
国会図書館所蔵「千虫譜(上)より アゲハと蛾」
2013/03/06
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>新語旧語(2)てふてふ
仕事柄、新旧のことば、外来語などへのアンテナは張っているつもりですが、どうにも感度の悪いアンテナなので、ことばの達人たちの言語感覚の鋭さに驚かされてばかりいます。
蝶ちょうという語、ごく普通のことばとして使っていて、特別なことばと思ったことはありませんでした。
湯沢質幸『古代日本人と外国語』を読んで、飛鳥時代以前から奈良平安初期の日本がどのように漢字文化を受け入れてきたか、ということについて、ずいぶんと知識が広がりましたが、ひとつひとつの語についてのアンテナ感度が上がったわけではなく、ひとつひとつ教わるたびに、ああ、そうなのか、と感心しています。
司馬遼太郎の『歴史の世界から』に所収の「蝶への思い」というエッセイを読んで、あらためてことばへの鋭敏な感覚を持つ人への感嘆の思いを深めました。
司馬は、蝶のなかでモンシロチョウが一番好きだと述べ、「蝶」には和語が伝わっていない、と書いています。
「私は、蝶という詞が、上代日本人にとって外国語であることが気になっている。蝶、音はテフ。テフという古い中国語の音は、蝶がその翅をにわかに昼返すような飛び方をするところからきている。
人間の暮らしの中にありふれて存在しているこの鱗翅目の昆虫をよぶのに、わざわざ外来語を使ったという上代日本人というのは、どういう事情によっているのであろう。しかも、上代日本語ので蝶をどう言うのか、言葉が伝わっていないのである。」(初出:季刊アニマ1976年4月)
司馬は、万葉集事典を確認して万葉集の中で蝶を詠んだ和歌はひとつもなく、万葉集にわずかに出ている漢詩の中に「庭には新しき蝶(テフ)舞ひ」などの句が出てくるのみと言います。
しかし、司馬は、「古語、和語が標準語として伝わらなかった」ことを述べるのみで、方言については言及していません。
司馬にならって古語辞典を確認してみれば、蛾の古称として「比々流ひひる」があります。日本書紀には、持統天皇六年に越前の国司が「白き比々流を献れり」と書かれています。漢文で書かれた日本書紀ですから、テフ蝶々であるなら、「蝶」と書いたとおもわれますので、「白き比々流」は、大きな白い蛾であったのかとも思われます。
また、平安時代に編纂された漢和辞典である『新撰字鏡』には、蝶(ちょう)の古名として「かはひらこ」という語が出ているのだそう。(新鮮字鏡が手元にないので、孫引きですみません)
この「かはひらこ」は、方言として残存している地方があり、江戸時代の方言集には、わが故郷上州(群馬県)と野州(栃木県)で、「かわびらこ」と呼んでいたというのです。知りませんでした。「ちょうちょ」以外には聞いたことがありませんでしたので。
万葉集に詠まれている虫は、秋に鳴く虫の総称として蟋蟀(こほろぎ)が出てきます。また、蛍も詠まれています。しかし、平安時代になっても、清少納言は『枕草子』に、趣がある虫の一つとして「てふ蝶」を上げるのみ。『枕草子』(223段)に、中宮定子のことばとして「みな人の花や蝶やと急ぐ日も わが心をば君ぞ知りける」と書かれていますが、清少納言自身が蝶を愛でたり形の美しさを誉めたりという文章はありません。
♪ちょうちょ、ちょうちょ菜の葉にとまれ、菜の葉に飽いたら、桜にとまれ、と春になればまっさきに歌っていたのに、昔は「ちょうちょう」を「テフテフ」と書いたということを習ったあとも、「テフ」が音読みであって訓読みはない、と言うことに気づきませんでした。
