百五十センチの私にとって、百キロは無限に思えたのに、三百キロ上空のスペースシャトルからは、はかなく薄いべールをまとっているようにみえるのだろう。
宇宙からの帰還後のテレビ出演では、秋山さんに一日の長があるのは当然だ。彼はテレビが求めるものを知っており、テレビむきの「うける」会話ができる。他方、毛利さんは帰還後もマジメな一方の「NHKむき談話」をくり返し、優等生ぶりを発揮した。
この優等生ぶりっこが気にいらない、と言う人は秋山さんに「技あり」。大気について教えられた私は毛利さんに「有効」。
第五に家族の問題。一八日の朝日朝刊の「人」欄に登場したのは、毛利夫人彰子さん。だいたいこの欄に「何々の妻」などという肩書きの人物が登場するのはそうあることではない。「だれそれの妻」というのが肩書きとして通用してよいのは、夫の仕事を成立させる力が当の夫以上に妻の力によるものではないかと人々が思ったときだ。
藤島部屋のおかみさんとか、落合三冠王のときの威勢のいい奥さんとか、離婚前の井上ひさしに対する好子さん、とか。毛利夫人は「宇宙飛行士の妻」という肩書きで紙面に登場した。
打ち上げの日の「難産の末に赤ちゃんを生んだみたい。最高に幸せ」という彰子さんのコメントをテレビでみたし、帰還の日に夫に寄り添う嬉しそうな笑顔も見た。聡明ながらひかえ目で、いつも夫の後ろでしっかりと夫を支えている、という「科学者の妻」のイメージを絵に描いたような女性であり、三人の子供たちも賢く健康そうな坊やたちで、ナサ推薦の「モデル宇宙飛行士の家族」のような一家であった。
この家族は一丸となって、過酷な訓練や、シャトル搭乗決定までの長い日々を乗り越え、共通の夢に向かって団結してきたのだろう。夫の夢を家族全員が理解し、その実現へ協力できるなどということは、現代の家族関係稀薄化の世界でそうあるものではない。毛利一家の姿は、家族論研究者にとっても得難いサンプルと映ったろう。
秋山さんの家族は表にでていないから、わからない。「家族のイメージ」不戦勝で毛利さんの勝ち。
というようなことで個人的好みからいって、「宇宙飛行士」は毛利さん。
以上で「宇宙飛行士イメージテスト」傾向と対策終わり。次回テストは二年後。模擬テストに備えて予習をしておくように。礼!
本日の家訓「とぶのがこわい?みんなでとべばこわくない」
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もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/10/20のつっこみ
2012年の毛利衛宇宙飛行士は、JAXAの宇宙環境利用システム本部有人宇宙活動推進室長、日本科学未来館館長、財団法人日本宇宙少年団団長、東京工業大学大学院総合理工学研究科連携教授というそうそうたる肩書を持ち、全国から引きも切らぬ依頼に応じて講演やらで忙しい毎日らしい。
一方の秋山豊寛は、福島で農民となって有機農業に取り組んでいたけれど、2011年3月、原発難民となって、福島には帰れない身。ただし、そこは「世界ではじめて宇宙から報道を行ったジャーナリスト」であるから、路頭に迷うなんてことはなくて、2012年には京都に定住して京都造形芸術大学芸術学部教授に就任。
さて、現在の好みからいうと、秋山さんかな。
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年(5)20年前の今日、何をしていたか1992年10月19日「宇宙飛行士比較論」
1992年十月一九日 月曜日(曇り夕方から雨)「毛利衛さんを見て宇宙共同幻想を思うこと」
二年後のスペース・シャトル・コロンビアの宇宙飛行士に向井千秋さんが決定した。
インタヴューに応じる向井さんの言葉はとてもはぎれよく、好感が持てた。同じ群馬の出身で、私より三歳年下。私はとても嫉妬深くて、私にないものを持っているひと、すなわち、才能のある女性と美貌の持ち主、個性豊かで活力のある人、イイ男に愛されている女たちに対して「同じ人間に生まれながら神はなぜ不公平なのだ!」といつも不平タラタラなのだが、向井さんに対しては、心から「こんなすばらしい女性が飛行士に選ばれて本当によかった。」と思えた。
こんなふうに素直に喜べるのは、ことが宇宙に関わっているからかもしれない。毛利さんも向井さんも私も、小学生のときガガーリンの宇宙からの言葉を聞いた。「地球は青かった」と。宇宙へのあこがれは私たちの世代の誰もが持っている共通の夢だったのだ。 「宇宙へ行ってみたい」と思いながら、また「決して、自分が宇宙飛行士になることはない」とはじめからおおかたの人があきらめていた夢。
