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ぽかぽか春庭「10年前の1月下旬3」

2013-01-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/16
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ三色七味日記2003年1月(6)10年前の1月下旬3

 春庭日記2003年1月コピーのつづきです。

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2003/01/28 火 晴れ 
ニッポニア教師日誌>パレスに住むエンペラの顔

 漢字、会話2コマ。

 「~ことがあります」の経験を述べる文型。前に、学生たちに見せてもらった冬休み中の写真の話題から導入。

 ディズニーランドへ行った、初詣に神社へ行ったなど、いろいろなこれまでに出かけたことやホームステイで体験したことを出してもらい、「~ことがあります」の文を作る。

 ジョナたちは、冬休みのはじめに皆で東京へ行ってきたそう。クリスマスイブイブ、すなわち天皇誕生日であるからしてパレス見物をしてきた。
 「日本のお金にはエンペラの写真がありません。私たちはエンペラの顔を知りません。パレスで顔を見ることができました」と無邪気に喜んでいた。
 「エンペラの顔はハンサムでしたか」「遠くから見たので、よくわかりません。」

 私の例文、「ジョナさんは東京のパレスに行ったことがあります。私はまだパレスに行ったことがありません。エンペラに会ったことがありません。エンプレスと話したことがありません」
 「文化勲章をもらうときにパレスの中へ行きますから、それまでは行きません」と言ってみたが、この冗談は留学生には通じなかった。

 そして「皇居」と言わず、あえて彼らが使った英語のパレスということばをそのまま外来語として用いた例文の語感も、留学生には通じないだろう。
 コーキョと発音するときにまつわりついているイカメシイものが、パレスと言ったとたんに身軽になり「なんとかパレス」という、街のパチンコ屋かリゾート地のストリップ劇場のような語感が出てくるから、外来語魔法のあら不思議。エンペラと発音すると、テンペラやカンペラの仲間みたいになって、いかめしさが消える。

 「昨日友達とchurthに行きました」という学生に「チャーチ、日本語で教会。きのう友達と教会へ行きました。はい、リピートアフターミー」と言いなおしさせるときもあるのに、パレスは皇居と言い直しをされられないのはなぜか、なんて学生は気づかない。

 外来語語感について、宮沢章夫が『茫然とする技術』所収「NHK英語講座テキスト」に書いていた文がおもしろくて笑えた。外来語語感についてこれほど卓抜な感性をほかにしらない。『茫然とする技術』図書館で借りた本だけど、文庫になったら絶対に買う。

本日のきわみ:「不敬のきわみ」なり、と、逮捕されることはない時代でよかった

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2003/01/29 水 晴れ
ことばの知恵の輪>知らない日本語

 午前中、Aダンス。

 午後、辞書全読をはじめる。語彙数調査のため、辞書に出ている単語を全部読み、未知の語を調査する。日本語教師としてなかなかの職業訓練といえばいえるし、単なる暇つぶしとも言える。

 とりあえず岩波国語辞書を読み、漢和と古語辞典で補足。
 NTTの語彙数調査のリストで調べたのでは、私の日本語語彙数は約6万語と分かったので、岩波国語辞書に搭載されている57000語は、ほとんど知っているはずという前提で読み始めた。
 だが、実際には未知語があるある。後半から初めて、は段からわ段へ。あ段へ戻って、か段へ。あと「さ、た、な」が残っている。

 特殊な専門用語ならいざ知らず、一般国語辞書に搭載されている語で知らない語があろうかと思ったのに、思い上がってはいけない。知らない語がやはりある。

 あ段で知らなかった語は4語。「文色(あいろ)」「「烏兎(うと、金烏玉兎の略)」「燕雀鴻鵠(えんじゃくこうこく、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、から来た四字熟語」「笈摺(おいずる)」を知らなかった。

 燕雀鴻鵠は四字熟語だから、四字熟語の中には知らない語もたくさんあるはず、と納得できるのだが、文色、笈摺、烏兎の三語、これまでに文の中で見た記憶がなく、意味を初めて知った。

 烏兎は日月の意。神武天皇が金色の烏を肩に乗せているのは挿絵で見て知っていて、金の烏が日の神のシンボルと知っていたのに、中国古語で金烏玉兎は太陽と月を表すというのを初めて知った。玉兎の字は知っていたが、玉のように丸っこいかわいい兎と思っていて月のシンボルとは知らなかった。無知?
 ところが、娘と息子はこの「烏兎」の語と意味を知っていた。なぜなら、RPGゲームの戦いの技の中に「烏兎」という技があるからだ。烏兎の技を使うと、敵をすごいパワーでやっつけることができるのだそうだ。

