2007年北京胡同の四合院(撮影:春庭)
2013/03/20
ぽかぽか春庭@アート散歩>記憶と記録・写真を見る(6)北京胡同の記憶、春庭の胡同
行くたびに大きな変貌を見せた北京。
1994年に北京に行ったときは、2月に北京に着いた翌朝、朝食前に泊まったホテル民族飯店の周囲を早起きして散歩しました。
古い北京の住宅街「胡同フートン」がホテルの裏手に広がっていました。細い路地がくねくねと続き、伝統的な四合院(しごういん)などの住宅に大勢の人が寄り集まって住んでいました。
このときは、北京に着いた翌朝でもあり、様子が分からなかったので、撮影はしませんでしたが、7月に夫が北京に来たときは、いっしょにこの胡同の路地を散歩しました。胡同の中の床屋で夫が髪を刈っているようすなどを撮影しました。
1994年の9月の帰国時に、同じ民族飯店に泊まったのですが、周囲はすっかりかわっていて、ホテルの周囲の胡同は、ほとんどが取り壊されていました。
2007年に行ったら、北京はさらに変貌していました。北京オリンピック前の時期、観光施設のほかは、町中が新しく作り替えられようとしていた印象です。
北海(ベイハイ)地区周辺の「観光用胡同」のほかは、取り壊されており、取り壊している最中の胡同も多かったです。取り壊している最中を撮影したら、警備員に中国語で怒鳴られました。取り壊しに抵抗している北京市民もいたことを、あとになって知りました。取り壊し反対派の回し者と思われたのかも知れません。
私が撮影した2007年の胡同の写真。
観光客は観光用の胡同を案内されるのですが、私は一人旅で、中国語もできないのにひとりで歩きまわったので、実際の生活の場である胡同に入り込みました。しかし、そこでの見聞は、心のカメラだけに納めて、人が写り込んでしまう撮影は遠慮してしまいました。プロの写真家のように、ズンと入り込んで人物を写すには、ちょいと肝っ玉が小さかった。
胡同の共同厠所で、隣り合わせにかがみ込んでいる婆ちゃんのイキミ声まじりの質問を聞き、話をかわしたことなどが、なつかしい思い出です。中国の共同便所、個室のしきりやドアはありませんので、隣の人と仲良く並んでかがみます。日本人が温泉に真っ裸てみないっしょに入っても恥ずかしいと思わないのと同じで、みないっせいに大部屋(?)のトイレにかがんでも恥ずかしいことはありません。今できの厠所は個室ドアを供えている所も多くなったそうですけれど、そうなると、みんなでいっしょにかがみ込んで世間話の文化もなくなるのかしら。温泉が個室に区切られてしまって、大勢でいっしょに入るお風呂がなくなったら、日本人なら「温泉くらいいっしょに入ったらいいのに」と、さびしく感じるでしょう。
トイレで世間話といっても、私が聞き取れて返事できるのは、「どこから来たんだい」「仕事はなんだね」「給料はいくらもらっている」くらいの質問でしたが。これらの質問はどこでも聞かれるので、返答も暗記してしまった。北京には、地方から標準語の発音でない人々が大勢きているので、私のへんな発音でも「どこの山奥から出てきたのやら」くらいで、婆ちゃんは気にせず話してくれました。
よい写真を撮ったプロのフォトグラファーでも、ドアなしトイレで地元の人の隣に並んでいっしょにかがんだ人はいない、、、、って、自慢にもなりませんけど。
素人の私に撮影できたのは、この程度、という写真です。でも、観光客がひとりもいないところを、一人だけで歩きまわった北京の胡同。私にとっては、思い出深い写真です。
どこかのアパートの屋上に無断で上がって、屋上から四合院の屋根をとった写真は、この角度でこの四合院の屋根を撮影している写真は、世界で私だけが撮影できたと思うので、自分では気に入っています。
この四合院も、2013年の今では取り壊されてビルに変わってしまったと思うので、もし、この四合院に住んでいた人がこの写真を見たとしたら、懐かしいんじゃないかと思います。
このあたりで撮影
炒豆フートンが今残っているだろうか。
取り壊した後の胡同。この写真を撮っていたら、叱られた。
胡同の猫
胡同の路地
胡同の屋根
一部取り壊しが始まっている
北京中央のビル群は、もうこのあたりまで拡大しただろう
右下に柵がある屋上から四合院を撮影
四合院の通り
典型的な四合院の中庭
素人の下手な写真でも、記録としては、のちのち何かの役に立つことがあるかもしれません。この四合院をこの角度から撮影した写真は、たぶん世界でこれだけですから。
もし、この先、北京に行く機会があるとしても、もうこの胡同は取り壊されて高いビルに変わっていることでしょう。地域の記憶のひとつとして、この写真を見て、なつかしく思う人もいるのかも。
<つづく>