2017/07/01
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(1)同音異義語について
愛想ふりまきつつあくまでも低姿勢で「ボスのおおせのままに」と、へいこらしていたほうが、ずっと生きやすいのはわかっています。わかっちゃいるけど、上司にたてつき「あんたの言うこと、私はなっとくできぬ」と言ってしまうのは、性分ですから治らない。
今期もボスと、日本語をめぐって論争をしてしまいました。今後仕事がやりづらくなることはわかっているけれど、かまうもんか、あと半年でおさらばする出講先だもんで。言いたいこと言って、発つ鳥あとをにごしております。
ボスと「日本語観」「日本語教育観」が異なります。
日本語初級のテストで「コーヒーを おみます」と書いた答案。ボスは「正答とせよ」と主張する。外国人の彼は「日本語は道具だから、話が通じればそれでいい」と考える。会話をしていて「コーヒーを おみます」と言ったとしても、それは「コーヒーを 飲みます」と言ったのは推測できるのだから、正答でいい、と、教授はおっしゃる。
私は、日常のコミュニケーションの場で、日本語母語話者が日本語学習者のつたない日本語を推測しつつ受け止め、相手の言わんとすることを理解しようとつとめるのは当然のことと考えます。日常の会話で「コーヒーを おみます」と、外国人が言っても、「飲みたいのだろう」と推測できます。
しかし、筆記試験の答案において、「コーヒーを おみます」を正答とするのなら、筆記試験などしないで、会話試験だけやればいいと思う。ボスがひとりひとりの学生のコミュニケーション能力を、数時間かけて測定すればよい。
それを、試験作成も実施も、非常勤講師に丸投げしておいて、試験の採点において自分の日本語観によって、私の採点をくつがえそうとする。
オーソドックスな日本語というものがあり、それを教科書で教えているなら、その到達度をチェックするのは教師の役割のひとつ。
「コーヒーを おみます、も日本語として正答にせよ」というなら、日本語母語話者としても、日本語教育者としても、納得しかねる。
ボスは、「スラブ語日本語対照研究」の研究者。日本語教育の専門家ではない。彼の研究分野おける業績に対しては、私も敬意を持ちます。しかし、彼の日本語観に私が同調しなければならない、という義理はない。
彼は、「日本語はひらがなだけで表記して、なんの問題もない。理由は、かって漢字表記を採用していた韓国語はハングルだけの表記に変え、ベトナムはアルファベット表記にかえても何の問題もなかったから」と、主張する。
「あしたこうえんへいきますか」ときかれて、公園なのか講演なのか、判断できなかったら、聞き返せばいいだけだそうです。
まず、事実として、韓国のハングル表記の問題点を把握していないことは、彼の勉強不足だと思います。
漢字教育をしなくなって以来、同音異義語の区別ができなくなり、そのために重大な事故さえ起ったことを、彼はまったく知らないか、知っていてもたいしたことはない、と考えているのだろうと思います。
同音異義語による判断ミス。たとえば、今回のワールドカップで、韓国チームは負けました。しかし韓国語をハングル表記すると、「連敗」と「連覇」はどちらも「연패 ヨンパ」で、まったく同じ表記です。テレビ中継でも新聞の見出しでも、ハングック、ヨンパ!と見ただけでは、勝ったのか負けたのかわからないのです。
スラブ語日本語の対照研究に関しては権威かもしれませんが、韓国語の同音異義語問題に関しては、私のほうが知っている。
彼は、「日本語を全部ひらがな書きにしても何の問題も生じない。韓国がハングル表記にしたのだから」と、平気で言ってしまう。その浅薄な日本語観に、日本語言語文化の中に身をおいてきた者としてがまんがならない。そういう言語観の持ち主にである彼と、試験の採点という、彼にとっては「つまらぬこと」で、対立してしまいました。
