20140914
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>ことば映画(3)国語元年
「マイフェアレディ」My Fair Ladyは、直訳すれば「私の美しい淑女」だと思っていたのですが、このタイトルも原作者バーナード・ショウのひとひねりが入っていました。
ロンドンのメイフェア地区は、かってはイギリスきっての高級住宅街。現在は高級品商店街。eiをaiと発音する下町訛りコックニーだと、メイフェアはマイフェアになります。
「メイフェアレディ」といえば、高級住宅街メイフェアに住んでいるレディ、という意味なのに、コックニーで発音すると「マイフェアレディ」になってしまいます。皮肉屋のB・ショウは、タイトルでもコックニーをからかっているのです。
テレビの名探偵ポアロを見ていたら、メイフェアレディが出てきました。推理作家のアリアドネが美容院へ行って情報を集めようとしますが、店長は忙しそうで相手にしたがらないようす。どこに住んでいるのか聞かれたアリアドネが「メイフェアに住んでいますわ」と答えたとたんに、店長の態度が変わりました。店長の「これは逃してはならぬ上客だ」という豹変ぶりがおかしかったです。日本だと、「渋谷の松濤に住んでいますわ」とか、「宅は田園調布ですの」とか言っておくところかも。
メイフェアをマイフェアとしか発音できないイライザは、キングズイングリッシュを獲得して街角の花売り娘から「ちゃんとした花屋の店員」に成り上がりたいと願って、ヒギンズの「なまり矯正」を受けることにします。階級社会イギリスでは、花屋の店員に採用されるにも、「キングズイングリッシュ」が必須条件であったことがわかります。
また、ジョージ6世は「王者として威厳のあるスピーチをするために」吃音矯正に励みます。
イギリスが、現在でも階級社会であり、言葉による階級差が大きい社会であるから成立するストーリーでした。
日本では、江戸から明治に移り変わり、明治も中期になって政治情勢が安定すると、近代国家にふさわしい言語を、という大きな言語改革の波が起こりました。
政府の中枢をしめた人たちは、西洋滞在経験を持ち、フランスなどで国家統一のために言語統一を実施して「アカデミックフランス語」とでもいうべき規範言語を作り上げたことなどを知っていました。また、軍隊などで各地から寄せ集められた兵士に命令を届けるためには、各地の方言を持つ兵士に共通言語が必要があったこと、天皇を中心とした国民一体化をすすめるには、義務教育で共通言語を推進していく必要があること、などから全国標準語の制定は、明治政府にとって急務の課題でした。
上田万年(うえだかずとし(1867 - 1937帝国大学博言語学科の初代日本人教授)らが中心となり、明治代後半に言語政策(標準語制定や義務教育を通じての普及)などを押しすすめていきました。
この、標準語をどのように制定するか、という明治の言語政策をドラマにしたのが、井上ひさしの『國語元年』です。
私は、NHKで、1985年の6月8日から7月6日までNHK総合テレビ連続ドラマとして放映されたとき、リアルタイムで見ることが出来ませんでした。我が家にテレビがなかったからです。
(娘の保育園で「きのう見たテレビ」が幼児たちの話題になってきて、テレビのない我が家ですごす娘がその話題に加われないでいることを知った姉が「親は、本さえあればいいと思っているだろうけれど、こども集団の中に我が子を放り込んでおきながら、子どもが仲間との話題についていけないような暮らしをするのは、親として失格」と、怒って、赤いテレビを買ってきて部屋に置いていきました。1986年か1987年のことだったと思います)
井上ひさし自身が舞台版の戯曲にしてこまつ座で上演しています。私はテレビ版戯曲の『國語元年』を新潮社の単行本と中公文庫の両方を持っていますが、ドラマを見たのは、つい数年前のこと。図書館のDVD棚にシリーズがそろっているのに気づき、借りて見ました。本で読んでもおもしろかったけれど、芸達者な役者をそろえたドラマ、ほんとうにおかしくて腹を抱えて笑い、せつなくて涙ほろり。
実際の標準語制定の作業は、このドラマとは異なっていたでしょうが、主人公の文部省役人南郷清之輔は、長州弁。薩摩弁の舅と妻、江戸山の手の武家言葉の女中頭、下町ことばの女中、津軽弁の馬丁、名古屋弁の書生、京ことばの居候、会津弁のどろぼうなどが入り乱れ、すったもんだのことば騒動が起こります。
学生に標準語制定の話をするときに、見せたいと思っているのですが、NHKのドラマでは長すぎて、授業時間で見せられません。こまつ座の舞台なら3時間弱なので、90分の授業2回分で見せられるかと思うのですが、舞台のDVDは売り出されていないみたいです。
標準語がどのようにして作られたのか、史実とは異なっていても、学生にとっては私の授業を聞いているより興味を持ってくれるんじゃないかな、と思います。
映像の一部を利用することは、ときどきあります。福島県の無アクセントの響きを聞かせるには、『フラガール』の冒頭、蒼井優がぼた山のてっぺんで、女子高校生同士の会話をするところなどを聞かせて、「いいですねぇ、福島弁」と、うれしく聞き入る。ことばの多様性を保証していきたい、という希望を述べ、方言のすばらしさを伝えるにも、映像は役にたちます。
方言や標準語の話題以外にも、「日本語学」の授業で扱うことは様々です。社会言語と言語政策、言語獲得と第二言語獲得、バイリンガル・マルチリンガルなどさまざまなことがらを扱いつつ、言語とは何かの基本を伝えていきます。
さて、次の学期ではどんな映画を「言語学を知るために見る映画」にしていったらいいでしょうか。
