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20140909
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>かあちゃん映画(2)アイリッシュ・ハープ-あなたを抱きしめる日まで
2012年12月に、イギリスオーストラリア合作の映画『オレンジと太陽』を紹介しました。イギリス、アイルランドカトリック教会が関わって、児童施設の幼い子ども達をオーストラリアに移民させたことを告発した映画です。子ども達は強制労働やカトリック神父による性的虐待など、さまざまな過酷な運命にさらされ、心身やんでしまった人も数多くいました。そのような運命を持つ子ども達が成人後、自分たちの本当のルーツを知りたいと、ケースワーカーの女性とともに母親探しをした実話に基づくお話でした。
ジュディ・デンチ主演の『あなたを抱きしめる日まで(Philomena)』も、できごとの背景は同様の事情を持っていました。原作のノンフィクション『フィロミナ・リーの失われた子どもThe Lost Child of Philomena Lee』は、マーティン・シックススミスによって執筆されました。映画では、。奪い去られた我が子を探すフィロミナの協力者として登場します。
20140821に、飯田橋ギンレイで鑑賞。
イギリスのアイルランド地方。
親を失った子ども、貧しくて親が育児放棄した子ども、未婚の母が生んだ子ども。それらの不幸な子ども達を、カトリック修道院などの児童施設からアメリカなどへ「養子」として出国させていた陰には、さまざまな秘密がありました。
その秘密は、教会が子ども一人につき1950年代の値段で1000ドルの寄付を要求してきたこと。つまり、1000ドルの値段さえ払えば、子どもを買うことができた、という事実です。
私が『あなたを抱きしめる日まで』を見たのは、デイム(Dame)ジュディ・デンチの78歳の演技はどういうものになっているのだろう、という興味からでした。ジェームズ・ボンドの上司Mであり、エリザベス1世やビクトリア女王を演じて、女王らしい威厳と華やかさと細やかな心理を演じてデイムの貫禄を見せてきたデンチ。
『ラベンダーの咲く庭で』のマギースミスとの「婆さん恋心」演技合戦など、見応えのある演技を見せてきたデンチが、「母」の情念をどのように画面に出すのだろうという興味が半分。『オレンジと太陽』のほかにも、アイルランドカトリック、いろいろやらかしてますなあという野次馬興味半分。
映画は、とてもよかったです。
アイルランドの女性フィロミナ・リーが、50年間、奪われた息子を探し続けた物語です。
デンチの母心演技もよかったし、「カトリック教会を誹謗中傷する映画」というカトリック側の非難をはね飛ばす強い内容を持った映画であり、カトリックの説く許しと愛の精神は、教会の中にではなく、素朴な女性の中にあるのだという思いが伝わりました。
以下、ネタバレ満載の紹介です。未見の方、ご注意を。
あらすじ
看護師として30年働き、今は娘と静かな生活を送っているフィロミナ。娘にも打ち明けなかった秘密がありました。
10代で未婚の母として息子を出産したことがあるのです。父親によって家を追い出され修道院で洗濯婦として働きながら息子アンソニーを育ててきましたが、息子が5歳のころ、突然養子を探しにきたアメリカ人夫婦によって連れ去られます。修道院側に、「息子の親権放棄」の書類を提出させられていたフォリミナは、泣きながら息子を見送ることしかできませんでした。いつか、息子を探し出すと、心に秘めたまま、50年がたちました。
フィロミナは50年間息子を忘れた日はなく、「どうかアメリカで幸福に暮らしていてほしい。でも、もしもホームレスとか不幸な目になっているのなら、探して手をさしのべたい」と、思い続けていたのです。同様の運命にあった未婚の母も数多かったのですが、何度フィロミナが修道院をたずねても、息子アンソニーの消息は手がかりをつかめませんでした。「記録はすべて失われている」というのが教会のいいわけでした。
ジャーナリストのマーティンは、フィロミナの話に興味を持ち、息子捜しを手伝うことになります。「母と子の感動の再会」を売り物の記事に仕立てようという編集長の話にのったのです。
最初は、テレビジャーナリストを失業した穴埋めの仕事と思っていたマーティンでしたが、しだいに、ジャーナリストとして真実を明らかにしたいという思いが強くなり、フィロミナをつれてアメリカへ旅立ちます。
フィロミナ自身は、修道院を訪問するくらいしか息子を探す手立てを持っていませんでしたが、ジャーナリストとしてさまざまな取材の手段と人脈を持っていたマーティンは、養子縁組や移民の記録から、ついに息子アンソニーの消息をを探し出します。フィロミナにとっては、過酷な真実でした。
