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ぽかぽか春庭「華氏451度とふりがな問題」

2014-09-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140917 
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>ことば映画(5)華氏451度とふりがな問題

 1970年に『野生の少年』を撮ったトリフォーが、その4年前1966年に発表した映画が『華氏451度』です。
 原作は、レイ・ブラッドベリのSF小説。タイトルは、本が自然発火する温度が華氏451度(摂氏233度)です。日本語に翻訳すると消防士となるのが「Fire man」ですが、「華氏451度」で描かれる未来社会では、Fire manは、「火を燃やす男=焼却夫」です。

 本は有害とされ、本を読んだり所有したりしていると告発され、検挙されてしまう社会。人々は記憶を失い、社会には、物質的には豊かでも心満たされぬ人々が増えています。
 そんな中、ファイア・マンのひとりガイ・モンターグは、「自分がせっせと燃やしているこの本というものは、いったいどんなものなのだろう」と、関心を持ってしまいます。

 ガイの妻は物質的な欲望さえ満たされれば、本のない世界に満足して、自分たちは幸福だと信じて生きています。しかし、活字のない世界は、記憶が薄れていくにまかせる世界であり、自分の結婚記念日の記憶もあいまいになってきています。
 ガイの興味を本にひきつけるのは、妻にそっくりな女性クラリス。本を知ることによって、ガイは追い詰められていきます。

 3年に1度の現代芸術の国際展、ヨコハマトリエンナーレ。2014のテーマは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」です。
 「私たち現代人は今、根源的な何かを忘れて」いるのではないか?そのことに敏感に反応している芸術を集めることで、忘れていた大事なことを考える手がかりにしたい」というのが、今回の展示コンセプトです。

 横浜トリエンナーレで「華氏451度」がテーマになったからかもしれませんが、NHKプレミアムシネマで8月20日にトリフォーの「華氏451度」が放映されたので録画しておいて見ました。何度か見てきた映画ですが、これまでは映画館で見たりテレビ放映で見たりしてきて、ラストシーンに何がなしの希望を抱いて見てました。

 今回、は録画して見たので、ラストシーンに気になる部分が出てきました。録画のいいところ、繰り返しそこだけ再生しました。
 ラストシーン、森の中の隠れ里コミュニティで、ひとりひとりが「生きている本」となって本の内容を暗誦しています。
 フランス語やロシア語その他いろいろな言語の暗誦が行き交う中、ちらりと日本語が聞こえます。
 「いつも誰かに見られているように神経をとがらせ、、、、、」という日本語の本の一節。

 映画トリビアおたくたちの間では、「この一節の元ネタはなんだ」ということで、いっとき話題になったようですが、まだ確実な元ネタ本はわかっていないようです。シナリオライターのオリジナル?

 さて、この日本語の暗誦を聞いて、気になったのは元ネタだけじゃありません。日本語の暗誦そのものが気になったのです。なぜなら、日本語は、他のほとんどの国の言語が表音文字を使用しているのに対して、表意文字と表音文字の併用という書き言葉を使っているからです。

 表意文字漢字の本家はいうまでもなく、中国です。中国では、北京の宮廷言語(マンダリン)を標準語の基礎としています。これは、明代の中国語発音に、清朝すなわち元は遊牧民である満州族の発音特性が加わった近世以降の発音をもとにした標準語(普通話プートンファ)です。

 漢字は一文字が単音節(音のまとまりが一字につきひとつのみ)であるため、ひとつの発音に対して文字はいくつかが考えられます。たとえば、jiǔジウという発音の語でよく使われる単語に「酒jiǔ.」と「九jiǔ.」があります。文脈でわかることも多いですが、区別が紛らわしいとき、我买酒。Wǒ mǎi jiǔ.(私は酒を買う)と、我买九Wǒ mǎi jiǔ.(私はここのつ買う)の区別をはっきりさせる工夫があります。我买九个。Wǒ mǎi jiǔ ge.(私は九個買う)というように、九個という助数詞の入った語に変えて言えば間違えない。

 「学」(学ぶ)は拼音で (xué) です。xuéという発音の漢字は「学、穴、噱、踅、泶」の五文字あります。xuéという発音で「学ぶ」という意味に限定して伝えるためには、2音節の語にして「学习」 (xuéxí) とすれば、誤解がなくなります。我学习日语(私は、日本語を学習します)

 一方、日本語のアクセント体系は中国語とことなり、漢字ひとつひとつの四声(高低アクセント)は固定されていません。
 公園の「公」は高さが変わらない「平板」アクセントですが、「公爵」の「公」は「高低」の下降アクセントになり、中国語のように漢字ひとつに固定のアクセントがきまっていません。