「山」は、訓読み「やま」、音読み(古代中国音)「サン」、現代中国語では「シャン」。「花」は訓読み「はな」、音読み「カ」、現代中国語では「ファ」と、留学生への漢字教育でも解説してきたのに、蝶の古代日本語発音「テフ」も現代発音「チョウ」も音読みであることに気づかなかったのです。
現代中国語では、チョウは蝴蝶(hudieフーディー)で、古代中国語の「テフ」と言う発音は、現代では「ディー」と変化していることがわかります。また、古代日本語でちょうちょのことを「胡蝶こちょう」と言ったと同じく、現代中国語でも「蝴蝶」で、蝶は西域からもたらされたものとして意識されていることが分かります。
これは、中国においても長らく蝶は「霊魂」と結びつけられて神聖視タブー視され、漢王朝が崩壊して南北朝時代になるまで、蝶は宮廷の詩文や絵画、文様とすることを避けられてきたという歴史があるからです。荘子の「胡蝶の夢」も、「胡蝶=異国の蝶、西域から来た蝶」としているのは、蝶が特別な虫であり、現代中国語でも「蝴蝶」なのだと思います。
春になれば、野にも畑にも蝶が飛び交い、縄文時代にも弥生時代にもちょうちょを目にしないことはなかったと思うのに、なぜ和語として残っていないのでしょうか。
アイヌ語にはいろいろな方言がありますが、蝶については、マレウレウ「ma(泳ぐ)rewrew(とまりとまりする)」というそうです。ひらひら飛んで、葉の上でとまる、蝶の生態をよく捉えた命名だと思います。
さて、蝶テフという発音が日本に伝わる前、蝶はどのように見られ、どのように命名されていたのでしょうか。
世界中の古代神話で、空飛ぶ鳥や蝶は「魂を運ぶもの」として見られてきました。日本神話にも、日本武尊が亡くなると、白い鳥になって天翔けていった、という伝説が書かれています。
蝶が魂を運ぶという意識は古代日本にもあって、蝶がことばとして口に上ることを忌む風習があったのではないか、「神」の名を直接口にすることがはばかられたのと同じに、人の魂の表れである蝶をことばにして話題にしてはいけなかったではないかと想像されます。
以下、日本語「蝶」について調べたことをいくつか。
標準語が定められたのは、明治時代。上田万年らが中心となって、制定されました。全国から徴兵された兵士が、軍隊に於いて統一した言語で号令がかけられるよう、また、全国に広がっていく学校教育において、教科書を統一するために、標準語が必要とされました。
このとき、蝶は表記は「てふ」発音は「ちょう」として、教科書に載りました。
明治以前には、それぞれの地方の方言ではお互いに話が伝わらず、謡曲のうたいのことばで会話した、などという逸話も残っています。
蝶の呼び名も各地で異なっていました。江戸時代には、花譜や虫譜など、博物誌を編纂する大名も多く、多くの博物誌が美しい植物画昆虫画とともに残されています。
『倭訓栞』は、1777~1887(安永6~明治20)年の百年をかけて編纂された百科事典で、全3編からなり、前編には古語・雅語、中編には雅語、後編には方言・俗語を収録しています。
『倭訓栞』にも、蝶は、「てふ」であるとして、この発音は、音読み、つまり古代中国の呼び方であると紹介しています。その上で、各地の方言の紹介もあります。
関東・南奥州では「てふま」、津軽では「かにべ」あるいは「てこな」、越後では「ふまつべったら」、信濃では「あまびら」、西国では「ひるろう」、伊勢では「ひいろ」。
ひるろう、ひら、ひいろ、へら、などは、古語の「比々流ひひる」から伝わった「蛾も含む、野を飛ぶ虫の総称」であろうと思います。
『重修本草綱目』では、古歌に「からてふ」というとした上で、さらに詳しく各地の蝶の呼び名を挙げています。京都では「ちょてふ」、江戸では「てふてふ」といい、野州(群馬・栃木)では「かわびらこ」あるいは「てふてふばこ」
沖縄では「てびらこ」
以下、次回に解説。
<つづく>