菊地智子 
《バー「零点」の楽屋で踊るヤンヤン、河北省》 2007年
2013/03/14
ぽかぽか春庭@アート散歩>記憶と記録・写真を見る(2)菊池智子この世界とわたしのどこか
写真美術館が1990年に開館したとき、「写真だけの美術館なんてわざわざ見に行く人がいるんだろうか」と思いました。私にとって写真は雑誌のグラビアで見たりカレンダーの風景写真だったり、複製で見れば十分なもので、大量に印刷されることが前提の写真を、なぜ美術館でわざわざ展示するのか、と思えたのです。写真集を図書館で見るのと、美術館に壁に並べて見るのと、どんな違いがあるのかと。
はじめて写真個展を見たのは、『マスードの戦い』などの本で知った写真家長倉洋海の個展で、アフガンの写真を中心にした写真展でした。受付のノートに住所名前を書いたので、それ以来、写真展のお知らせハガキが届くようになり、ハガキが来たら見に行くようになりました。星野道夫の写真にも心惹かれ、娘といっしょに横浜で写真展が開かれたときに見にいったりしました。雑誌のグラビアで見るのと、壁に並べられた写真を見るのとでは、たしかに違う鑑賞の仕方があるのがわかりました。
1994年に恵比寿ガーデンプレイスにオープンしてからは、恵比寿駅からの動く歩道がが好きということもあって、行くようになりました。(東京駅の京葉線までの動く歩道とか、サンシャインシティへの歩道とか、新宿西口とか、動く歩道があるところ、好きです)
報道写真展や写真家の個展展示、映像作品など、季節ごとに東京都写真美術館へ行きます。というのは、「ぐるっとパス」で見ることのできる美術館のひとつが東京都写真美術館だからです。また、1月2日には無料開館されてきたので、正月のおでかけとして、初詣はしなくても写真美術館は見てきました。お賽銭上げるより、無料施設を利用したいというタチなので。
写真美術館、正月に見たのは、3F北井一夫「いつか見た風景」、2F「この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11」、B1F「映像をめぐる冒険vol.5記録は可能か」
2階の展示「この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11」で、一番いいと思ったのは、中国のドラッグクイーンたちを撮影した菊地智子の作品『I and I』。
菊池智子は北京に在住し、2006年から地方から都市部に集まるドラッグ・クィーンをテーマに撮影。
『I and I』より 鏡の前のグイメイ、重慶 2011

対象の内面までを映し出す写真を撮るためには、相手からどれだけ心を許されているか、が重要だと思います。ドラッグクイーン、グイメイやヤンヤンにここまで肉薄できたのは、菊地智子という若いフォトグラファーの人間性であり、人間に関わることの才能だと感じました。
2012年度の『第38回 木村伊兵衛写真賞』の受賞者が2月初めに発表され、どこかで見た名前だと思ったら、この中国ドラッグクイーンの写真の人だった。
私は写真の専門家じゃないから、ただ自分の感性によって見ているだけだし、中国に関心があるから、菊池の作品に一番心惹かれたのだろうと思っていましたが、専門家が木村伊兵衛写真賞を選ぶときもこの人の才能に注目したのだと思うと、私の見方だって、そう悪くないと、菊池さんの受賞がうれしい。今回の審査員は、岩合光昭(写真家)、瀬戸正人(写真家)、鷹野隆大(写真家)、勝又ひろし(アサヒカメラ編集長)。
菊池さん、おめでとう!
菊地智子 「農家で化粧をするパンドラとララ、四川省」2011

農家の納屋かどこかで化粧するパンドラとルル。中国では、「肉体的には男性だけれど、心は女性」という存在は「正しい社会主義」の時代には許される存在ではなかった。それが、解放改革が始まって30年でようやく「認められた」とは言えないけれど、「人前に出てもよい」存在になってきた。わきからのぞき込む四川省の女の子たちにとっては、まだ物珍しい存在なのでしょう。でも、彼ら(彼女ら?)は、もう化粧をしたい自分の心を押し込めない。化粧をしてきれいになっていく自分を押し出していく。
いい写真だなあと思います。
(このページの写真コピーライトは菊池さんにあります。引用許可範囲内であるつもりですが、引用が許可されず、削除申請があった場合削除します。以下、春庭の「写真を見る」シリーズの写真画像引用に関して、ルールは同じ)
<つづく>

