2017/07/03
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(2)あなたは、かわいそうです
<質問>
おいしい→おいしそうvsかわいい→*かわいそう
おいしい「おいしそう」と、言えるのに、かわいいは、「かわいそう」というと、違う意味になるのは、なんでですか。
<回答>
留学生がよく言い間違える失敗というのがあります。「日本語失敗の定番」というやつです。様態をあらわす「~そう」を教えると、うれしがってなんにでも「~そう」をつけて日本語表現に励む留学生。
「あの人、おもしろそうです」「コンビニ○○のロールケーキ、おいしそうです」これらはOK。
留学生が日本人女子学生に「あなたは、とてもかわいそうです」と、言ったら、おこられました、褒めたのに、どうして?
日本語教師志望の日本人学生に、この「留学生の誤用定番」を話すと、みな「そりゃ、怒るよ」「あなたは、かわいい、と言うつもりだったんじゃないの?」という感想が返ってきます。
留学生の発話「あなたは、かわいそう」は、どのように考えた結果なのでしょうか。まず、「~そうです」の意味を確認しましょう。
日本語教師は「~そうです」の使用法について、リンゴを手にもって、「このりんご、まだ、食べていません。おいしいですか、おいしくないですか。わかりません」と、言ったあとで、「このりんごは赤いです。このリンゴは、おいしいでしょうか」と、眺めつつ、「おいしそうです」という新しい表現を言います。今の時期ならさくらんぼを使ってもよし、バナナでもなんでもOK。キャンディだったり、クッキーでも。絵カードを使うこともあるし、実物を用いて、練習のあと、学生に配ることもあります。
食べる前で、味がわかっていないときに、見た目などから推測して表現するのが、様態の「~そうだ」です。「おいしそうです」は、味を知らないうちに発する言葉です。
靴屋へ行って、靴を買おうと思います。くつを履いてみる前に、見た目で「このくつは、小さそうです」と、言うことができます。見た目だけでの判断です。試着して履いてみます。実際に自分の足より小さかったとき、「この靴は小さそうです」ではなく、「この靴は小さいです」と言う。
「おいしい」という形容詞の語尾「イ」を取って、「そう」を付け加えることにより、見た目だけの判断が表現できます。
本当にやさしい人かどうかわからなくても「あの人は、やさしそうです」と、推測を述べることができます。
「~そう」の意味、文法概念がわかったら、「このかばん、丈夫そうです」「この辞書は、便利そうです」「あの人は意地悪そうです」などの練習。「おいしい」などはイ形容詞、「丈夫な」は、ナ形容詞として扱います。(ナ形容詞は、古典文法では形容動詞)
動詞にも使う場合は、使える語が限定されます。「あの人、お金がありそうです」は、見た目でお金のあるなしを判断した表現としてOK。
しかし、「あの人、人の2倍はごはんを食べそうです」は、推測様態ですが、「あの人、もうすぐごはんを食べそうです」は、「まもなく、その動作をするだろう」という場面にしか使えません。動詞の「~そうです」は、その動きが切迫していることを表現するからです。「ろうそくが、消えそうです」「木が、たおれそうです」「船が、しずみそうです」これらは、目で見て、まもなくその動きが実現するであろうことを推測しています。
状態を表す動詞では、切迫した動きでなくても言えます。「あの人は、しばらく日本に住みそうです」
ここまで、「~そうです」の、「形容詞+そうです」と「動詞+そうです」の意味の違いについて確認すると、日本人学生、「動詞と形容詞で~そうですの意味のちがいがあるなんで、これまで考えたこともなかった」と言います。そうです。母語話者は、自然に身に着けてきたことなので、いちいち使い分けを考えたりしません。
しかし、留学生は、ひとつひとつ文型を覚えなければならないのです。ときに「かわいそう」などの誤用も生じます。
留学生は、どうして女子学生に「かわいそう」と言ったのか。留学生は、女子学生を見て、「かわいい」と思ったのです。しかし、ほんとうにこの女子学生が女性として中身も「かわいい」性格であるのか、そこまではわかりません。ただ、見た目の判断からのみ、そう思ったのです。
日本語の先生は、食べて味見をする前に、食べ物の味について表現するときは「このリンゴはおいしいです」ではなく「このりんごはおいしそうです」と、教えました。この女子学生とまだつきあってもいないうちに、見た目だけで判断するのですから、そうだ、「あなたは、かわいそうです」
留学生は、先生に教わったとおりに、文法的にまちがいをせずに表現したのです。
ところが、女子学生は「私は、かわいそうなんかじゃないっ!」と、怒り出しました。
「おいしいは、おいしそうと言えるのに、どうしてかわいいは、かわいそうと言えないのでしょうか」、日本人学生には、まず辞書をひけ、と言います。