 そのため、漢字熟語の同音異義語が中国語とは比較できないくらい数多くなります。
 和語での同音異義語もありますが、アクセントで区別できる語が多く、朗唱していて意味を取り違えてしまう和語はそれほど多くありません。音声とアクセントの両方が同じ和語はそれほど多くはないのです。

 「はしを あるいて いった」
 まず、動詞「いった」という発音で「言った」「行った」のふたつが考えられます。「はし」は、橋、端、箸がありますが、「箸」のみ「高低」アクセントなので、区別できます。また「はしをあるいて」という連語を作れるのは「端」と「橋」であって、「箸をあるいて」という状態が考えられるのは、一寸法師のお話をしているときくらいですから、「箸」と「歩いて」は、連語が成立しません。これは、コロケーションという連語文法が私たちの頭の中の辞書文法書の部分(脳の言語野)に、組み込まれているので、自然に選択できるのです。

 次に。「橋」と「端」は音声もアクセントも同じですが、助詞をつけると「橋を歩く」と「端をあるく」は標準語では「を」のアクセントが異なり、区別できます。
(ちなみに:一休とんち話の「この橋通るべからす」で一休さんが「端ではなく、真ん中を通りました」と答えるのは、「端通る、橋通る」で、助詞「を」つけずに言うから成立するのです)

 しかし、漢字熟語の同音意義語は、四声のある中国語に比べて大変多くなります。
 「きのう、こうえんへいった」
 「こうえん」は、公園へ行った。公演へ行った。講演へ行った。後援へ行った。が考えられます。前後の文脈で判断しても、文意を確実にすることが難しいときもあります。
 「きのう、わたしは こうへんへ いった。わたしとって うれしく たのしい こうえんとなった」という文が朗読されたとき、どのように判断すればよいでしょう。

 暗誦による音声言語として本を残すことは有意義ですが、日本語の場合、中国語以上に暗誦には不向きな本が多いのではないでしょうか。筆者が意図した意味を正確に伝えるには、同音異義語の注をいちいち入れ込まなければならないのではないか、と感じました。

 ことに、漢字のルビが特殊な場合に困ります。たとえば「煙草」という漢字にタバコとルビがつけられているときと、「たばこ」や「タバコ」と仮名表記があった場合、その表現効果はどれも異なる。それが暗誦ではどれもただ「たばこ」になり、同じになってしまう。

 「そらを とぶ」と音読したとき、書かれている文字にルビがふってあるとして「虚空を跳ぶ」「空を飛ぶ」と「宇宙を飛ぶ」と書かれているのとでは、読者が受ける読後感は異なります。でも朗読なら全部ルビがふってあるとおりに「そらを とぶ」にしか音読できません。

 文字を見ることによって感知できる言語文化も多い。この「表意文字を使う日本語」の問題、解決するのはむずかしい。
  夏目漱石が書いたエッセイのタイトル。「倫敦塔」を「ろんどんとう」と音読するだけでなく、「倫敦」という当て字の字面の効果が必要だと思います。漱石は、日本語と英語と漢文の三つを確実につかいこなせる人でした。

 漢字表記をやめて、表音文字ハングルひとつで表記することを決めて30年たった韓国で、同音異義語の区別がわからず、史記「사기」も詐欺「사기」もおなじ「サギ」という発音だけしかわからない世代が多数になってきました。
 私は史記が好きだ。私は詐欺が好きだ。どちらも韓国語では同じ発音同じ表記です。

 韓国の言語文化が変化してきていることを知ると、簡単に「音声だけでもわかるような表現をめざす」と言うわけにもいかない。

 レイ・ブラッドベリは、活字文化が衰えて、人々がテレビのおばか番組を見るだけになっている1950年代のアメリカの文化状況を憂えて「華氏451度」を書いたということです。
 21世紀、Fire man焼却士による焚書は経験せずにすんだけれど、活字文化は確実に衰えていると思います。

 活字本の自然発火は、すでに相当進んでいます。
 すべての本が燃え尽きてしまう前に、せめて一冊なりとも多く、この脳に染みこませたいのですが、ああ、悲しいことに、最近読んだ本の内容も、あらかた忘れているか、他の本の内容とごちゃまぜになってごったがえしているか。

 ごったがえしている私の脳は、華氏451度まで上昇せずとも、菓子50個程度で自然発火して、ミソが沸騰する。
 ほら、ここんところ、朗読したって「かしよんひゃくごじゅういちど」と「かしごじゅっこ」という音読では、お菓子くともなんともないでしょ。お華氏かった?

<つづく>
コメント (4)
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