その夢を毛利さんと向井さんがかなえてくれた。と、皆が思ったのではないだろうか。「秋山さんはどうした?」そうなのだ。宇宙を見た第一号の日本人は、秋山豊寛さんなのに。現在は宇宙についての講演会にいそがしく全国をまわって、落ち目のTBSのイメージ回復に努めているはずの秋山さん。なんだか影が薄い。
秋山さんが第一号なのに、「宇宙飛行士」のイメージとして、私は毛利さんを思い浮かべてしまう。テレビの画面での好みは、人によって秋山派と毛利派に別れるようだが、私は、毛利さんに宇宙飛行士のイメージを重ね、積年の宇宙の夢を託した。なぜなのか。
ガガーリンの「地球は青かった」以来、あるいは、人によってはスプートニク以来、宇宙は、人類にとって未来への希望だった。二十一世紀へ向かう夢だった。「科学=進歩と発展」という二十世紀の幻想がしだいにほころび、繕い切れなくなってからも、宇宙はなお、私たち人類の共同幻想として存在してきたのだ。
先ごろNHKでボイジャーの旅を追った特集番組をみた。太陽系の中を旅し、惑星たちの魅力的な映像を地球に向かって送り続けたボイジャー。冥王星の映像を最後に、ついに果てしない宇宙へと旅立ち、二度ともどらないボイシャー。バリ島のイメージと重ねあわされたボイジャーの旅の記録は、まさに神話となり、私たちはすっかりボイジャーに感情移入していた。
ナサの職員なども、ボイジャーにお別れをいうときは涙をながし、別れをつらがっていたが、まさしくボイジャーは宇宙のオデユッセイアとなっていた。この孤独な旅人の神話は、宇宙共同幻想にピッタリと合っていたゆえ、かくも私たちの心を揺すったのだ。
宇宙が共同幻想であるからには、宇宙飛行士に対しても共同のイメージが形成されており、このイメージに合う宇宙飛行士が求められる。このイメージテストに、私は、秋山さんより、毛利さんに高い得点を与えた。人によっては秋山さんに高得点をだしているのだが、その採点基準はなにか。以下、傾向と対策を示す。
第一番に「時間」の問題がある。毛利さんたちが宇宙飛行士に選ばれたのは七年前のことだ。この七年の間私たちは三人の過酷な訓練の様子をテレビでみたり、チャレンジャー事故によって、宇宙への夢が遠のいてがっかりしたり、逐一かれらと共に宇宙への夢を育んできた。
一方、秋山さんのソ連宇宙船搭乗を私たちが知ったのは、ミールに乗り込むせいぜい一年くらい前ではなかったか。ソ連のことであるから、訓練の様子を私たちが詳しく知ることもできなかったし、秋山さんに感情移入する時間がなかった。
七年間が長すぎたと思う人もいる。七年間待つのにあきあきした人は、一歩先んじた秋山さんに「効果」。宇宙に関しては、光年単位の長い時間で待てる気の長い私は、「感情移入の時間」で、毛利さんに「有効」
第二に「顔とスタイル」の問題。これは勝手に「あるべき宇宙飛行士の顔とスタイル」を思い描く私が悪いのだが。秋山さんははっきり言って、典型的な中年のオジサンに見えた。年令は毛利さんも秋山さんも同世代なのだと思うが、秋山さんは顔もスタイルも、年令にふさわしい中年のオジサンだったのに対し、毛利さんはウルトラマン「科学宇宙特別捜査隊」の一員であるかのような、「宇宙」のイメージにぴったりの「科学青年」に思えた。
宇宙授業の間、毛利さんは宇宙にいることが楽しくてたまらないように見えた。授業の最後に、同僚にくるくる回されてハシャグ彼の姿は、宇宙にあこがれる少年がそのまま大人になったような愛すべく、若々しい、イメージを与えた。
中年の落ち着きと、年輪の放つ渋さが気に入った人は秋山さんに「有効」。若作り好みの私は「顔とスタイル」で毛利さんに「効果」
第三番に「目的」と「職業」の問題。秋山さんはジャーナリストであり、宇宙の様子を私たちに報告するのが第一の目的であった。ミールの中にあっては彼にも「報告」以外のさまざまな任務が与えられていたのかもしれないが、私たちの目には彼がミールの「ファーストクラスのお客さん」にみえた。他方、毛利さんは北海道大学助教授の職をなげうって宇宙飛行士に応募した科学者であり、向井さんは医者である。
毛利さんは宇宙での八日間に八十もの実験をこなし、宇宙滞在が一日伸びた最後の八日目も、うまくいかなかった実験をやりなおす「残業」をやるなど、まさしく勤勉な科学者そのままのイメージを私たちに与えた。
この「日本株式会社の過労死サラリーマン」さながらの働きぶりは、この勤勉さをプラスと受け止める人には好意的に受け止められ、ちょっとヤリすぎと思う人には不評。「職業と目的のイメージ」で毛利さん「技あり」
