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ぽかぽか春庭「二人の写真家展その3ゲルダ・タロー」

2013-03-27 00:00:01 | エッセイ、コラム

ロバート・キャパ撮影「共和軍兵士とゲルダ」

2013/03/27
ぽかぽか春庭@アート散歩>写真を見る(10)二人の写真家展その3ゲルダ・タロー

 横浜美術館には、これまでICP(国際写真センター)のコーネル・キャパ(キャパの弟・写真家)が寄贈した写真が所蔵されていました。今回の写真展は、開館当初から集めてきたキャパの写真に加えて、今回ゲルダ・タローの2007年回顧展のプリントを83点展示しています。

 コーネル・キャパが設立したICPがゲルダの写真を集め、2007年にアメリカで初めての「ゲルダ・タロー写真展」を開催しました。IPCなどでの研究により、ゲルダ・タローの撮影した写真の分類などが進んだことなどを受けての、横浜美術館においての回顧展。
 日本でゲルダ・タローのまとまった展示が行われるのは、初めてです。

 2007年12月に、メキシコシティで見つかった古いスーツケースの中から、126本のフィルムが出てきた、という劇的な出来事がありました。ロバート・キャパの写真スタジオから行方不明になっていたキャパ、ゲルダ・タロー、キャパの友人の戦場写真家デヴィッド・シーモア(1911-1956)のフィルムが入っていたスーツケースです。3人の写真が62年ぶりに明らかになり、2010年にICPから「メキシカンスーツケース」というタイトルで写真集が刊行されました。ゲルダ・タロー作品もこのメキシカンスーツケースからの発見写真が2点展示されていました。

 ロバートキャパは、当初ゲルダとキャパの共有の名前でした。初期のロバート・キャパ名義で発表された写真のうち、ゲルダの撮影したフィルムは、カメラの機種の違いからどちらの撮影なのか、判断できます。しかし、1937年の撮影は、ふたりが同機種のカメラを使用したため、フィルムの段階ではどちらの撮影なのかわからないものも含まれています。

 スペイン内戦時には、「女性も男性とともに行動している」ということが、「国際旅団が平等で、女性を尊重する団体であること」の象徴にもなるので、ゲルダは取材時に女であるからという理由での差別など受けずに、キャパとともに取材ができました。美女ゲルダは、兵士たちの間で人気者でしたし、女性にも信頼を受けていました。

 ゲルダ・タローが撮った写真、どんななのだろうと思って見ました。キャパの写真は雑誌や写真集などで数々見てきましたが、今回はじめてゲルダ・タローの写真をまとめて見ることができたのです。
 1936年にキャパとともに報道写真家としての活動を始めて、1937年の突然の死まで、彼女が撮影できたのは、あまりにも短い期間、1936年8月~37年7月のわずか1年間でした。

 3月13日、風が強い日でしたが、横浜まで出かけて、「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー、二人の写真家」展を14:00~16:00に見てきたのですが、3月15日金曜日16:30~18:00にもう一度見に行きました。同じ展覧会を2度見るのは、昨年の「フェルメール展」以来です。見て来たことを振り返って、気になることが出ると、確かめずにいられなくなるのです。

 何がそんなに気になったか。ゲルダの写真の構図です。
 3月13日に行ったときは、図録を買わずに帰りました。ゲルダの図録とキャパの図録は別冊仕立てで、パラパラとめくってみたとき、横浜美術館所蔵であるキャパの写真は大きな図版で掲載されていたのに、ゲルダの写真はICP(国際写真センター)の所蔵品で貸与展示であるからなのか、写真がとても小さくて、もっと大きな図版なら買うのになあと思って買わずに帰ったのです。しかし、ゲルダの写真が気になって、15日にもう一度行って図録を買いました。

 私がこの写真展を2度見たのは、「写真の構図が気になってのこと」と述べました。ゲルダは、写真を下から仰ぎ見る角度で被写体を捉えることが多く、また、ほとんどの画面に、画面を斜めに対角線を感じる構図で撮影しています。スペイン内乱の撮影、約1年という短期間に集中して撮られていますが、画面から「斜め線の構図」を感じない写真は、83点の展示写真のうち、数枚しかありませんでした。

 ゲルダ・タローの写真は、対角線上に人物や対象物を並べるものが多い。これは、ゲルダの写真を見た人がすぐに気付き、写真評論家や研究者、美術館のキュレーターたちが、こぞって述べていることです。それほど、印象的な構図。
 そして「崩れ落ちる兵士」の構図もまた、斜めの大地が写されています。

 ロバート・キャパの写真。初期の「演説するトロツキー」の写真から、ベトナムで地雷を踏む直前の写真を見ていきます。平時には斜めの構図のものもあるけれど、戦時の写真は、ほとんどが垂直水平を感じる構図になっています。

 沢木耕太郎は、CGなどの解析を通して「崩れ落ちる兵士」は、スペイン共和国軍の演習中に、足を滑らせて転んだ兵士を、ゲルダ・タローが撮影したものであり、キャパは撮影者が当時キャパの名を共同で名乗っていたゲルダであったことを心の十字架として背負い、あえて戦場にとどまった、という結論を出しました。

 私は、構図から見て、「崩れ落ちる兵士」は、ゲルダの撮影であると感じました。ただのカンにすぎませんから、なんの足しにもなっていませんが。

 今回の写真展を通して、「世界初の女性戦場カメラウーマン」に鮮烈な印象を受けました。初期は恋人のフリードマンと共同の名前「ロバート・キャパ」で発表していましたが、名前を共有して写真をとった日はそう長くはありませんでした。
 1937年、キャパのプロポーズを断り、ゲルダは単独での取材と自分自身の「ゲルダ・タロー」名義の写真発表を行うようになりました。
 ときには、キャパとゲルダは同じ場所にいて、同じ対象をそれぞれが異なる距離角度で撮影し、両方の写真が残されています。

ゲルダ・タロー「マラガからの難民、アルメリア」
(1937年2月、ICP蔵)(C)ICP

同じ対象を撮影したキャパとゲルダ。
左キャパ、右ゲルダ


 キャパは、ゲルダより一歩前に出て、異なる角度からこのマラガからの難民をとらえています。会場外にあるキャパとゲルダ・タローの年譜紹介コーナーにふたつの写真が並んで展示されていました。

 図録には、ほかにも共和国兵士を写した写真。女性兵士と男性兵士が並んでくつろいでいる写真や銃を構えている写真がキャパ撮影ゲルダ撮影の2枚並べて掲載されていますが、どちらも、キャパが一歩前に出ています。「他の人より一歩前に出る」というのが、キャパの「写真をとるコツ」になっていたことは、数々のエピソードとして残っていますが、愛するゲルダといっしょの撮影であったとしても、キャパは一歩前に出ずにはいられなかったのだろうと思います。

<つづく>
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