2017/07/05
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(3)スープを飲む薬を飲む息をのむ
日本語の色彩名詞は、中国から染色法などが伝わる以前は、色を白黒赤青に分類していた。現代でいう緑色や灰色やは「アオ」に分類されたので、現代でも緑色の葉を青葉、緑色のリンゴを青りんご、灰色の毛並の馬をアオウマという、という講義のあと)
<質問1>
青、赤→「青い、赤い」と、形容詞になる。なぜ、緑→*みどりい ピンク→*ぴんくい と、言わないのか。
私の祖母は「青信号」を「みどり」と言う。昔の人は、緑を青と呼んでいたのにも関わらず、少なからず矛盾を感じた。
<回答1>
古代色彩名の白黒赤青は形容詞が成立しています。さらに、黄色、茶色も、きいろいちゃいろいが成立しています。しかし、色彩名詞としての成立が遅かった「緑」「紫」などは、名詞としての用法があるのみで、形容詞としてはまだ成立していません。
いずれ「みどりい」「むらさきい」という形容詞が成立していくでしょう。、外来語色彩名詞もむろん、まだ形容詞になっていません。しかし、百年後には、ぴんくい、おれんじい、などが成立しているだろうと推測されます。
発光ダイオードが発明される前、青色を発色するライトは存在しなかった。そこで、国際的な信号では、安全進行すすめ:緑色のライト。危険:黄色のライト。止まれ:赤い信号が用いられた。緑色の信号を「青信号」と呼んでいたのだが、実際には緑色であったために、現代的な色彩感覚をもつ人は「あれは、青ではなく、緑色なので、私は、緑信号と呼ぶ」と考えた人もいた。しかし、その人々も青葉をみどり葉にしたり、青りんごをみどりりんごということはほとんどなかった。次回、おばあさんにあったとき、緑色のりんごをなんとよんでいたか質問してください。
<質問2>
「知らん」「分からん」の「ん」とは文法的に何ですか?
<回答2>
「知らぬ」「わからぬ」の「ぬ」は、国文法では否定の助動詞。日本語文法では「動詞の否定形」です。「ん n」は、「ぬ nu」のうちの「u」が脱落して発音変化したものです。
<質問3>
「水を飲む、息をのむとはいうけど、現時点では、車をのむ、ビルをのむとはいわないよね」と先生はおしゃっていましたが、「津波がビルをのみこんだ」などという際、使用されていると思うのですが、それはまた違うのでしょうか。
<回答3>
初級では、実際に口のなかに飲み込む動作のみを扱う。口の中で咀嚼せずに体内に摂取するのが「飲む」
「津波がビルを飲み込む」は、擬人法を含む比喩表現です。中級上級クラスになると、比喩表現も扱いますが、初級の学習者にはそこまで教えません。
また、日本語では「薬を飲む」という連語(コロケーション)が成り立っています。古来の薬は煎じて液体で摂取したからです。薬が錠剤やカプセル剤になっても、薬を噛まずに摂取するので、「薬を飲む」という連語はかわりません。一方英語では「クスリ」と「飲む」は連語にならず、薬を摂取するという「take medicine(薬を取る、)」という連語になっています。
日本語では「スープを飲む」と言います。体内への摂取において、気体液体は「飲む」咀嚼する固体は「食べる」です。英語では、カップに口をつけて摂取するのは「飲む」。スプーンを使って口に入れるのは「食べる」。したがって、「eat soup(スープを食べる)」と言います。
ほかにも、連語の違いは、言語によってさまざまです。
「息をのむ」は、「おどいろて、呼吸を止める状態」をいう慣用表現です。「涙をのむ」は、口惜しさ悲しさを我慢するときの慣用表現。実際に涙を口に入れなくてもよい。
<つづく>
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(3)スープを飲む薬を飲む息をのむ
日本語の色彩名詞は、中国から染色法などが伝わる以前は、色を白黒赤青に分類していた。現代でいう緑色や灰色やは「アオ」に分類されたので、現代でも緑色の葉を青葉、緑色のリンゴを青りんご、灰色の毛並の馬をアオウマという、という講義のあと)
<質問1>
青、赤→「青い、赤い」と、形容詞になる。なぜ、緑→*みどりい ピンク→*ぴんくい と、言わないのか。
私の祖母は「青信号」を「みどり」と言う。昔の人は、緑を青と呼んでいたのにも関わらず、少なからず矛盾を感じた。
<回答1>
古代色彩名の白黒赤青は形容詞が成立しています。さらに、黄色、茶色も、きいろいちゃいろいが成立しています。しかし、色彩名詞としての成立が遅かった「緑」「紫」などは、名詞としての用法があるのみで、形容詞としてはまだ成立していません。
いずれ「みどりい」「むらさきい」という形容詞が成立していくでしょう。、外来語色彩名詞もむろん、まだ形容詞になっていません。しかし、百年後には、ぴんくい、おれんじい、などが成立しているだろうと推測されます。
発光ダイオードが発明される前、青色を発色するライトは存在しなかった。そこで、国際的な信号では、安全進行すすめ:緑色のライト。危険:黄色のライト。止まれ:赤い信号が用いられた。緑色の信号を「青信号」と呼んでいたのだが、実際には緑色であったために、現代的な色彩感覚をもつ人は「あれは、青ではなく、緑色なので、私は、緑信号と呼ぶ」と考えた人もいた。しかし、その人々も青葉をみどり葉にしたり、青りんごをみどりりんごということはほとんどなかった。次回、おばあさんにあったとき、緑色のりんごをなんとよんでいたか質問してください。
<質問2>
「知らん」「分からん」の「ん」とは文法的に何ですか?
<回答2>
「知らぬ」「わからぬ」の「ぬ」は、国文法では否定の助動詞。日本語文法では「動詞の否定形」です。「ん n」は、「ぬ nu」のうちの「u」が脱落して発音変化したものです。
<質問3>
「水を飲む、息をのむとはいうけど、現時点では、車をのむ、ビルをのむとはいわないよね」と先生はおしゃっていましたが、「津波がビルをのみこんだ」などという際、使用されていると思うのですが、それはまた違うのでしょうか。
<回答3>
初級では、実際に口のなかに飲み込む動作のみを扱う。口の中で咀嚼せずに体内に摂取するのが「飲む」
「津波がビルを飲み込む」は、擬人法を含む比喩表現です。中級上級クラスになると、比喩表現も扱いますが、初級の学習者にはそこまで教えません。
また、日本語では「薬を飲む」という連語(コロケーション)が成り立っています。古来の薬は煎じて液体で摂取したからです。薬が錠剤やカプセル剤になっても、薬を噛まずに摂取するので、「薬を飲む」という連語はかわりません。一方英語では「クスリ」と「飲む」は連語にならず、薬を摂取するという「take medicine(薬を取る、)」という連語になっています。
日本語では「スープを飲む」と言います。体内への摂取において、気体液体は「飲む」咀嚼する固体は「食べる」です。英語では、カップに口をつけて摂取するのは「飲む」。スプーンを使って口に入れるのは「食べる」。したがって、「eat soup(スープを食べる)」と言います。
ほかにも、連語の違いは、言語によってさまざまです。
「息をのむ」は、「おどいろて、呼吸を止める状態」をいう慣用表現です。「涙をのむ」は、口惜しさ悲しさを我慢するときの慣用表現。実際に涙を口に入れなくてもよい。
<つづく>