2014/07/05
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問にこたえて(3)ぜんぜんいい
春庭が担当する日本語教授法クラスの日本人学生に、日本語と日本語教育に関して質問をだしてもらい、回答したものを転載しています。
gooブログのコメントにも質問がよせられましたので、お答えします。
くちかずこさんの質問
全然美味しいというような、全然の後に否定語が来なくても良いと言う使い方、本来、元々正しい用法だったとのブログ記述があり、夫は自分の辞書を開いて正しくないと反論(くちこに)しています。
さて、春庭さんの見解は如何でしょう?
<回答>
日本語教育においては、今のところ、「現代において規範的とされている日本語を教える」ということになっているので、「あまり」と「ぜんぜん」は、必ず文末が否定になる、と教えている教科書がほとんどです。
例)みんなのにほんご9課 たなかさんは、インドネシア語がわかりますか。いいえ、ぜんぜんわかりません。
例)げんき3課 わたしはぜんぜんテレビをみません。本をよみますか。いいえ、あまり読みません。
大学のサークルなどに入っていて、日本人学生との接触が多い学生は、日本語の会話を聞き、「先生、テストのとき、コーヒーをぜんぜん飲みます、は、×でした。でも、日本人の学生は、ぜんぜんいいよ、ぜんぜんだいじょうぶ、と言います」と、聞きかじってきた日本語表現を確認しにきます。
とくに、若い人たちに「ぜんぜんおいしい!」のたぐいの表現は多用されています。全然の肯定表現について、さまざまな解説が出されていますが、まずは「広辞苑」での説明を見ましょう。(広辞苑4版)
全然(名詞)まったくその通りであるさま。すべてにわたるさま。「全然たる狂人」
全然(副詞)①すべての点で、すっかり。「全然、君にまかせる」
②下に打消の言い方や否定的意味を伴って、まったく、まるで「全然わからない「ぜんぜん駄目だ」
③(俗な用法として、肯定にも使う)まったく、非常に「全然、同感です」
以上のように、全然には、もともと肯定の用法があります。明治文学の例として、よく出されるのが、夏目漱石です。
『坊つちやん』1906年4月のホトトギス掲載時。「一体生徒が全然悪るいです。」
芥川龍之介 『羅生門』1915年11月。「これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。」 」
私たちは、昭和後期(1945以後)の日本語を「現代日本語」として扱っています。現代日本語においては、「ぜんぜん」は、否定を伴って用いられるのが一般的であり、国語教育でも、そのように取り扱われていました。
昨今の若者用法で、「ぜんぜん、いいよ」のたぐいが増えたことについて、ほとんどの辞書では「俗用」として掲載しています。
日本語教育の立場では、ほとんどの辞書に、正式な用法として肯定表現が記載され、小学校の国語教育においても「ぜんぜんいい」は、ぜんぜんOK,と先生が話すようになるまでは、日本語学習者に「全然+肯定」を教えません。
しかし、留学生が「ぜんぜんいい、を使ってもいいですか」と、質問してきたとき春庭は、「教科書のテストのときは、×にします。若い学生と話すときは、ぜんぜんいい、は、ぜんぜんOK!」と話します。
国語教師が言語変化に対して保守的な考え方の人が多いのに対して、言語学を学んだことのある日本語教師は、「言語は常にうつりかわるもの」という考え方が身についてしまっているので、「変化ジョートー」と、受け止める人が多いのです。
で、くちかずこさんからの質問、春庭は、ぜんぜんいいと思いました。みなさま、日本語に関して疑問質問があれば、お寄せください。どんな質問もぜんぜんOKです。
<つづく>
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問にこたえて(3)ぜんぜんいい
春庭が担当する日本語教授法クラスの日本人学生に、日本語と日本語教育に関して質問をだしてもらい、回答したものを転載しています。
gooブログのコメントにも質問がよせられましたので、お答えします。
くちかずこさんの質問
全然美味しいというような、全然の後に否定語が来なくても良いと言う使い方、本来、元々正しい用法だったとのブログ記述があり、夫は自分の辞書を開いて正しくないと反論(くちこに)しています。
さて、春庭さんの見解は如何でしょう?
<回答>
日本語教育においては、今のところ、「現代において規範的とされている日本語を教える」ということになっているので、「あまり」と「ぜんぜん」は、必ず文末が否定になる、と教えている教科書がほとんどです。
例)みんなのにほんご9課 たなかさんは、インドネシア語がわかりますか。いいえ、ぜんぜんわかりません。
例)げんき3課 わたしはぜんぜんテレビをみません。本をよみますか。いいえ、あまり読みません。
大学のサークルなどに入っていて、日本人学生との接触が多い学生は、日本語の会話を聞き、「先生、テストのとき、コーヒーをぜんぜん飲みます、は、×でした。でも、日本人の学生は、ぜんぜんいいよ、ぜんぜんだいじょうぶ、と言います」と、聞きかじってきた日本語表現を確認しにきます。
とくに、若い人たちに「ぜんぜんおいしい!」のたぐいの表現は多用されています。全然の肯定表現について、さまざまな解説が出されていますが、まずは「広辞苑」での説明を見ましょう。(広辞苑4版)
全然(名詞)まったくその通りであるさま。すべてにわたるさま。「全然たる狂人」
全然(副詞)①すべての点で、すっかり。「全然、君にまかせる」
②下に打消の言い方や否定的意味を伴って、まったく、まるで「全然わからない「ぜんぜん駄目だ」
③(俗な用法として、肯定にも使う)まったく、非常に「全然、同感です」
以上のように、全然には、もともと肯定の用法があります。明治文学の例として、よく出されるのが、夏目漱石です。
『坊つちやん』1906年4月のホトトギス掲載時。「一体生徒が全然悪るいです。」
芥川龍之介 『羅生門』1915年11月。「これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。」 」
私たちは、昭和後期(1945以後)の日本語を「現代日本語」として扱っています。現代日本語においては、「ぜんぜん」は、否定を伴って用いられるのが一般的であり、国語教育でも、そのように取り扱われていました。
昨今の若者用法で、「ぜんぜん、いいよ」のたぐいが増えたことについて、ほとんどの辞書では「俗用」として掲載しています。
日本語教育の立場では、ほとんどの辞書に、正式な用法として肯定表現が記載され、小学校の国語教育においても「ぜんぜんいい」は、ぜんぜんOK,と先生が話すようになるまでは、日本語学習者に「全然+肯定」を教えません。
しかし、留学生が「ぜんぜんいい、を使ってもいいですか」と、質問してきたとき春庭は、「教科書のテストのときは、×にします。若い学生と話すときは、ぜんぜんいい、は、ぜんぜんOK!」と話します。
国語教師が言語変化に対して保守的な考え方の人が多いのに対して、言語学を学んだことのある日本語教師は、「言語は常にうつりかわるもの」という考え方が身についてしまっているので、「変化ジョートー」と、受け止める人が多いのです。
で、くちかずこさんからの質問、春庭は、ぜんぜんいいと思いました。みなさま、日本語に関して疑問質問があれば、お寄せください。どんな質問もぜんぜんOKです。
<つづく>