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ぽかぽか春庭「旧松本高校」

2014-09-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140904
ぽかぽか春庭@アート散歩>建物散歩学校校舎part2(3)長野県旧松本高校

 昨年の夏、長野新潟山形の近代建築探訪の旅をした記録のなかで、旧松本高校の写真をまだUPしていませんでした。

 北杜夫の「ドクトルマンボウ青春記」を読んで自由闊達な校風だった旧制松本高校を知ったも、ずいぶんと昔のことになってしまいました。
 私の卒業した女子高校は、旧制女学校時代の良妻賢母教育を受けた卒業生がそのまま母校で教鞭をとっているような時代で「私の目の黒いうちは、生徒に勝手なことをさせぬ」と教壇から見下ろしていました。早く自由のない高校を出て、自分なりの生き方を見つけたいと願っていました。

 田舎町では、女の子が大学なんぞに行くと今期が遅れると言われていて、1クラスに55人も詰め込まれた団塊時代、8クラスのうち、4年生大学進学希望は1クラスだけ。2クラスは短大、専門学校進学クラス。あとの5クラスは、高校を出て数年おつとめしたら結婚という、「女の幸福は結婚にある」という学校方針に逆らわないクラス。
 それが、今では県下でも有名大学進学率を競う進学優先校になっている、とは、クラス会幹事のひさちゃんの報告によります。

 それに比べると松本高校では、北杜夫たち、戦時下であっても、ずいぶんとのびのび青春をすごしたように思えました。自治と自由平等という理念を、軍国主義が強まっていく中でも持ちこたえていた、というところが多くの人材を育てたゆえんでしょう。

 北杜夫のほか、文学関係だけあげても、臼井吉見、唐木順三、辻邦生、中島健蔵などそうそうたる人々が輩出しています。
 かれらが、語り合ったであろう校舎、本館と講堂が現存しています。
 現在は、松本市あがたの森文化会館として、地域交流の拠点として利用されています。重要文化財指定は2007年。

 中庭を囲むコの字型の校舎。


 本館は、1920(大正9)年竣工の洋風建築、講堂は1922(大正11)年に竣工。
 明治大正の学校建築の保存でも、移築復元の建物が多い中、旧松本高校は、当初の場所にそのまま残されており、貴重です。設計は、文部省大臣官房建築課が担当。

 復元された旧校門から


 中庭。生徒達が将来の夢をかたりあったこともあったかもしれません。


階段室と廊下
  

復元された校長室


   

 私が見学したときも、本館では[「サロンあがたの森」という集まりの講演会や子供中心のイベントが行われていて、市民の利用は活発なようでした。
 

<つづく>
コメント (8)
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