この場合は、古語辞典をひかせます。昨今の電子辞書、英和和英漢和古語広辞苑から百科事典のたぐいまで搭載されています。
以下は、紙の古語辞典をひいた、引用です。
・三省堂古語辞典(1版1980)「かはゆし」
①恥ずかしい。おもはゆい②可愛そうだ。気の毒だ。いじらしい。③かわいらしい。
・岩波古語2版1975)<かははゆし(皮映ゆし)
①恥ずかしさで顔がほてる。②見るにしのびない③かわいそうで見ていられない④つらい⑤可憐だ。かわいい
「かわいい」は、もともと、「気の毒だ、あわれた、はずかしい」という意味でした。しかし、平安時代に「見ていると、こちらが恥ずかしくなるくらい愛らしくすばらしい=かわいい」という意味が派生しました。
現代語の「かわいい」は、古語の意味のうち「見ていると、こちらが恥ずかしくなるくらい愛らしくすばらしい」という意味が残存したものなのです。しかし、「~そう」をつけた「かわいそう」は、古語の意味のうち「気の毒だ、同情すべきだ」という意味が固定して残存しました。
したがって、現代語の「かわいい」に「~そう」をつけてしまうと、もとの意味と異なってしまいます。
では、留学生はどう発話すればよかったのでしょうか。「あなたは、かわいい」と、見た目を直接言うか、「~らしい」をつけた「あなたは、かわいらしい」にしておけばよかったのです。
「名詞+らしい」は、推量を述べる「どうもあの人は詐欺師らしい」という場合と、「見た目、そのものの性質を持っている」という意味の「あの子は、ほんとに子供らしい小学生だ」「先生は教師らしい服装で教壇に立ってください などのようにふたつの意味があるので、またまた留学生にとっては難関なので、まあ、ここは「あなたは、かわいい」一本にしぼって教えましょう。
おいしいは「おいしそう」と、言えるのに、かわいいは、「かわいそう」というと、違う意味になるのは、なんでですか。という質問に対して、これだけの回答をしても、日本人学生、「へぇ!」と思う学生もいるし、「なんのことやら」と、興味を持たない学生もいます。
いいんです。実際に日本語教師になったとき「彼女に、あなたはかわいそう、と言ったらおこられた。どうして?」と、聞いてくる留学生に、必ず出会うから。その時になって、どうしてか、と考えればいい。そのとき「ああ、学生時代に日本語教授法の教師がそんなこと説明していたっけなあ」と、思い出して、もう一度勉強してくれれば。
<つづく>
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(2)あなたは、かわいそうです
<質問>
おいしい→おいしそうvsかわいい→*かわいそう
おいしい「おいしそう」と、言えるのに、かわいいは、「かわいそう」というと、違う意味になるのは、なんでですか。
<回答>
留学生がよく言い間違える失敗というのがあります。「日本語失敗の定番」というやつです。様態をあらわす「~そう」を教えると、うれしがってなんにでも「~そう」をつけて日本語表現に励む留学生。
「あの人、おもしろそうです」「コンビニ○○のロールケーキ、おいしそうです」これらはOK。
留学生が日本人女子学生に「あなたは、とてもかわいそうです」と、言ったら、おこられました、褒めたのに、どうして?
日本語教師志望の日本人学生に、この「留学生の誤用定番」を話すと、みな「そりゃ、怒るよ」「あなたは、かわいい、と言うつもりだったんじゃないの?」という感想が返ってきます。
留学生の発話「あなたは、かわいそう」は、どのように考えた結果なのでしょうか。まず、「~そうです」の意味を確認しましょう。
日本語教師は「~そうです」の使用法について、リンゴを手にもって、「このりんご、まだ、食べていません。おいしいですか、おいしくないですか。わかりません」と、言ったあとで、「このりんごは赤いです。このリンゴは、おいしいでしょうか」と、眺めつつ、「おいしそうです」という新しい表現を言います。今の時期ならさくらんぼを使ってもよし、バナナでもなんでもOK。キャンディだったり、クッキーでも。絵カードを使うこともあるし、実物を用いて、練習のあと、学生に配ることもあります。
食べる前で、味がわかっていないときに、見た目などから推測して表現するのが、様態の「~そうだ」です。「おいしそうです」は、味を知らないうちに発する言葉です。
靴屋へ行って、靴を買おうと思います。くつを履いてみる前に、見た目で「このくつは、小さそうです」と、言うことができます。見た目だけでの判断です。試着して履いてみます。実際に自分の足より小さかったとき、「この靴は小さそうです」ではなく、「この靴は小さいです」と言う。
「おいしい」という形容詞の語尾「イ」を取って、「そう」を付け加えることにより、見た目だけの判断が表現できます。
本当にやさしい人かどうかわからなくても「あの人は、やさしそうです」と、推測を述べることができます。
