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ぽかぽか春庭「王のスピーチ王女のコックニーその1」

2014-09-11 01:00:01 | エッセイ、コラム
201409011
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>ことば映画(1)王のスピーチ王女のコックニーその1

 アリストテレスの著作『弁論術』に代表されるように、古代ギリシャでは雄弁術は、市民必須の「生きていく技」でした。
 時代が2000年もたった近代国家成立以後も、欧米社会では「いかに話すか」は、人が生きていく上で基本的な教養でした。演説(スピーチ)を知的ユーモアにまぶして朗々と伝達する技術を持っていない者には、社会階層の上部に属していることが難しくなる。

 いかに発音し、いかに話すか。
 『英国王のスピーチ』と『マイ・フェア・レディ』は、どちらも言語矯正をストーリーの要にしています。
 そのどちらにも共通して出てくる訓練法があります。ヨーク公アルバート王子が、妻のエリザベスに勧められて受けている、古代ギリシャ伝統の吃音矯正法。療法士は王子の口にビー玉を入れ、王子はあやうく飲み込みそうになって立腹します。もう、治療など受けぬ、と。

 古代ギリシャの雄弁家デモステネスは吃音者でした。彼は小石を口に入れて発音することによって、自ら吃音を矯正したと伝わっています。吃音矯正は大変難しく、近代に至っても、古代ギリシャのような方法しか手立てがなかったのだ、とわかります。

 マイフェアレディのイライザ(オードリー・ヘプバーン)も、言語学教授ヘンリー・ヒギンズ(レックス・ハリソン)によって、口にビー玉を突っ込まれ、こちらは本当に一粒飲み込んでしまうのです。自分本位にしかものごとを考えられないヒギンズは「心配するな。ビー玉は、まだたくさんある」と、平然としています。

 マイフェアレディの時代は、第一次世界大戦が勃発する1914年の数年前に時代設定されています。ヨーク公アルバート王子(のちのジョージ6世1895 - 1952)が吃音矯正を始めた第一次世界大戦後になっても、言語矯正の方法のひとつに、この「ビー玉法」が残っていたことがわかります。

 私の友人がカラオケ教室に通ったときは、割り箸を横にして口にくわえて発音練習をしたと言っていました。また現代日本の吃音矯正教室では、ビー玉のかわりにあめ玉を使うこともある、ということですから、デモステネスの方法は、現代にもちゃんと使われているんですね。

 ジョージ6世の言語矯正にあたったライオネル・ローグは、映画『英国王のスピーチ』で知られるように、オーストラリア人で俳優出身。
 ローグは、英国正規の言語療法士の資格は持っていませんでしたが、独自の方法と誠実な人柄によって、ヨーク公(ジョージ6世)夫妻の信頼を得ました。友人として接することによって吃音を矯正していき、王が56歳で崩御するまで近侍しました。

 対独戦争のさなか、ラジオを通じてジョージ6世が自国民を励ますシーンは、感動的です。
 一方、文字の国の「玉音放送」では、文字を見ずに耳できいただけでは、内容がわかりにくかったと思います。「まだ、戦争を続けるから、耐えがたきを耐えろ」という放送なのだと誤解した人もいたというのも無理はない。一般国民には聞いたこともない漢語の羅列で、「耳で聞いただけでは理解できない放送」です。

独特の抑揚によって、いっそうわかりにくくなっている朗読ではありますが、音声で伝達する技の練習を一度も受けたことがなかったであろう人の発音にしては、滑舌は思ったほど悪くないと感じました。このわかりにくい原稿を書いた人々も、この朗読の内容が、すらすらと国民に理解できることを前提としてはいなかっただろうと思います。

 明日香時代奈良時代に「書き言葉」が成立して以来、日本語は「音声言語」としては、あまり発達しませんでした。書き言葉は時代とともに成長してきたけれど、「音声で人と議論し、音声で自分の考えを伝える」という技術が重んじられたことはなく、「ベラベラしゃべる」ひとは軽んじられる風潮でした。

 現今、政治家のことばのあまりの貧しさに、唖然とすることもしばしばです。麻生太郎氏は終末期医療に関して、社会保障制度改革国民会議で、「(高額医療について)私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをしてもらう必要ない、さっさと死ぬからと書いて渡している」と発言。麻生のような人こそさっさと死んでもらいたいですが、国民一人一人の命について「高齢者はさっさと死ね」なんていうことばしか持たない政治家を、私たちは選んでいます。

 政治家のことばが重要視されるアメリカでは、中央の政治家ともなると、スピーチを助ける専門家がついて発話訓練し、何を言うべきで何を言うべきでないかをきちんとコントロールするそうです。

 ジョージ6世がライオネル・ローグとの間に友情を育てたほどでなくてもいいから、発話能力を高める専門家をつけたらいいのに、と思います。もっとも、日本の政治家は、公式発言ではなく、裏の「失言」こそ「言いたいことを勝手に言う」場と心得ているのかもしれません。

<つづく>
コメント (2)
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