《バー「零点」の楽屋で踊るヤンヤン、河北省》 2007年
2013/03/14
ぽかぽか春庭@アート散歩>記憶と記録・写真を見る(2)菊池智子この世界とわたしのどこか
写真美術館が1990年に開館したとき、「写真だけの美術館なんてわざわざ見に行く人がいるんだろうか」と思いました。私にとって写真は雑誌のグラビアで見たりカレンダーの風景写真だったり、複製で見れば十分なもので、大量に印刷されることが前提の写真を、なぜ美術館でわざわざ展示するのか、と思えたのです。写真集を図書館で見るのと、美術館に壁に並べて見るのと、どんな違いがあるのかと。
はじめて写真個展を見たのは、『マスードの戦い』などの本で知った写真家長倉洋海の個展で、アフガンの写真を中心にした写真展でした。受付のノートに住所名前を書いたので、それ以来、写真展のお知らせハガキが届くようになり、ハガキが来たら見に行くようになりました。星野道夫の写真にも心惹かれ、娘といっしょに横浜で写真展が開かれたときに見にいったりしました。雑誌のグラビアで見るのと、壁に並べられた写真を見るのとでは、たしかに違う鑑賞の仕方があるのがわかりました。
1994年に恵比寿ガーデンプレイスにオープンしてからは、恵比寿駅からの動く歩道がが好きということもあって、行くようになりました。(東京駅の京葉線までの動く歩道とか、サンシャインシティへの歩道とか、新宿西口とか、動く歩道があるところ、好きです)
報道写真展や写真家の個展展示、映像作品など、季節ごとに東京都写真美術館へ行きます。というのは、「ぐるっとパス」で見ることのできる美術館のひとつが東京都写真美術館だからです。また、1月2日には無料開館されてきたので、正月のおでかけとして、初詣はしなくても写真美術館は見てきました。お賽銭上げるより、無料施設を利用したいというタチなので。
写真美術館、正月に見たのは、3F北井一夫「いつか見た風景」、2F「この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11」、B1F「映像をめぐる冒険vol.5記録は可能か」
2階の展示「この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11」で、一番いいと思ったのは、中国のドラッグクイーンたちを撮影した菊地智子の作品『I and I』。
菊池智子は北京に在住し、2006年から地方から都市部に集まるドラッグ・クィーンをテーマに撮影。
『I and I』より 鏡の前のグイメイ、重慶 2011

対象の内面までを映し出す写真を撮るためには、相手からどれだけ心を許されているか、が重要だと思います。ドラッグクイーン、グイメイやヤンヤンにここまで肉薄できたのは、菊地智子という若いフォトグラファーの人間性であり、人間に関わることの才能だと感じました。
2012年度の『第38回 木村伊兵衛写真賞』の受賞者が2月初めに発表され、どこかで見た名前だと思ったら、この中国ドラッグクイーンの写真の人だった。
私は写真の専門家じゃないから、ただ自分の感性によって見ているだけだし、中国に関心があるから、菊池の作品に一番心惹かれたのだろうと思っていましたが、専門家が木村伊兵衛写真賞を選ぶときもこの人の才能に注目したのだと思うと、私の見方だって、そう悪くないと、菊池さんの受賞がうれしい。今回の審査員は、岩合光昭(写真家)、瀬戸正人(写真家)、鷹野隆大(写真家)、勝又ひろし(アサヒカメラ編集長)。
菊池さん、おめでとう!
菊地智子 「農家で化粧をするパンドラとララ、四川省」2011

農家の納屋かどこかで化粧するパンドラとルル。中国では、「肉体的には男性だけれど、心は女性」という存在は「正しい社会主義」の時代には許される存在ではなかった。それが、解放改革が始まって30年でようやく「認められた」とは言えないけれど、「人前に出てもよい」存在になってきた。わきからのぞき込む四川省の女の子たちにとっては、まだ物珍しい存在なのでしょう。でも、彼ら(彼女ら?)は、もう化粧をしたい自分の心を押し込めない。化粧をしてきれいになっていく自分を押し出していく。
いい写真だなあと思います。
(このページの写真コピーライトは菊池さんにあります。引用許可範囲内であるつもりですが、引用が許可されず、削除申請があった場合削除します。以下、春庭の「写真を見る」シリーズの写真画像引用に関して、ルールは同じ)
<つづく>