私の強みはただひとつ。「生意気で扱いにくい非常勤講師」と思われたところで、来年はどうせお役御免になる年齢なので、言いたいことは言ったれや、と開き直っているところ。
言っておきます。
今後浅薄な文部官僚が出てきて「漢字教育が若い学生にとって負担だ」と旗振り始めることがあろうとも、日本語における漢字かな併用表記を変えることなかれ。ワープロがこれだけ発達した現代で、すべての漢字表記にルビを振るのもたやすくなったのだし、漢字表記をしたうえで、かなルビをふればよい、のです。
漢字教育は時間も手間もかかるのですが、1300年にわたる言語文化の根幹を捨ててしまうことはない。紫式部も清少納言も、漢文教育をしっかり身に着けたうえで最高の仮名文学を書くことができたのです。
以下は、日本語と日本語教育に関して、私が学生の質問に答えた回答です。今期の学生、メール質問をせっせと書いてきます。授業中に質問されたことに口頭で回答することは毎回やっていますが、口頭での回答は右耳から入って左耳へ抜けてしまう学生も多い。メールで質問させて、メールで返信した上で公開すると、文字情報として残ります。
昨今の学生は、音声入力などの方法もあって、文字を入力するのは、140字のつぶやきか友達への絵入メールだけなので、文字を読む時間をできるだけ多くさせるためにも、このメール回答はよい方法だと思っています。
以下は、学生への回答メールです。
<質問>
日本語には同音異義語が多いと思うが、他言語でも同音異義語というのはあるのか(多いのか)。
例)こうえん→公園、公演、講演、後援
かんしょう→鑑賞、観賞、干渉、感傷、完勝など
<回答>
中国語では四声があるし、母音や子音の数もことなるので、日本語では同じ発音の語でも、元の中国語では同じ発音ではありません。四声を無視して書いてみても、公園はゴンユァン(gong・yuan)であり講演はジィァンヤン(jiang・yan)で、発音が異なっています。
韓国語は日本語より母音の数が多いので、日本よりは同音語が少ないとはいうものの、四声がないので、中国語のようには同音異義語を区別できません。朝鮮語韓国語をすべてハングル文字表記(日本でいえば、すべての文章をカナ表記にしたと同じ)ために、同音異義語の区別ができない人が増えており、さまざまな弊害が出てきています。
漢字教育をまったく受けていない子供が成人した結果、たとえば、司馬遷の史記(사기サギ)のつもりで「私は史記を知っている나는 사기를 알고 있다」と書いたら、史記を同音語の「詐欺사기サギ」と間違われ、「お前は詐欺師か」とののしられた、という話があります。また、「同情」という意味で書いた文字「동정(トンチョン)」を、同音の童貞「동정(トンチョン)」と誤解して喧嘩になるなど、問題が続出しました。
韓国語では、同じ発音の文字が同じ音素文字ハングルで表記されるために、誤解が乗じやすいのです。捕鯨포경ポキョンを論じているつもりが、包茎ポキョン포경を話題にしたと思われたりなど。笑い話で済む話ならいいですが、防水(방수 バンス)と、放水(방수 バンス:水を減らすこと)を間違えたために、重大事故が発生したという事例もあります。
英語の同音語(homonym)もたくさんありますが、つづり字も同じで発音も同じという語は少ないです。つまり、日本語は発音が同じでも漢字表記が異なっているので、文章の上の誤解が少ないのと同じく、英語はスペリングが異なるの文章で書いた時の誤解はありません。
~~~~~~~
韓国内でも富裕層は家庭教師や塾の教育で漢字教育を子弟に行い、公教育だけの層は漢字を知らず、昔の識字層と無文字層のように国民が二極化していくだろうという評論家もいます。
韓国内に漢字教育の復活を望む声もありますが、むずかしいでしょう。公教育の場では、「中国由来の漢字よりも、朝鮮韓国オリジナルの文字であるハングルのほうが誇り高い文字である」という論調が主流派だからです。