「~そう」の意味、文法概念がわかったら、「このかばん、丈夫そうです」「この辞書は、便利そうです」「あの人は意地悪そうです」などの練習。「おいしい」などはイ形容詞、「丈夫な」は、ナ形容詞として扱います。(ナ形容詞は、古典文法では形容動詞)
動詞にも使う場合は、使える語が限定されます。「あの人、お金がありそうです」は、見た目でお金のあるなしを判断した表現としてOK。
しかし、「あの人、人の2倍はごはんを食べそうです」は、推測様態ですが、「あの人、もうすぐごはんを食べそうです」は、「まもなく、その動作をするだろう」という場面にしか使えません。動詞の「~そうです」は、その動きが切迫していることを表現するからです。「ろうそくが、消えそうです」「木が、たおれそうです」「船が、しずみそうです」これらは、目で見て、まもなくその動きが実現するであろうことを推測しています。
状態を表す動詞では、切迫した動きでなくても言えます。「あの人は、しばらく日本に住みそうです」
ここまで、「~そうです」の、「形容詞+そうです」と「動詞+そうです」の意味の違いについて確認すると、日本人学生、「動詞と形容詞で~そうですの意味のちがいがあるなんで、これまで考えたこともなかった」と言います。そうです。母語話者は、自然に身に着けてきたことなので、いちいち使い分けを考えたりしません。
しかし、留学生は、ひとつひとつ文型を覚えなければならないのです。ときに「かわいそう」などの誤用も生じます。
留学生は、どうして女子学生に「かわいそう」と言ったのか。留学生は、女子学生を見て、「かわいい」と思ったのです。しかし、ほんとうにこの女子学生が女性として中身も「かわいい」性格であるのか、そこまではわかりません。ただ、見た目の判断からのみ、そう思ったのです。
日本語の先生は、食べて味見をする前に、食べ物の味について表現するときは「このリンゴはおいしいです」ではなく「このりんごはおいしそうです」と、教えました。この女子学生とまだつきあってもいないうちに、見た目だけで判断するのですから、そうだ、「あなたは、かわいそうです」
留学生は、先生に教わったとおりに、文法的にまちがいをせずに表現したのです。
ところが、女子学生は「私は、かわいそうなんかじゃないっ!」と、怒り出しました。
「おいしいは、おいしそうと言えるのに、どうしてかわいいは、かわいそうと言えないのでしょうか」、日本人学生には、まず辞書をひけ、と言います。
この場合は、古語辞典をひかせます。昨今の電子辞書、英和和英漢和古語広辞苑から百科事典のたぐいまで搭載されています。
以下は、紙の古語辞典をひいた、引用です。
・三省堂古語辞典(1版1980)「かはゆし」
①恥ずかしい。おもはゆい②可愛そうだ。気の毒だ。いじらしい。③かわいらしい。
・岩波古語2版1975)<かははゆし(皮映ゆし)
①恥ずかしさで顔がほてる。②見るにしのびない③かわいそうで見ていられない④つらい⑤可憐だ。かわいい
「かわいい」は、もともと、「気の毒だ、あわれた、はずかしい」という意味でした。しかし、平安時代に「見ていると、こちらが恥ずかしくなるくらい愛らしくすばらしい=かわいい」という意味が派生しました。
現代語の「かわいい」は、古語の意味のうち「見ていると、こちらが恥ずかしくなるくらい愛らしくすばらしい」という意味が残存したものなのです。しかし、「~そう」をつけた「かわいそう」は、古語の意味のうち「気の毒だ、同情すべきだ」という意味が固定して残存しました。
したがって、現代語の「かわいい」に「~そう」をつけてしまうと、もとの意味と異なってしまいます。
では、留学生はどう発話すればよかったのでしょうか。「あなたは、かわいい」と、見た目を直接言うか、「~らしい」をつけた「あなたは、かわいらしい」にしておけばよかったのです。
「名詞+らしい」は、推量を述べる「どうもあの人は詐欺師らしい」という場合と、「見た目、そのものの性質を持っている」という意味の「あの子は、ほんとに子供らしい小学生だ」「先生は教師らしい服装で教壇に立ってください などのようにふたつの意味があるので、またまた留学生にとっては難関なので、まあ、ここは「あなたは、かわいい」一本にしぼって教えましょう。
おいしいは「おいしそう」と、言えるのに、かわいいは、「かわいそう」というと、違う意味になるのは、なんでですか。という質問に対して、これだけの回答をしても、日本人学生、「へぇ!」と思う学生もいるし、「なんのことやら」と、興味を持たない学生もいます。
いいんです。実際に日本語教師になったとき「彼女に、あなたはかわいそう、と言ったらおこられた。どうして?」と、聞いてくる留学生に、必ず出会うから。その時になって、どうしてか、と考えればいい。そのとき「ああ、学生時代に日本語教授法の教師がそんなこと説明していたっけなあ」と、思い出して、もう一度勉強してくれれば。
<つづく>