2013/01/01
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里日記正月(1)謹賀新年
新年おめでとうございます。
21世紀の春庭日記。
2001一期一会日記、2002二兎追う日記、2003三色七味日記、2004四つ葉日記、2005五感みがく日記、2006六日のあやめ日記、2007七竈(ななかまど)日記、2008八衢(やちまた)日記、2009九年母(くねんぼ)日記、2010十人十色日記、2011十一慈悲心鳥日記、2012十二単日記、と日々を重ねてまいりました。
2013年の「十三里日記」も、よしなしごとを書き連ねて愚痴をこぼし、日頃の憂さをはらして参る所存にて、あらかじめご容赦のほど、御願い奉り候。
十三里とは、「九里四里(栗より)美味い十三里」と売り声に呼ばわれたサツマ芋のこと。お江戸から十三里離れた川越の芋という売り子たちのキャッチコピーであったそうです。「栗よりうまい十三里半」と、半里多く言うのが売れ筋の呼び声とか。
薩摩芋は、原産地は中南米。スペイン人ポルトガル人によって東南アジアに伝播し、1597年に宮古島へ伝わったとされています。鉄砲が種子島へ来たときより遅かったんですね。大陸や南方諸島はすべて「唐カラ(外国)」でしたから、「唐芋カライモ」と呼ばれ、沖縄から薩摩に伝わったときは「琉球芋」と呼ばれました。江戸初期に薩摩から各地に伝わると「薩摩芋」と呼ばれました。呼び名が「伝来の元地」を表しているわかりやすい植物です。八代将軍吉宗の時代から、救荒作物として盛んに植えられました。
幕末から明治期には、川越の赤沢仁兵衛が栽培法を研究し、「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が増加しました。「栗より美味い十三里半」も、この川越の赤沢式栽培法が普及する過程での呼び声だったと思われます。
現在でも、この赤沢式栽培法がサツマ芋の基本的な栽培方法で、薩摩芋の主産地は、今も薩摩、鹿児島県です。全国作付面積の7割が鹿児島県。
もとより芋は大好物なれど、「十三不塔日記」という名とどちらにしようか迷った末に、やはり美味いもののほうをとりました。麻雀も好きですけれど、下手なので。
「十三里日記」の2013年も、どうぞよしなにおつきあいを御願い奉ります
みなみな様の2013年のご健勝とご家族のご多幸を祈りつつ、芋食ふ年初もめでたけれ。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里日記正月(1)謹賀新年
新年おめでとうございます。
21世紀の春庭日記。
2001一期一会日記、2002二兎追う日記、2003三色七味日記、2004四つ葉日記、2005五感みがく日記、2006六日のあやめ日記、2007七竈(ななかまど)日記、2008八衢(やちまた)日記、2009九年母(くねんぼ)日記、2010十人十色日記、2011十一慈悲心鳥日記、2012十二単日記、と日々を重ねてまいりました。
2013年の「十三里日記」も、よしなしごとを書き連ねて愚痴をこぼし、日頃の憂さをはらして参る所存にて、あらかじめご容赦のほど、御願い奉り候。
十三里とは、「九里四里(栗より)美味い十三里」と売り声に呼ばわれたサツマ芋のこと。お江戸から十三里離れた川越の芋という売り子たちのキャッチコピーであったそうです。「栗よりうまい十三里半」と、半里多く言うのが売れ筋の呼び声とか。
薩摩芋は、原産地は中南米。スペイン人ポルトガル人によって東南アジアに伝播し、1597年に宮古島へ伝わったとされています。鉄砲が種子島へ来たときより遅かったんですね。大陸や南方諸島はすべて「唐カラ(外国)」でしたから、「唐芋カライモ」と呼ばれ、沖縄から薩摩に伝わったときは「琉球芋」と呼ばれました。江戸初期に薩摩から各地に伝わると「薩摩芋」と呼ばれました。呼び名が「伝来の元地」を表しているわかりやすい植物です。八代将軍吉宗の時代から、救荒作物として盛んに植えられました。
幕末から明治期には、川越の赤沢仁兵衛が栽培法を研究し、「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が増加しました。「栗より美味い十三里半」も、この川越の赤沢式栽培法が普及する過程での呼び声だったと思われます。
現在でも、この赤沢式栽培法がサツマ芋の基本的な栽培方法で、薩摩芋の主産地は、今も薩摩、鹿児島県です。全国作付面積の7割が鹿児島県。
もとより芋は大好物なれど、「十三不塔日記」という名とどちらにしようか迷った末に、やはり美味いもののほうをとりました。麻雀も好きですけれど、下手なので。
「十三里日記」の2013年も、どうぞよしなにおつきあいを御願い奉ります
みなみな様の2013年のご健勝とご家族のご多幸を祈りつつ、芋食ふ年初もめでたけれ。
<つづく>