 笈摺は、巡礼が笈を背負うときに背中が摺れるのを防ぐための上着という。
 ま、これは現代では四国遍路専門用語のうちに入るのかもしれない。昔は巡礼お遍路がどの家の門口にも立ち寄ったのだから、皆この語を知っていたのかも。

 子供の頃、お遍路姿の人が門口に立つとお母さんは米や麦をお椀にひとつあげて、「お通りください」と言っていた。彼らは仕事を持っている人が宗教心にめざめて一念発起で巡礼に出るのではなく、「お遍路専門」である人なのだと言う。だから私はお遍路というのは乞食のことだと思っていた。
 芝居の中で子役が甲高い声で「ジュンレーにゴホーシャー」と叫ぶのは、乞食のものごいだと思っていた。「巡礼専門職」の人々は、笈など背負っていなかったから、笈摺というものを見たことも聞いたこともなかった。

本日のひがみ:RPGの技「烏兎」を知っている子供、しらない日本語教師

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2003/01/30 木 曇り
ことばの知恵の輪>辞書全読

 辞書全読続き。
 「暇じゃないのに暇つぶし」とはいえ、辞書一冊で一日中遊べて、娘に「お母さん安上がりに楽しめていいね」と言われた。三省堂例解古語辞典なんか、古本屋で100円で買ったものなのだ。100円で3年は遊べる。

 「文色あいろ」は「様子、ものの区別」の意。
 検索してみると、ガマの油売りの口上の中に出てくる。そしてガマの油売り口上は、興津要編『古典落語下』に収録されている。
 埃をかぶっている古典落語を、棚から取り出して調べてみれば、私はたぶん、一度はこの語を目にしたことがあるはずなのだ。
 でも「アヤメも知らぬ恋の道かな」の菖蒲と文目の「あや」は知っていたが「あやいろ」が略されて「文色あいろ」となった、というのは、まったく脳の引き出しにしまってなかった。

 落語や物売り口上は意味を詮索するより、語呂のよい音声を楽しみながら聞き流し読み流しをするから、口上の中に「さあ、ご用とお急ぎでない方はゆっくりと見ておいで。遠目山越傘のうち、ものの文色(あいろ)と理方がわからぬ。」という文を一度目にしたくらいでは、右から左へ文字が流れて通り過ぎただけだったのだろう。
 広辞苑の出典では、団扇曾我からの引用。浄瑠璃はいくつかは読んだが、団扇曾我は読んでないから、これは知らなくても当然。

 か段では懸魚、戒ちょく、花梗、何首烏(かしゅう)華しょの国、空えずき(からえずき)硯北、を知らなかった。
 四字熟語「五風十雨」は、知らなかったけど、文字から意味はだいたいわかる。

 かしゅうなんて「何首烏」という文字を見てもぜったいに意味はわからない。「つるどくだみの塊根。漢方で健胃、強壮剤とする」とある。漢方薬専門家とか、健康オタク以外で、フツー知っているか、こんな言葉。

 しかし、息子は私が知らなかった「花梗」を知っていて、「そんなの小学校の理科で習う言葉でしょう」と言う。そうか?私は「植物には、根と茎と葉と花がある」と習っただけで、茎を花梗というなんて聞いたこともなかった。園芸専門家や花屋は知っている言葉だろうけど。
 小学校で習ったという、息子の出典は、塾で使っていたテキストだと推測する。

本日のひがみ:おそるべし中学受験用理科テキスト。

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2003/01/31 金 晴れ 
日常茶飯事典>隣町に単身赴任中の夫

 ビデオ会話3コマ。

 夕食を食べながら、娘が「そういえば、今日はパピイの誕生日」と言う。
 数日前に、もうすぐ柿実さんの誕生日、と31日を意識したのだけれど、今日は忘れていた。柿実さんの誕生日は夫の誕生日と同日。

 夫は「生まれた日を祝う必要はない。クリスマスだ正月だと、家族がいっしょにすごすなんてのは、くだらない。子供の運動会だ学芸会だと親が学校へいそいそと出かけるのは、ばかみたいだ」と言って、家族といっしょにすごすことを、すべて否定してきた。
 夫は「家庭に安住する」という生き方は、「男のダンディズム」に反し、「世界中を放浪し、最後は野垂れ死にする」という、あこがれの生き方から遠ざかることだと思っている。