第四に「宇宙からの言葉」の問題。秋山さんはTBSの社員であり、「日本人による最初の宇宙映像を送る」という社命をかけたプロジェクトを背負っていた。
彼の宇宙からの最初の言葉が「これ、本番ですか」だったことは、ユーモラスにおおむね好意的に受け止められたようだが、私はこの言葉を聞いて、秋山さんの目的の一番のものが「TBSの社運」だったという印象を受けて、シラケてしまった。
日本の宇宙開発事業団がナサに宇宙飛行士を送り込むのだって、お金をずいぶん使っているのだろうが、私たちの目には毛利さんたちの個人的な努力が前面にうつる。
ところが秋山さんの場合、彼もいろいろ努力をしただろうに、前面にでてくるのは「放送界で落ち目のTBSが、世界で落ち目のソ連から、ミール搭乗券を金で買った」という印象なのだ
。
毛利さんの言葉の中で最も印象に残ったのは、地球の大気について。オゾン層の穴については、ときどき環境破壊の例として取り上げられるので「地球の危機」というイメージを持っていたが、大気そのものについては地上にいるかぎり、無限に地球を取り巻くようなイメージを持っていた。
しかし、宇宙のかなたからの報告では、大気とは地球の引力によってかろうじて留まっている、薄い、薄い空気の層にすぎないという。そういわれて初めて、大気を宇宙から見るイメージがわいた。大気層は百キロの厚さで地球をとりまいている。身長百五十センチの私にとって、百キロは無限に思えたのに、三百キロ上空のスペースシャトルからは、はかなく薄いべールをまとっているようにみえるのだろう。
宇宙からの帰還後のテレビ出演では、秋山さんに一日の長があるのは当然だ。彼はテレビが求めるものを知っており、テレビむきの「うける」会話ができる。他方、毛利さんは帰還後もマジメな一方の「NHKむき談話」をくり返し、優等生ぶりを発揮した。
この優等生ぶりっこが気にいらない、と言う人は秋山さんに「技あり」。大気について教えられた私は毛利さんに「有効」。
第五に家族の問題。一八日の朝日朝刊の「人」欄に登場したのは、毛利夫人彰子さん。だいたいこの欄に「何々の妻」などという肩書きの人物が登場するのはそうあることではない。「だれそれの妻」というのが肩書きとして通用してよいのは、夫の仕事を成立させる力が当の夫以上に妻の力によるものではないかと人々が思ったときだ。
藤島部屋のおかみさんとか、落合三冠王のときの威勢のいい奥さんとか、離婚前の井上ひさしに対する好子さん、とか。毛利夫人は「宇宙飛行士の妻」という肩書きで紙面に登場した。
打ち上げの日の「難産の末に赤ちゃんを生んだみたい。最高に幸せ」という彰子さんのコメントをテレビでみたし、帰還の日に夫に寄り添う嬉しそうな笑顔も見た。聡明ながらひかえ目で、いつも夫の後ろでしっかりと夫を支えている、という「科学者の妻」のイメージを絵に描いたような女性であり、三人の子供たちも賢く健康そうな坊やたちで、ナサ推薦の「モデル宇宙飛行士の家族」のような一家であった。
この家族は一丸となって、過酷な訓練や、シャトル搭乗決定までの長い日々を乗り越え、共通の夢に向かって団結してきたのだろう。夫の夢を家族全員が理解し、その実現へ協力できるなどということは、現代の家族関係稀薄化の世界でそうあるものではない。毛利一家の姿は、家族論研究者にとっても得難いサンプルと映ったろう。
秋山さんの家族は表にでていないから、わからない。「家族のイメージ」不戦勝で毛利さんの勝ち。
というようなことで個人的好みからいって、「宇宙飛行士」は毛利さん。
以上で「宇宙飛行士イメージテスト」傾向と対策終わり。次回テストは二年後。模擬テストに備えて予習をしておくように。礼!
本日の家訓「とぶのがこわい?みんなでとべばこわくない」
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もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/10/20のつっこみ
2012年の毛利衛宇宙飛行士は、JAXAの宇宙環境利用システム本部有人宇宙活動推進室長、日本科学未来館館長、財団法人日本宇宙少年団団長、東京工業大学大学院総合理工学研究科連携教授というそうそうたる肩書を持ち、全国から引きも切らぬ依頼に応じて講演やらで忙しい毎日らしい。
一方の秋山豊寛は、福島で農民となって有機農業に取り組んでいたけれど、2011年3月、原発難民となって、福島には帰れない身。ただし、そこは「世界ではじめて宇宙から報道を行ったジャーナリスト」であるから、路頭に迷うなんてことはなくて、2012年には京都に定住して京都造形芸術大学芸術学部教授に就任。
さて、現在の好みからいうと、秋山さんかな。