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ぽかぽか春庭「二人の写真家展その2崩れ落ちる兵士の真実」

2013-03-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/03/26
ぽかぽか春庭@アート散歩>記憶と記録 写真を見る(10)二人の写真家展その2崩れ落ちる兵士の真実

 横浜美術館の「二人の写真家展 ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー」、第5展示室には、有名な「崩れ落ちる兵士」「ノルマンディ上陸の日」のほか、1932年に、群衆に紛れて盗撮したという「コペンハーゲンで講演するトロツキー」をはじめ、パリの人民戦線時代の写真、スペイン内乱の写真、ノルマンディー上陸作戦の写真など、有名写真が時代順に並んでいます。

 後期の写真では、中国取材、日本取材の写真もありました。1954年4月に、写真雑誌「カメラ毎日」の創刊記念に日本に招待されたときの写真です。平和な日本を撮影した写真のコーナー。小さな子をおんぶした写真や、親子連れ行楽の写真など、日本の人々を温かい目で見つめるキャパのやさしさは伝わりましたが、「これぞキャパ」と目を見張るようなショットは見当たりませんでした。

 彼はやはり戦場でこそ自分の写真が生きると考え、日本での取材のあと、インドシナの戦場へ赴いたのだろうと思います。日本取材から一ヶ月後の1954年5月、インドシナ戦線で、キャパは地雷を踏みます。

 スペイン戦争、第二次世界大戦のノルマンディ上陸作戦などの撮影で、キャパは世界的名声を手に入れました。余生は、日本での撮影のような「安全で心あたたまる」写真を撮ってすごしても、十分に写真家としての名声や冨は維持出来ただろうと思います。それなのに、キャパはインドシナ戦線に行かずにはいられなかった。

 沢木耕太郎は、キャパの最後を見つめ、なぜ、彼は戦争の中に舞い戻ったのか、を追求しました。

 ロバート・キャパ名義で発表されたこの一枚の写真。「崩れ落ちる兵士」
 この一枚は、ピカソの絵「ゲルニカ」、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」と同様に、象徴的な意味を持ってスペイン戦争を世界に知らせることになりました。

 しかし、この一枚について、「ほんとうに撃たれたところを撮影したのか、演出写真じゃないのか」という真贋論争などが続いてきました。弟のコーネル・キャパは、写された兵士について名前も割り出して「演出写真などではない。スペインでの実際に倒れる瞬間の撮影である」と主張しています。

 一方、この兵士はのちに戦死しているけれど、この写真撮影時には、足をすべらせて転んだだけ、という説も出されていて、真相はまだ不明でした。

 また、この当時キャパ(フリードマン)とゲルダが撮った写真は、どちらも「ロバート・キャパ」の名で発表されており、キャパは、ふたりの共同のフォトグラファーネームであった、という事実がわかってきました。この当時、キャパのパートナーであったゲルダ・タローは、自分自身の名での写真発表も行うようになっていたけれど、もともと「ロバート・キャパ」というのは、写真を売り出すために考え出されたフリードマンとゲルダ・タローの共同ペンネームであり、どちらが撮影してもロバート・キャパという名で発表した時期があったのです。

 沢木が持った疑問点は、撮影者はふたりのうちどちらか、ということ。コンピュータでの写真解析、CGなどを駆使して、二人の「ロバート・キャパ」のうち、どちらが真の撮影者だったのか追求していました。 
 沢木の推論では、真の撮影者は、ゲルダ・タローです。
 背景の山の形などの検証により、この一枚はローライフレックスでの撮影である確率が高いことが判明。当時、キャパはライカⅢで、ゲルダはローライフレックスを使用したことがわかっています。

 キャパが写真につけたキャプション「崩れ落ちる兵士」は、この兵士の生死について何も語っていません。「兵士が倒れかかっている」という事実を述べているだけです。でも、写真を送られた雑誌社は、この一枚に「戦場の死の瞬間を捉えた真実の一枚」として世に送り出し、キャパはこの後、この写真については一言も語りませんでした。この一枚が世界中に配信される前に、ゲルダはスペイン戦線で死んでいました。



 ゲルダが1937年にスペイン戦争の戦場で亡くなったあとキャパは『生み出される死』というゲルダとキャパの写真を集めた写真集を発行しました。その中には、「崩れ落ちる兵士」は掲載されていないのです。
 「生み出される死」は会場に展示してありましたが、中の写真全部を見ることはできませんから、「崩れ落ちる兵士」がないということは、私の目で確認したのではありませんけれど。

 ゲルダ・タローが亡くなったあと、キャパは第二次世界大戦のDデー(ノルマンディ上陸作戦)において、自分が撃たれるかもしれない状況で撮影を続け、ついにインドシナ戦争の撮影で地雷を踏んで亡くなりました。沢木は、この、「死に向かってまっしぐら」のような印象さえ受けるキャパの生き方に対して「キャパの十字架」というタイトルをつけたのです。

 このNHKスペシャルはずいぶんと反響を呼び、横浜美術館は、会期もそろそろ終了近くなった平日という日に見に行ったにもかかわらず、ずいぶんと観客が多かったです。
 しかし、人気絵画展の「絵の前に黒山をなす」という程ではなく、写真の前に立ってゆっくり眺めていることもできました。

 次回、「ゲルダ・タローの構図から『崩れ落ちる兵士』を見る」。

<つづく>
コメント (6)
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