<つづく>
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>ことば映画(3)国語元年
「マイフェアレディ」My Fair Ladyは、直訳すれば「私の美しい淑女」だと思っていたのですが、このタイトルも原作者バーナード・ショウのひとひねりが入っていました。
ロンドンのメイフェア地区は、かってはイギリスきっての高級住宅街。現在は高級品商店街。eiをaiと発音する下町訛りコックニーだと、メイフェアはマイフェアになります。
「メイフェアレディ」といえば、高級住宅街メイフェアに住んでいるレディ、という意味なのに、コックニーで発音すると「マイフェアレディ」になってしまいます。皮肉屋のB・ショウは、タイトルでもコックニーをからかっているのです。
テレビの名探偵ポアロを見ていたら、メイフェアレディが出てきました。推理作家のアリアドネが美容院へ行って情報を集めようとしますが、店長は忙しそうで相手にしたがらないようす。どこに住んでいるのか聞かれたアリアドネが「メイフェアに住んでいますわ」と答えたとたんに、店長の態度が変わりました。店長の「これは逃してはならぬ上客だ」という豹変ぶりがおかしかったです。日本だと、「渋谷の松濤に住んでいますわ」とか、「宅は田園調布ですの」とか言っておくところかも。
メイフェアをマイフェアとしか発音できないイライザは、キングズイングリッシュを獲得して街角の花売り娘から「ちゃんとした花屋の店員」に成り上がりたいと願って、ヒギンズの「なまり矯正」を受けることにします。階級社会イギリスでは、花屋の店員に採用されるにも、「キングズイングリッシュ」が必須条件であったことがわかります。
また、ジョージ6世は「王者として威厳のあるスピーチをするために」吃音矯正に励みます。
イギリスが、現在でも階級社会であり、言葉による階級差が大きい社会であるから成立するストーリーでした。
日本では、江戸から明治に移り変わり、明治も中期になって政治情勢が安定すると、近代国家にふさわしい言語を、という大きな言語改革の波が起こりました。
政府の中枢をしめた人たちは、西洋滞在経験を持ち、フランスなどで国家統一のために言語統一を実施して「アカデミックフランス語」とでもいうべき規範言語を作り上げたことなどを知っていました。また、軍隊などで各地から寄せ集められた兵士に命令を届けるためには、各地の方言を持つ兵士に共通言語が必要があったこと、天皇を中心とした国民一体化をすすめるには、義務教育で共通言語を推進していく必要があること、などから全国標準語の制定は、明治政府にとって急務の課題でした。
上田万年(うえだかずとし(1867 - 1937帝国大学博言語学科の初代日本人教授)らが中心となり、明治代後半に言語政策(標準語制定や義務教育を通じての普及)などを押しすすめていきました。
この、標準語をどのように制定するか、という明治の言語政策をドラマにしたのが、井上ひさしの『國語元年』です。
私は、NHKで、1985年の6月8日から7月6日までNHK総合テレビ連続ドラマとして放映されたとき、リアルタイムで見ることが出来ませんでした。我が家にテレビがなかったからです。
(娘の保育園で「きのう見たテレビ」が幼児たちの話題になってきて、テレビのない我が家ですごす娘がその話題に加われないでいることを知った姉が「親は、本さえあればいいと思っているだろうけれど、こども集団の中に我が子を放り込んでおきながら、子どもが仲間との話題についていけないような暮らしをするのは、親として失格」と、怒って、赤いテレビを買ってきて部屋に置いていきました。1986年か1987年のことだったと思います)
井上ひさし自身が舞台版の戯曲にしてこまつ座で上演しています。私はテレビ版戯曲の『國語元年』を新潮社の単行本と中公文庫の両方を持っていますが、ドラマを見たのは、つい数年前のこと。図書館のDVD棚にシリーズがそろっているのに気づき、借りて見ました。本で読んでもおもしろかったけれど、芸達者な役者をそろえたドラマ、ほんとうにおかしくて腹を抱えて笑い、せつなくて涙ほろり。
実際の標準語制定の作業は、このドラマとは異なっていたでしょうが、主人公の文部省役人南郷清之輔は、長州弁。薩摩弁の舅と妻、江戸山の手の武家言葉の女中頭、下町ことばの女中、津軽弁の馬丁、名古屋弁の書生、京ことばの居候、会津弁のどろぼうなどが入り乱れ、すったもんだのことば騒動が起こります。
学生に標準語制定の話をするときに、見せたいと思っているのですが、NHKのドラマでは長すぎて、授業時間で見せられません。こまつ座の舞台なら3時間弱なので、90分の授業2回分で見せられるかと思うのですが、舞台のDVDは売り出されていないみたいです。
標準語がどのようにして作られたのか、史実とは異なっていても、学生にとっては私の授業を聞いているより興味を持ってくれるんじゃないかな、と思います。
映像の一部を利用することは、ときどきあります。福島県の無アクセントの響きを聞かせるには、『フラガール』の冒頭、蒼井優がぼた山のてっぺんで、女子高校生同士の会話をするところなどを聞かせて、「いいですねぇ、福島弁」と、うれしく聞き入る。ことばの多様性を保証していきたい、という希望を述べ、方言のすばらしさを伝えるにも、映像は役にたちます。
方言や標準語の話題以外にも、「日本語学」の授業で扱うことは様々です。社会言語と言語政策、言語獲得と第二言語獲得、バイリンガル・マルチリンガルなどさまざまなことがらを扱いつつ、言語とは何かの基本を伝えていきます。
さて、次の学期ではどんな映画を「言語学を知るために見る映画」にしていったらいいでしょうか。
<つづく>