ついでに、言っておくと。日本語のひらがなは草仮名から成立し、片仮名は漢字の一部をとって成立しました。仮名文字が成立して以後、庶民は仮名文字を学び、とくに江戸時代には寺子屋などで学んで、人口の半数は識字層となりました。近代国家成立以前に、民衆が高い識字率をもっていたこと、世界史のなかでも特異なことです。
一方、朝鮮韓国では、識字層のみが漢文によって記録をつづけ、古代朝鮮語を記録した文章が国内には残されていません。15世紀に世宗の命によりハングル文字が発明されましたが、16世紀にはおおやけの場でのハングル使用が禁止され、民衆へのハングル普及もほそぼそとしたものでした。民衆にハングル表記が大々的に普及したのは、福澤諭吉門下の井上角五郎らの努力があってのことです。
韓国の人々がハングル文字に誇りを持つことは、よいことだと思います。しかし、2000年にわたって漢字文化圏の中で自国文化をはぐくんできたことを忘れてしまう、あるいはなかったことにしてしまうことはありません。
日本は、日本語の中にたくみに漢字文化をとりいれて、独自の言語文化をはぐくみました。多くのヨーロッパ地域で、フェニキアに発生したフェニキア文字(アルファベット)を受け入れて自国語の表記に用いているからといって、フェニキア文化に屈したなどと思っていないように、漢字を使用したからといって、漢字文化に屈していることにならず、自国文化に誇りをもっていてよい。
漢字を用いている私は、中国文化も日本文化も同じように尊敬すべき文化だと思っています。仮名文字だけで文章を書いたほうが、自国文化を高く評価していることになる、などとは思いません。
以下、今期の学生が寄せた日本語、日本語教育に関する質問を紹介し、春庭が学生に回答したメール文を転載します。
毎期、同じような質問がよせられることもあるし、「お、これはひとつ学生に教えられた」と、うれしくなる質問もあります。
<つづく>
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(1)同音異義語について
愛想ふりまきつつあくまでも低姿勢で「ボスのおおせのままに」と、へいこらしていたほうが、ずっと生きやすいのはわかっています。わかっちゃいるけど、上司にたてつき「あんたの言うこと、私はなっとくできぬ」と言ってしまうのは、性分ですから治らない。
今期もボスと、日本語をめぐって論争をしてしまいました。今後仕事がやりづらくなることはわかっているけれど、かまうもんか、あと半年でおさらばする出講先だもんで。言いたいこと言って、発つ鳥あとをにごしております。
ボスと「日本語観」「日本語教育観」が異なります。
日本語初級のテストで「コーヒーを おみます」と書いた答案。ボスは「正答とせよ」と主張する。外国人の彼は「日本語は道具だから、話が通じればそれでいい」と考える。会話をしていて「コーヒーを おみます」と言ったとしても、それは「コーヒーを 飲みます」と言ったのは推測できるのだから、正答でいい、と、教授はおっしゃる。
私は、日常のコミュニケーションの場で、日本語母語話者が日本語学習者のつたない日本語を推測しつつ受け止め、相手の言わんとすることを理解しようとつとめるのは当然のことと考えます。日常の会話で「コーヒーを おみます」と、外国人が言っても、「飲みたいのだろう」と推測できます。
しかし、筆記試験の答案において、「コーヒーを おみます」を正答とするのなら、筆記試験などしないで、会話試験だけやればいいと思う。ボスがひとりひとりの学生のコミュニケーション能力を、数時間かけて測定すればよい。
それを、試験作成も実施も、非常勤講師に丸投げしておいて、試験の採点において自分の日本語観によって、私の採点をくつがえそうとする。
オーソドックスな日本語というものがあり、それを教科書で教えているなら、その到達度をチェックするのは教師の役割のひとつ。
