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ぽかぽか春庭「大鎚の宝物展」

2013-03-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/03/13
ぽかぽか春庭@アート散歩>記憶と記録・写真を見る(1)写真展「大鎚の宝物」

 2011,3.11の被災地のひとつ岩手県三陸地方の大鎚町。被災直後は、海から内陸側に入った場所に建つ民宿の屋根の上に観光船「はまゆり」が乗り上げた写真が世界中に報道され、強い衝撃を与えました。


 町長ほか、1200人もの死者行方不明者が出ました。人口は現在12000人ほど。人口の1割が亡くなってしまったのです。

 私が地震前に大鎚町について知っていたことといえば、井上ひさしの『吉里吉里人』の独立国吉里吉里国の名前の元になった吉里吉里地区があること。『ひょっこりひょうたん島』のモデルになった「蓬莱島」があったことくらい。


 そして、地震後の大鎚町について知っていることといえば、観光船はまゆりは、民宿の上に乗ったままでは安全が保障できないというので、解体されてしまったことくらい。

 復興もなっていないまま、被災地への支援は減っていき、復興のために集められた資金のうち、他の県の産業に使われてしまったという報道もありました。被災地から遠い中部や近畿の県で工場を建てれば、被災地で職を失った人を雇えるかもしれないから、被災地対策になる、という理屈なのだそうです。ささやかながら寄付をした私だってだまされた気分なのですから、被災地の人にとっては、釈然としないお金の使い方に思えたことでしょう。いったい何人の被災者がこれらの工場に就職できたというのでしょうか。

 また、「がれき処理する」と言って、処理費用として何百億円ものお金を受け取っておきながら「住民の反対があったから、がれき処理は行えない」と、沙汰止みになってしまった自治体があり、仕事を受けたゼネコンが処理費用だけ受け取って大もうけしただけだった、というニュースも読みました。

 こんなわけのわからない復興資金の使い方に腹が立って、私はたとえささやかなお金の使い方であっても、通常の商取引として直接地元の人にきちんと届けられると思い、おもに「買い物」をしています。池袋の宮城テナントショップでの海産物買い物はときどきしていますが、岩手のものは、日本橋や銀座に出たとき東銀座まで足を伸ばして「いわて銀河プラザ」での買い物。こちらはあまり頻繁には行けません。池袋に比べて銀座は私にはちょっと遠い感じ。

 3・11の特集として、被災地の今のようすがいろいろ報道されました。私の見た番組の中でも、大鎚町ワカメ養殖産業復興へ向けての取り組みが取り上げられていました。ワカメ養殖業に携わっていた人々も津波で流され、働き手が半減してしまったのですが、夏の間はえなわ漁業に従事する漁師さんが、冬の間ワカメ養殖で働くという仕組みです。

 また、避難所の中で女性がはじめた取り組みとして、刺し子製品の制作と販売が報道されていました。職を失い、はじめは避難所でぼうっとしてすることがなかった女性たちが、伝統の刺し子を作り始め、糸と針でコースター、ふきん、ランチョンマット、Tシャツなどに刺繍をし、それを全国に販売するという「大鎚復興刺し子プロジェクト」

 もうひとつ、元気をなくしてしまったじいちゃんばあちゃんに、デジカメの使い方を覚えてもらい、写真を撮って町の様子を発信していくというプロジェクト。
 「未来のために今日を記録する」という活動のひとつとして、地元のじいちゃんばあちゃんたちがデジカメの操作を一から習い、シャッターを切って記録した写真展「大鎚の宝物」展を東京でも開催することを知り、3月8日に見に行って来ました。

 地域新聞の発行も、大事なメディアとして大鎚の今を伝えています。
 三陸では、津波で輪転機も水没し、地域日刊紙「岩手東海新聞」が休刊してしまいました。地域の情報を伝えるメディアがなくなってしまったあと、大槌コミュニティの再生、地域復興を後押しする“住民主体の地域メディア”として2012年9月に創刊号が発行されました。大鎚みらい新聞、地域の新聞です。
http://otsuchinews.net/

 忘れられてなるものか、という自己主張を形にして、じいちゃんばあちゃんたちは慣れないデジカメを片手に、地元からの発信を志しました。
 写真展「大鎚の宝物」には、じいちゃんばあちゃんにとっての「大切なもの」が撮影され、目黒の小さなギャラリー「やさしい予感」http://www.yokan.info/ に展示されていました。


 「優しい予感」は、目黒長者丸という住宅地の中の築50年民家を改装したギャラリーです。1階は岩手県立不来方高等学校芸術学系15期生による作品展「ふるさとを想う」
 9人の卒業生、現在はイタリアや沖縄に在住している人もいますが、集まってそれぞれの作品を展示しています。

 作品展示の他に、ポストカード・CDなどの売り上げ金の50%を義援金として寄付するということなので、私もささやかな協力として、気にいった絵のポストカードを買いました。


 普通の家を改装したギャラリーなので、階段も廊下も狭いのですが、2階のふたつのスペースにじいちゃんばあちゃんの撮影した「私の宝物」が展示されていました。大根が干され並んでいる写真、かわいいペット、孫の成人式などなど、宝物は人によってさまざまですが、故郷に心寄せ、人々の中で暮らしていくことの喜びが表現されていました。



 私は、菜の花の咲く川岸で親子がなかよく遊んでいるようすの絵はがきを買いました。青い鳥さんに送ろうと思って。
 大鎚みらい新聞も売っていたので購入。


 狭い会場なので、平日金曜日でもずいぶんと混み合っている感じを受けました。土日はたいへんだったんじゃないかと思いますが、見に行った方々、ちゃんと写真を見ることができたかな。

https://readyfor.jp/projects/takarabako

 復興への道のりは、決して平坦ではないようです。大鎚みらい新聞の最新号(第6号)も、一面は震災後の御神楽復活という明るい話題ですが、裏面は、復旧担当として他県から派遣されてきた職員が長時間残業で疲れ果てた末に自殺してしまったという記事でした。昨年11月と12月の残業時間は2ヶ月で180時間。8時間労働の倍の時間を仕事に費やす、一日あたり8~9時間以上の残業。正月に自殺。何があったのかは心の中までわかりませんが、疲労も大きな原因であるのでしょう。
 なんだかつらくなる地元の記事でした。

 そんな中、大槻の高齢者が元気に写真をとっているようすには励まされました。会場に写真を見にきていた女性のひとり、かって大鎚にボランティア支援で応援に行った人のようで、大鎚で出会ったおばさんと再会して、会場内で肩もみボランティアを始めました。きっと避難所を訪問して、「肩もみ隊」などで被災者の心をいやしていたのでしょう。会場での肩もみボランティア、暖かい光景でした。


 「大鎚の宝物」の紹介、ありがとう。
 ひとりひとりの宝物を大切にしていくことで、地元の人も元気づけるだろうし、写真を見せてもらった私も、私なりの心の宝物を大切にして行きたいという気持ちをわけてもらいました。

<つづく>
コメント (5)
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