かってのカトリック教会には、「お金さえ払えば、子どもを金持ちのアメリカ人に渡す」という方針がありました。教会には、「未婚の母が生んだ子どもは、貧しく未熟な母親と暮らすより、金持ちのアメリカ人に渡したほうが子どもの幸福になるのだ」という考え方があり、修道女には「未婚で子どもを産むなどという大罪をおかした母親は、汚れている」という信念がありました。
若いフィロミナがどれほど息子を愛していても、修道院にとっては、そんな愛情は身勝手なものであり、教会の方針はまちがっていない、と考えていたのです。そして、教会がお金で子どもを売っていたという事実が明らかになることをおそれ、互いに探し合っている母と子を知っても「記録はない」と双方に言って、真実を隠し続けました。
フィロミナは、息子はアイルランドで生まれたことや、生みの母のことなど忘れてしまったのだから、息子がアメリカで自分を曲げずに生きていたというそれだけを胸に刻めばいいのだ、と納得します。
しかし、マーティンはひとつの小さな事実に気づきます。手に入れたアンソニーの写真の胸元を拡大すると、そこには小さなハープのバッヂがついていたのです。
アイリッシュハープは、アイルランドの国章です。イギリス先住民族ケルト人の伝統楽器で、ケルティックハープとも呼ばれ、アイルランド特産のギネスビールのロゴマークにもなっています。どうりで、マーティンの飲酒シーンでは、ギネスビールばかり飲んでいたわけです。観客は、マーティンが飲むとき、グラスや缶ビールのマークが画面に出てきたことの意味がようやくわかります。
アンソニーは、アイルランドで生まれ育った日々のことを忘れていませんでした。アメリカで成功を収めたのち、アンソニーもまた、生みの母親を探し続けていたのです。
フィロミナとマーティンは、最後にアンソニーの真実にたどり着きます。アンソニーは、生みの母親のもとに戻ることを願ったのでした。いつか母が自分を見つけ出してくれると信じて。
アンソニーと同じように、母親を探し続けた子ども、そしてフィロミナのように子どもを探し続けた母親は数多くいますが、カソリック教会は「子どもを金で売りさばいた」という非難を浴びないために、養子縁組の記録を隠し続けました。(カトリック教会は、神父が児童への性的虐待を続けてきたことや、マグダレン洗濯所で精神的虐待を含む強制労働を収容されている女性達に押しつけてきたことは、ようやく認めたのですが)
オックスフォード大学出身のエリートジャーナリスト、マーティンは、理知的な無神論者。一方フィロミナは、信仰を持ち続け、ハーレクインのような「ロマンス小説」を愛読する素朴な女性です。最初は、自分自身がジャーナリストとして復活するためにフィロミナの息子捜しを手伝っていたマーティン。
オックスフォードとケンブリオックスフォード出身のエリート層であるマーティンは、初めのうち、フィロミナを単純な信仰心の持ち主と思っていました。
オックスフォードとケンブリッジをいっしょにしてエリート層であることを表すオックスブリッジというのですが、フィロミナはオックスブリッジという名の大学があると思い込んでいるような、エリートとは縁遠い田舎の女性、と、マーティンの目には映っていました
。
しかし、フィロミナの人柄を知るにつけ、彼女が真の許しの心を持った深い愛情の持ち主であったことを理解していきます。
フィロミナの息子を探し続けるうち、マーティンもフィロミナの人柄から感化を受けていたのです。
過酷な運命を受けながら、自分を苦しめた人々をも許していくフォロミナ。デンチは、ユーモアに包みながら、繊細な演技で母の心を表現していました。フィロミナの深い愛情を知ることによって、映画は悲しくも充実した余韻を残して終わります。
原作の『フィロミナ・リーの失われた子どもThe Lost Child of Philomena Lee』を、タイトルロール Philomenaだけにしたのは、主人公のデンチを引き立たせているからいいのだけれど、『あなたを抱きしめる日まで』なんていう日本語タイトルにするくらいなら、私なら「ケルティックハープが響く日まで」という題にします。ラストシーンにはアイリッシュメロディをながしてエンドロール。
アイルランドの国章アイリッシュハープをマークにしたギネスビール
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アイリッシュ・ハープは、イギリスにもともと住んでいたケルト人たちが大切にしてきた民族楽器。アイルランド出身のアメリカ人にとっても、ケルティック・ハープのマークは、心のよりどころになっている、ということを、英国米国人は皆知っていることだけれど、日本人にとっては、ギネスビールのロゴマークとして知られている程度ですから、映画の勘所であるケルティッシュハープを、もっと全面に出してもよかったのでは、と思います。
<つづく>