2013/01/30
ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(3)ニューオータニ美術館、三井美術館
ニューオータニ美術館も館所蔵品展で、新春展というタイトル。ふたつの展示室のうち、ひとつは洋画、ひとつは日本画の展示です。
お金持ちになった人というのは、お金ができると次は権力とか名誉とかがほしくなるものだそうです。
「名画名品を集めて我がものとしたい」という欲望も、お金持ちにはつきものみたいです。
ニューオータニ美術館を建てた大谷米太郎。貧農の家に生まれ、大相撲の力士として食べていこうとして怪我で関取にはなれず、一念発起。大正昭和の激動をかいくぐって一代で財産を築きました。大金持ちになった晩年には、絵画骨董集めを始めました。
ニューオータニ美術館も館所蔵品展で、新春展というタイトル。ふたつの展示室のうち、ひとつは洋画、ひとつは日本画の展示です。
洋画のほう、ベルナール・ビュッフェ、マリー・ローランサン、ブラマンクなどが並べられていました。
ビュッフェは、ニューオータニホテルを飾るための絵を何枚か描いていて、オータニ美術館の所蔵作品も多い。
「」は、北海道ニューオータニホテルの壁を飾るための絵だそうです。

今回見たなかでは、ビュッフェの横長の静物をはじめて見ました。

そんな一代成金から見ると、三井家は戦国の世の終わりとともに松坂から台頭して「越後屋」として江戸年間を通じて商売を拡大していった300年の金持ち一族です。
明治の世には政商財閥として力をふるい、男爵を叙爵。代々集めたお宝も、重代の所蔵品が山積み。三井家では、代々茶の湯が推奨されていたため、茶道具の逸品も数多く所蔵されています。
三井記念美術館は、江戸の豪商から近代財閥となった三井家の、日本橋室町の本拠地三井本館に設立されています。建物は、1929(昭和4)年に設立されたもので、現在は重要文化財。7階に上っていくエレベーターの扉も、重厚な感じのする木製で、我が団地の安っぽいエレベータードアとは雰囲気が異なります。
正月にふさわしい展示ということで、年末年始の展示は「ゆくとしくるとし」と題された、所蔵の茶道具や絵画の展覧会です。私はお茶をしないので、茶道具はささっと眺めるだけ。私なぞ、ダイソーで売っている300円の抹茶茶碗も、三井美術館に展示されている国宝級の名物道具も区別つかないのですから、ガラスケースに展示してある茶杓茶碗も、ただ「ハー、これでお茶飲んだら美味いのか」と思いながら眺めていきました。
三井家は名物茶器を集めるためだけに有り余るお金を使ったのではありません。同時代に生きている画家のパトロンとして、画家に絵を描かせました。金持ちは積極的に同時代の芸術家のパトロン(支援者、講演者)となり、若い芸術家や科学者、学者への支援活動パトロネージュをすべきです。他者のため、文化のために使わないお金は、いくらため込んだところで死蔵にすぎません。
円山応挙も三井家の支援を得て絵を描いたひとり。
目玉は、円山応挙の「雪松図」です。今回の展示では、これを見れば満足なのです。
「雪松図」は、二双六曲。左は若い松、右は老松で、雪をかぶった左右の松が凛として立っています。春庭コラム正月2日に、この雪松図のうちの左側、若い松のほうをUPしておきました。今回は、右側の老松をUP。

雪をかぶった木の姿は、ふだんはよたっているような木でも、何がなし凛としたたたずまいを見せるもので、1月28日月曜日の朝に東京に降った雪も、7時すぎから降り始めて、8時半には止んでしまうはかない雪でしたが、降っているあいだの木々の白い枝のようすは、美しかったです。
泉屋博古館も、お金持ちの道楽収集を展示しています。
住友家も江戸時代から続く財閥。明治以後の近代会社としての祖にあたる住友家第15代当主春翠が蒐集した数々のお宝。春翠は青銅器コレクターとして眼力を持ち、中国古銅器と鏡鑑のすぐれた品が収蔵されています。
1月の展示は「吉祥のかたち」と題された収蔵品点でした。私には、古代中国青銅器の良し悪しはさっぱりわかりませんでしたが、伊藤若冲の「海棠目白図」を見ただけで、十分に満足。

三井の応挙雪松図、住友の若冲海棠目白図。日頃は斜に構えている「お金持ち」へのすねた気持ちをひとまず置いといて、よくぞ海外流出などさせずに、収集保存して下さった、と、感謝する気持ちにもなります。
雪の中を出かけた1月14日の泉屋博古館でしたが、見に行った甲斐があったというものです。
「目白押し」という慣用句、「動物を使ったことわざ成句」のひとつで、「蜘蛛の子を散らす」なんて句とともに、今や人が日常生活で目にすることもなくなった光景ですが、若冲の絵「海棠目白図」を見れば、本当に目白が押し合いへし合い、大きな枝があるにもかかわらず、ひとつ所に寄り集まってぎゅーぎゅーに詰め寄っているようすがわかって、「目白押し」という語への合点がいきます。