「コーヒーを おみます、も日本語として正答にせよ」というなら、日本語母語話者としても、日本語教育者としても、納得しかねる。
ボスは、「スラブ語日本語対照研究」の研究者。日本語教育の専門家ではない。彼の研究分野おける業績に対しては、私も敬意を持ちます。しかし、彼の日本語観に私が同調しなければならない、という義理はない。
彼は、「日本語はひらがなだけで表記して、なんの問題もない。理由は、かって漢字表記を採用していた韓国語はハングルだけの表記に変え、ベトナムはアルファベット表記にかえても何の問題もなかったから」と、主張する。
「あしたこうえんへいきますか」ときかれて、公園なのか講演なのか、判断できなかったら、聞き返せばいいだけだそうです。
まず、事実として、韓国のハングル表記の問題点を把握していないことは、彼の勉強不足だと思います。
漢字教育をしなくなって以来、同音異義語の区別ができなくなり、そのために重大な事故さえ起ったことを、彼はまったく知らないか、知っていてもたいしたことはない、と考えているのだろうと思います。
同音異義語による判断ミス。たとえば、今回のワールドカップで、韓国チームは負けました。しかし韓国語をハングル表記すると、「連敗」と「連覇」はどちらも「연패 ヨンパ」で、まったく同じ表記です。テレビ中継でも新聞の見出しでも、ハングック、ヨンパ!と見ただけでは、勝ったのか負けたのかわからないのです。
スラブ語日本語の対照研究に関しては権威かもしれませんが、韓国語の同音異義語問題に関しては、私のほうが知っている。
彼は、「日本語を全部ひらがな書きにしても何の問題も生じない。韓国がハングル表記にしたのだから」と、平気で言ってしまう。その浅薄な日本語観に、日本語言語文化の中に身をおいてきた者としてがまんがならない。そういう言語観の持ち主にである彼と、試験の採点という、彼にとっては「つまらぬこと」で、対立してしまいました。
私の強みはただひとつ。「生意気で扱いにくい非常勤講師」と思われたところで、来年はどうせお役御免になる年齢なので、言いたいことは言ったれや、と開き直っているところ。
言っておきます。
今後浅薄な文部官僚が出てきて「漢字教育が若い学生にとって負担だ」と旗振り始めることがあろうとも、日本語における漢字かな併用表記を変えることなかれ。ワープロがこれだけ発達した現代で、すべての漢字表記にルビを振るのもたやすくなったのだし、漢字表記をしたうえで、かなルビをふればよい、のです。
漢字教育は時間も手間もかかるのですが、1300年にわたる言語文化の根幹を捨ててしまうことはない。紫式部も清少納言も、漢文教育をしっかり身に着けたうえで最高の仮名文学を書くことができたのです。
以下は、日本語と日本語教育に関して、私が学生の質問に答えた回答です。今期の学生、メール質問をせっせと書いてきます。授業中に質問されたことに口頭で回答することは毎回やっていますが、口頭での回答は右耳から入って左耳へ抜けてしまう学生も多い。メールで質問させて、メールで返信した上で公開すると、文字情報として残ります。
昨今の学生は、音声入力などの方法もあって、文字を入力するのは、140字のつぶやきか友達への絵入メールだけなので、文字を読む時間をできるだけ多くさせるためにも、このメール回答はよい方法だと思っています。
以下は、学生への回答メールです。
<質問>
日本語には同音異義語が多いと思うが、他言語でも同音異義語というのはあるのか(多いのか)。
例)こうえん→公園、公演、講演、後援
かんしょう→鑑賞、観賞、干渉、感傷、完勝など
<回答>
中国語では四声があるし、母音や子音の数もことなるので、日本語では同じ発音の語でも、元の中国語では同じ発音ではありません。四声を無視して書いてみても、公園はゴンユァン(gong・yuan)であり講演はジィァンヤン(jiang・yan)で、発音が異なっています。
