20140916
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>ことば映画(4)奇跡の人、野生の少年
言葉は人間の基本ですから、「言葉」がテーマになる映画は、たくさんあります。
「言語獲得」は、映画でも重要なテーマとして登場してきました。たとえば『奇跡の人』。聾障害と視覚障害の両方を持つ少女ヘレン・ケラーの言語獲得を実現したアニー・サリバンThe Miracle Worker(奇跡を作り出す働き手)の物語は、舞台でも映画でも満場の人の涙を誘いました。
フランソワ・トリフォーが監督主演した映画『野生の少年』は、フランスの「アヴェロンの野生児」を題材にしています。10歳過ぎまで森の中で他の人間と接触せずに生きのびた少年が保護され、教育を受ける物語です。
現実のアヴェロンの野生児は、教育者イタール医師や周囲の人のの親身の世話を受けても、ある程度の人間的な感覚は取り戻せたものの、言語は獲得できませんでした。
アヴェロンの野生児はじめ、人間社会と接触せずに育った子どもの例はごく少ないですが、それらの症例を総合して、人間の子は、言語獲得の臨海期(0-12歳前後)に養育者や人間社会と接触をしていないと、耳や目が正常に機能していても、言語を獲得できないという仮説が出されています。
人にとってことばは本当に不思議な存在です。
美智子皇后が1994年にバッシングを受けたことによって失声症になったことがありました。ショック状態から心理的に声を失ってしまう症状です。ことばそのものを失ったわけではないですから、文字や手話で意思疎通ができます。
映画『ピアノレッスン』のエイダも、心理的ストレスから声を失ったのだと推測されます。彼女は手話ではなく、ピアノの音色と文字によってコミュニケートできましたから、心理的なストレスから解放されれば声を取り戻すことはできるはず。
脳科学の発達によって、失語症からの回復も適切な治療やリハビリがはかられるようになっています。
人が言語を得たこと。すごい進化だったなあと、心から思います。
ネアンデルタール人が、のどの構造の違いから、母音をうまく発生できず、クロマニヨン人ように音声言語を獲得出来なかった、というような人類進化の話を聞くと、言語獲得できたこと自体が奇跡のよう、人類全体が「奇跡の人」なのだと思えてきます。
はたして、この宝物の言語を、人間達は有効に使えているのかどうかということになると、またそれば別のお話。
我が言語の貧相なことには目をつぶり、目をつむったまま何を叫ぼうか。ヘレンケラーのように「水!」それともアヴェロンの野生児のようにたった一言獲得出来た「レ(牛乳)」?
春庭、14日夜のひとことは「とりあえずビール」でしたけれど。
<つづく>
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>ことば映画(4)奇跡の人、野生の少年
言葉は人間の基本ですから、「言葉」がテーマになる映画は、たくさんあります。
「言語獲得」は、映画でも重要なテーマとして登場してきました。たとえば『奇跡の人』。聾障害と視覚障害の両方を持つ少女ヘレン・ケラーの言語獲得を実現したアニー・サリバンThe Miracle Worker(奇跡を作り出す働き手)の物語は、舞台でも映画でも満場の人の涙を誘いました。
フランソワ・トリフォーが監督主演した映画『野生の少年』は、フランスの「アヴェロンの野生児」を題材にしています。10歳過ぎまで森の中で他の人間と接触せずに生きのびた少年が保護され、教育を受ける物語です。
現実のアヴェロンの野生児は、教育者イタール医師や周囲の人のの親身の世話を受けても、ある程度の人間的な感覚は取り戻せたものの、言語は獲得できませんでした。
アヴェロンの野生児はじめ、人間社会と接触せずに育った子どもの例はごく少ないですが、それらの症例を総合して、人間の子は、言語獲得の臨海期(0-12歳前後)に養育者や人間社会と接触をしていないと、耳や目が正常に機能していても、言語を獲得できないという仮説が出されています。
人にとってことばは本当に不思議な存在です。
美智子皇后が1994年にバッシングを受けたことによって失声症になったことがありました。ショック状態から心理的に声を失ってしまう症状です。ことばそのものを失ったわけではないですから、文字や手話で意思疎通ができます。
映画『ピアノレッスン』のエイダも、心理的ストレスから声を失ったのだと推測されます。彼女は手話ではなく、ピアノの音色と文字によってコミュニケートできましたから、心理的なストレスから解放されれば声を取り戻すことはできるはず。
脳科学の発達によって、失語症からの回復も適切な治療やリハビリがはかられるようになっています。
人が言語を得たこと。すごい進化だったなあと、心から思います。
ネアンデルタール人が、のどの構造の違いから、母音をうまく発生できず、クロマニヨン人ように音声言語を獲得出来なかった、というような人類進化の話を聞くと、言語獲得できたこと自体が奇跡のよう、人類全体が「奇跡の人」なのだと思えてきます。
はたして、この宝物の言語を、人間達は有効に使えているのかどうかということになると、またそれば別のお話。
我が言語の貧相なことには目をつぶり、目をつむったまま何を叫ぼうか。ヘレンケラーのように「水!」それともアヴェロンの野生児のようにたった一言獲得出来た「レ(牛乳)」?
春庭、14日夜のひとことは「とりあえずビール」でしたけれど。
<つづく>