<つづく>
ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(3)ニューオータニ美術館、三井美術館
ニューオータニ美術館も館所蔵品展で、新春展というタイトル。ふたつの展示室のうち、ひとつは洋画、ひとつは日本画の展示です。
お金持ちになった人というのは、お金ができると次は権力とか名誉とかがほしくなるものだそうです。
「名画名品を集めて我がものとしたい」という欲望も、お金持ちにはつきものみたいです。
ニューオータニ美術館を建てた大谷米太郎。貧農の家に生まれ、大相撲の力士として食べていこうとして怪我で関取にはなれず、一念発起。大正昭和の激動をかいくぐって一代で財産を築きました。大金持ちになった晩年には、絵画骨董集めを始めました。
ニューオータニ美術館も館所蔵品展で、新春展というタイトル。ふたつの展示室のうち、ひとつは洋画、ひとつは日本画の展示です。
洋画のほう、ベルナール・ビュッフェ、マリー・ローランサン、ブラマンクなどが並べられていました。
ビュッフェは、ニューオータニホテルを飾るための絵を何枚か描いていて、オータニ美術館の所蔵作品も多い。
「」は、北海道ニューオータニホテルの壁を飾るための絵だそうです。

今回見たなかでは、ビュッフェの横長の静物をはじめて見ました。

そんな一代成金から見ると、三井家は戦国の世の終わりとともに松坂から台頭して「越後屋」として江戸年間を通じて商売を拡大していった300年の金持ち一族です。
明治の世には政商財閥として力をふるい、男爵を叙爵。代々集めたお宝も、重代の所蔵品が山積み。三井家では、代々茶の湯が推奨されていたため、茶道具の逸品も数多く所蔵されています。
三井記念美術館は、江戸の豪商から近代財閥となった三井家の、日本橋室町の本拠地三井本館に設立されています。建物は、1929(昭和4)年に設立されたもので、現在は重要文化財。7階に上っていくエレベーターの扉も、重厚な感じのする木製で、我が団地の安っぽいエレベータードアとは雰囲気が異なります。
正月にふさわしい展示ということで、年末年始の展示は「ゆくとしくるとし」と題された、所蔵の茶道具や絵画の展覧会です。私はお茶をしないので、茶道具はささっと眺めるだけ。私なぞ、ダイソーで売っている300円の抹茶茶碗も、三井美術館に展示されている国宝級の名物道具も区別つかないのですから、ガラスケースに展示してある茶杓茶碗も、ただ「ハー、これでお茶飲んだら美味いのか」と思いながら眺めていきました。
三井家は名物茶器を集めるためだけに有り余るお金を使ったのではありません。同時代に生きている画家のパトロンとして、画家に絵を描かせました。金持ちは積極的に同時代の芸術家のパトロン(支援者、講演者)となり、若い芸術家や科学者、学者への支援活動パトロネージュをすべきです。他者のため、文化のために使わないお金は、いくらため込んだところで死蔵にすぎません。
円山応挙も三井家の支援を得て絵を描いたひとり。
目玉は、円山応挙の「雪松図」です。今回の展示では、これを見れば満足なのです。
「雪松図」は、二双六曲。左は若い松、右は老松で、雪をかぶった左右の松が凛として立っています。春庭コラム正月2日に、この雪松図のうちの左側、若い松のほうをUPしておきました。今回は、右側の老松をUP。

雪をかぶった木の姿は、ふだんはよたっているような木でも、何がなし凛としたたたずまいを見せるもので、1月28日月曜日の朝に東京に降った雪も、7時すぎから降り始めて、8時半には止んでしまうはかない雪でしたが、降っているあいだの木々の白い枝のようすは、美しかったです。
泉屋博古館も、お金持ちの道楽収集を展示しています。
住友家も江戸時代から続く財閥。明治以後の近代会社としての祖にあたる住友家第15代当主春翠が蒐集した数々のお宝。春翠は青銅器コレクターとして眼力を持ち、中国古銅器と鏡鑑のすぐれた品が収蔵されています。
1月の展示は「吉祥のかたち」と題された収蔵品点でした。私には、古代中国青銅器の良し悪しはさっぱりわかりませんでしたが、伊藤若冲の「海棠目白図」を見ただけで、十分に満足。

三井の応挙雪松図、住友の若冲海棠目白図。日頃は斜に構えている「お金持ち」へのすねた気持ちをひとまず置いといて、よくぞ海外流出などさせずに、収集保存して下さった、と、感謝する気持ちにもなります。
雪の中を出かけた1月14日の泉屋博古館でしたが、見に行った甲斐があったというものです。
「目白押し」という慣用句、「動物を使ったことわざ成句」のひとつで、「蜘蛛の子を散らす」なんて句とともに、今や人が日常生活で目にすることもなくなった光景ですが、若冲の絵「海棠目白図」を見れば、本当に目白が押し合いへし合い、大きな枝があるにもかかわらず、ひとつ所に寄り集まってぎゅーぎゅーに詰め寄っているようすがわかって、「目白押し」という語への合点がいきます。

<つづく>