 お誕生日は1年365日の中で1度しか祝えないから、非誕生日を祝うことにする、1年364日が非誕生日のお祝い!というのが、ルイス・キャロルの『アリス』に出てくる「帽子屋と三月兎」の、「非誕生日おめでとう!」だった。Happy unbirthday!
 でも、1年にたった1度だからこそ、非日常としてお祝いするのだし、昨日と同じお日様と分っていても、元旦の日の出は特別な「初日の出」なのだ。

 よその家では「日常生活」である「家にお父さんがいる毎日」が、我が家では「お父さんがいっしょに家庭ですごす特別な日」。Happy everyday with daddy! と、Happy special day with daddy! どちらがお祝いすべき日になのか。

 幼い頃、息子は、「よその家では、お父さんが夜いっしょに夕ご飯を食べる」と知って、びっくりした。「お父さん」というのは、気が向いたときに、ふらりと家にやってくる人をいう言葉だと思っていたのだ。
 娘は、運動会に参加して、いっしょに親子競技に出てくれる友だちのお父さんをうらやんだりしながら成長した。それでもふたりとも決して父親を否定したり嫌ったりしないで育ってきたのは、私の薫陶よろしきを得たからである。

 テレビドラマで家庭崩壊劇を見ながら、「う~ん、ヨソんちが壊れていくのを、端から見ている分には面白いけど。うちなんか、最初っからぶっこわれているんだから、よその人から見たら、完全崩壊済み家庭かもね」と言って、娘と息子で笑っている。

 「でもさあ、お父さんの場合、単身赴任中というべきなんだろうか、別居というべきなんだろうか」と息子。「最初のうちいっしょにいたのなら別居という表現もいいけれど、最初から家にいないんだから、別居したというのは変でしょう。よそで仕事をしている人がたまにたずねてくる、というのは、なんと言うべきなんでしょかね」と娘。
 「お父さんが家にやってくる日」が、月に一度、二ヶ月に一度と、どんどん少なくなっていく。そのうち、1年に1度のお祝い日になるだろう。

 で、2月4日と7日のどちらが舅の誕生日でどちらが姑の誕生日か、未だに判別しないのだが、ま、どっちでもいいから息子をおばあちゃんの家へやることにする。やはり、誕生日は、1年1度の大切な日。 

本日のうらみ:、ともあれ、ハッピィバースディ!妻からのお祝いの気持ちをあなたへ!切手のない贈り物。わたしからあなたへ、この気持ち、届けよう、、、、届きそうもないけど。


<おわり>

もんじゃ(文蛇)の足跡:2013/01/12
 以上、10年前もまったく変わらない食うや食わずの日常を送っていたことがわかります。
 今年、2013年の1月31日、夫は誕生日プレゼントとして何を要求してきたかというと。
「会社の運転資金が足りないから、お金貸してくれ。返すあてはないけれど」
 娘は「貸すな」という。自分でやりくりできずに倒産してしまうような会社なら、つぶれてしまってもいいのだと。
 これまでさんざん家族を犠牲にしてきて、娘の奨学金も私の出稼ぎ賃金も会社資金につぎ込んでしまった。いっさい家族を思いやることもなく好き勝手に生きてきた父に、これ以上甘い顔しなくてもいいのだと。
 私もそう思うのだけれど。「趣味の会社経営」ができなくなって、「小さいながらも一国一城の主」というアイデンティティがなくなってしまったら、この人は生きて行けないだろうと思う。

 33年前、「一生ひとり身で、世界放浪ジャーナリストとして写真を撮って生きて行きたい」と言っていた夫。
 彼の一生の方向を変えてしまった責任を感じるのも、いいかげんに卒業してもいいんじゃないかと、思いますが。彼に言わせると「別段家族に責任を感じてフリージャーナリスト志望を変えたんじゃなくて、結婚後、フィリピンやケニア、タイ奥地を回ってみて、自分にはできないと、能力の限界を感じたからだ」とのことですけど。
 さて「返すあてはない」というお金を貸してやるべきか否や。次に顔あわせるのは、2月はじめの姑の誕生日祝いの食事会になるだろうけれど。それまでには思案しときましょ。一生「ダメンズウォーカー」で歩くのもわが人生かと。
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