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ぽかぽか春庭「市川崑のかあちゃん」

2014-09-10 00:00:01 | エッセイ、コラム


20140910
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>かあちゃん映画(3)市川崑のかあちゃん

 かあちゃん映画第3弾は、タイトル「かあちゃん」
 山本周五郎の原作を、和田夏十が脚本にして、市川崑監督に残しました。市川崑は、愛妻の宿題にこたえて、2001年、「かあちゃん」を完成しました。和田夏十が亡くなって18年目のこと。

 かあちゃんを演じたのは、岸惠子。市川崑の定番ヒロインです。美人役の岸惠子が母親ののおかつで違和感ないかなという予想を見事くつがえして、岸惠子は、この役で第25回日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を獲得しています。
 長男うじきつよし、一家に居着く流れ者勇吉原田龍二。おかつ一家が住む長屋の住人達も芸達者をそろえ、音楽担当の宇崎竜童も同心役で出演。

 江戸後期、江戸の町は、天保のどん底不景気に覆われています。
 おかつは、たくましくも人情いっぱいに生きた5人の子持ちかあちゃん。モンゴルが遠いように、天保も遠いので、母性神話ファンタジー成立します。江戸後期の貧乏長屋を描いた美術の西岡善信も、最優秀美術賞。

 人助けのためなら、お上相手の大芝居も私文書偽造もなんのその、3年もの間、食うや食わずで金をため、出所してくる長男の友達のために貯金に励む一家のおはなし。これも現代日本を背景としたなら、ずいぶんと嘘っぽくなってしまい、「ウソでぃ、こんな友達思いの一家があるものか」と、なってしまうに違いないのだけれど、そこは大江戸ファンタジー。

 人を助けるために何の見返りも求めずに、ケチとののしられ金を貯め込んでいるだろうと疑われても、せっせと働きに働き続ける。食い詰めてどろぼうになろうとする勇吉を善意で包みこみ、立ち直らせる。5人の子ども達は母親を信じて、せっせと働く。

 でも、おかつのような生き方を、「嘘でぇ」と言ってしまわないのは、私の母もこういう人だったから。我が身を二の次にして人様のために尽くす、そういう母を見て育って、姉と妹のモモは、そっくり同じに人助けに精を出すおっかあに成長しました。
 妹のモモは、ずっと地元で暮らしているために、母が亡くなって40年たつ今でも、街を歩くと「おお、あんたはシズエさんの娘さんか。私らは、あんたのお母さんには、えらいお世話になって、ずっと感謝していたんですよ」などと言われると話す。「まったく、うちのお母さんはどんだけ人助けをしたのやら」と。

 私は伯母アヤ(母の姉)の性質を受け継いで、世間交わりができず、誰も助けず助けてもらわない人間に育ちました。同じ姉妹なのに、私だけ伯母似。
私は、おかつや妹モモとは違って、まずは自分がうまいものを食べたくて、人様が食べていたら、うらやむねたむやっかむひがむ。

 妹モモを見ていても、人助けをしないではいられない性質というのもあるのだろうと思います。人が不幸な目にあっていたら、それが気になって眠れず、助けに駆け出さないでは一日気分が悪い。

 おかつは、出所してきた長男の友人をごちそうを作って待ち、勇吉の働き口もなんとかなって、一家はこの先も人助けをしながら生きていくだろうというところで、市川崑の『かあちゃん』は、おわります。

 ベたな善意や、一点くもりもない「母心賛美」を受け付けられない人もいると知った上での、市川崑の最後まで善意のみを貫く画面。
 おかつが「どんな親であれ、オヤの悪口を言ってはいけない」と勇吉に説く場面、我が子を虐待して死なせてしまう親が続出する昨今の社会を見ても、市川はおかつにやはりこう言わせるのだろうと思います。

 市川の母性信仰、和田夏十への祈りみたいなものなんでしょう。
 脚本は市川崑と和田夏十のこどもであり、和田への無条件の愛情が、母が子に寄せる愛情の無条件の肯定となっているのではないか、という気がします。
 「日本の男は、すべてマザコン」説に従うなら、市川崑もまた。妻と言う名のママに限りなく寄り添い包まれていたい男の一人だったのだろうと。

 和田夏十が亡くなって18年後に、妻が残した脚本の映画にした市川崑。この作品のあと、『犬神家の一族』をリメイク。(2006)、『夢十夜』の第二夜を撮って、2008年に92歳で大往生。映画人として悔いのない一生だっただろうと思います。

<おわり>
コメント (2)
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