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20140920
ぽかぽか春庭@アート散歩>建物散歩学校校舎part3(1)旧福島県立尋常中学校本館(安積歴史博物館)
昨年夏から続くマイブーム、近代建築ことに擬洋風建築によって建てられた学校校舎を見て歩くというテーマがまだ終わっていません。9月6日土曜日から8日月曜日まで、2泊3日の東北の建物をめぐるひとり旅に出ました。
東北へいくというおおざっぱな目的を決めて、6日朝東北本線(在来線)に乗り、おなかがすいたので、降りたところが郡山。
駅前の観光案内所で市内観光地図を手に入れ、見目良い校舎を求めて、郡山駅前からバスに乗りました。安積開拓の記念である開成館見学のあと、道順を教わり、歩いて県立安積高校へ。
旧福島県尋常中学校本館。現在は安積歴史博物館として建っています。今回は、運がいいことに、地震後の修復作業を終えてグランドオープンしたその当日に訪問したのです。8月中に来ていたら、中には入れないところでした。
オープン当日なので午前中はテープカットなどが行われたと言うことでしたが、私が中を見学したときは、地元のテレビ局が取材に来ていました。
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福島尋常中学校は、1884(明治17)に「福島県福島中学校」として設立し、現在は「福島県立安積高等学校」になっています。県下有数の進学校であり、スーパーサイエンス校に選ばれた高校でもあります。
校舎は1889(明治22)年に建てられました。校舎は1973年に県重要文化財、1977年には国の重要文化財に指定されました。
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木造・洋風建築として教育資料などの整理整頓も進められていますが、正直なところ、博物館展示としては、「この一点があれば、ファンは必ず見にくる」という目玉の展示は見当たりませんでした。
私にとっては、「本校出身者」の偉人紹介の部屋がいちばんおもしろかったです。歴史学者の朝河貫一(あさかわ かんいち、1873 - 1948」の資料など、興味深く観覧しました。
校舎内の展示スペース、図書の展示や高校美術部OB会の油絵などの展示が行われていました。
展示はおいおいと充実させていくとして、とにかく、建物自体が重要な美術品です。
玄関と廊下
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受付にいた方は「元安積高校の先生が退職後、安積歴史博物館の担当になって食卓としてのこりました」という感じの人で、校舎内をぼうっと見ていた私に「今ね、テレビの取材が来ていて、これから大講堂のシャンデリアの電気をつけるから」と、教えてくれました。修理復元した豪華なシャンデリア。どうせ見学するなら、電気がついたところのほうがきれいだろうと、声をかけてくれたのです。(食卓は嘱託の誤変換ですが、アントニオ木村様から、校正しなくてよいとのおおせにて、ほんと、定年後の食卓確保のために働くのが嘱託かと思いました)
復元された照明具
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旧福島中学校が設立された年1884年、というと、思い当たるのが当時の県令(県知事)三島通康(1835 - 1888)です。三島が福島県令として在任していたときの出来事といえば、福島事件(自由民権運動の弾圧)が思い浮かびます。
自由民権派にとっては「鬼県令」でしたが、三島は前任地の山形県令時代にも「土木県令」として名をとどろかせ、県下の道路整備、数々の公共施設を建設していました。
福島でも「土木県令」の名の通り、さまざまな公共施設建設を行っています。福島中学を設立させたのも、三島の仕事と思います。ただし、1986年の校舎落成時には、三島は福島にはいませんでした。越後街道、会津街道、山形街道の3つの街道を県令として整備開通させ、栃木県令として転出したあとの校舎落成でしたから。
安積郡桑野村この校舎が落成したあと、付近の人はこの建物を学校とは呼ばず「桑野御殿」と呼んだそうです。豪華絢爛な洋風校舎、ご近所の人にとってはきらめくシャンデリアは目もくらむものだったのではないかと想像しました。
ベランダからのながめ
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安積高校では、「創立130周年文化祭」が行われているところで、生徒たちも、1884年の開校から長い歴史を振り返っていた展示やだしものを披露していました。
生徒たちは指導が行き届いているとみえて、みなが、外来者の私にも「こんにちは」と気持ちのよいあいさつをしてくれました。
歴史的な建物を有する学校で、誇り高く学んでいく生徒達なのだろうと、「こんにちは。東京から君たちの学校を見に来ましたよ」と、返事を返しました。
<つづく>