韓国語は日本語より母音の数が多いので、日本よりは同音語が少ないとはいうものの、四声がないので、中国語のようには同音異義語を区別できません。朝鮮語韓国語をすべてハングル文字表記(日本でいえば、すべての文章をカナ表記にしたと同じ)ために、同音異義語の区別ができない人が増えており、さまざまな弊害が出てきています。
漢字教育をまったく受けていない子供が成人した結果、たとえば、司馬遷の史記(사기サギ)のつもりで「私は史記を知っている나는 사기를 알고 있다」と書いたら、史記を同音語の「詐欺사기サギ」と間違われ、「お前は詐欺師か」とののしられた、という話があります。また、「同情」という意味で書いた文字「동정(トンチョン)」を、同音の童貞「동정(トンチョン)」と誤解して喧嘩になるなど、問題が続出しました。
韓国語では、同じ発音の文字が同じ音素文字ハングルで表記されるために、誤解が乗じやすいのです。捕鯨포경ポキョンを論じているつもりが、包茎ポキョン포경を話題にしたと思われたりなど。笑い話で済む話ならいいですが、防水(방수 バンス)と、放水(방수 バンス:水を減らすこと)を間違えたために、重大事故が発生したという事例もあります。
英語の同音語(homonym)もたくさんありますが、つづり字も同じで発音も同じという語は少ないです。つまり、日本語は発音が同じでも漢字表記が異なっているので、文章の上の誤解が少ないのと同じく、英語はスペリングが異なるの文章で書いた時の誤解はありません。
~~~~~~~
韓国内でも富裕層は家庭教師や塾の教育で漢字教育を子弟に行い、公教育だけの層は漢字を知らず、昔の識字層と無文字層のように国民が二極化していくだろうという評論家もいます。
韓国内に漢字教育の復活を望む声もありますが、むずかしいでしょう。公教育の場では、「中国由来の漢字よりも、朝鮮韓国オリジナルの文字であるハングルのほうが誇り高い文字である」という論調が主流派だからです。
ついでに、言っておくと。日本語のひらがなは草仮名から成立し、片仮名は漢字の一部をとって成立しました。仮名文字が成立して以後、庶民は仮名文字を学び、とくに江戸時代には寺子屋などで学んで、人口の半数は識字層となりました。近代国家成立以前に、民衆が高い識字率をもっていたこと、世界史のなかでも特異なことです。
一方、朝鮮韓国では、識字層のみが漢文によって記録をつづけ、古代朝鮮語を記録した文章が国内には残されていません。15世紀に世宗の命によりハングル文字が発明されましたが、16世紀にはおおやけの場でのハングル使用が禁止され、民衆へのハングル普及もほそぼそとしたものでした。民衆にハングル表記が大々的に普及したのは、福澤諭吉門下の井上角五郎らの努力があってのことです。
韓国の人々がハングル文字に誇りを持つことは、よいことだと思います。しかし、2000年にわたって漢字文化圏の中で自国文化をはぐくんできたことを忘れてしまう、あるいはなかったことにしてしまうことはありません。
日本は、日本語の中にたくみに漢字文化をとりいれて、独自の言語文化をはぐくみました。多くのヨーロッパ地域で、フェニキアに発生したフェニキア文字(アルファベット)を受け入れて自国語の表記に用いているからといって、フェニキア文化に屈したなどと思っていないように、漢字を使用したからといって、漢字文化に屈していることにならず、自国文化に誇りをもっていてよい。
漢字を用いている私は、中国文化も日本文化も同じように尊敬すべき文化だと思っています。仮名文字だけで文章を書いたほうが、自国文化を高く評価していることになる、などとは思いません。
以下、今期の学生が寄せた日本語、日本語教育に関する質問を紹介し、春庭が学生に回答したメール文を転載します。
毎期、同じような質問がよせられることもあるし、「お、これはひとつ学生に教えられた」と、うれしくなる質問もあります。
<つづく>