20141104
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記11月(3)建物めぐり散歩with yokoちゃん
ブログ友達yokoちゃんは、いろいろな建物巡りの先達です。yokoちゃんのブログ写真を見て、「私もここに行ってみた~い」と、お出かけ場所を決めたりします。仕事が忙しい人なので、いっしょに出かける機会は数多くはありませんが、同じ場所に行って、同じ建物を見て、あれこれ建物について語り合えるのは楽しいひとときです。
11月2日、yokoちゃんといっしょに清泉女子大学へ出かけました。コンドル設計の建物、旧島津邸を見るためです。
今年は見学が中止されていましたが、大学祭の開催期間は、特別に公開されています。
鹿鳴館などを建てたコンドルの邸宅は、都内に、北区の旧古河邸や上野の旧岩崎邸が残されています。旧岩崎邸のもう一つが、品川駅近くの三菱開東閣ですが、こちらは三菱関係の人出ないと中に入れません。そして、もうひとつが、元島津公爵邸です。
yokoちゃんに撮ってもらった島津邸前のHAL

明治時代の旧島津邸、江戸時代には伊達藩の下屋敷だったそうです。1915年に島津家袖ヶ崎邸としてジョサイア・コンドルが設計。現在は清泉女子大学本館として使用されています。
大学祭で訪れたときは、旧島津邸の各部屋は、スペイン語科とか「地球市民学科の説明会に使用します」という「一般の方は見学できません」という札がドアにかかっていました。でも、説明会は行われていなかったので、勝手に中も見学しました。建物リポートはまたのちほど。
大学祭の見学はまったくしませんでしたが、女子大生たちの楽しげなようす、青春ていいなあと思いつつ眺めました。1970年代、私の青春時代には、母校は学園闘争のために大学祭が開催中止となっている時期でした。
二度目の大学生活では、1985年と1988年には大学祭に参加しましたが、ママさん学生として参加したので、保育園のお迎え時間を気にしながらの参加でしたから、青春謳歌ではなかった。
もし、運良ければ、三菱開東閣の門が開いていて、中をのぞけるかもしれないと思って品川駅にむかったのですが、今回もうっそうと茂る木々の間からまったくコンドル設計の旧岩崎弥之助高輪邸のお屋敷は見えませんでした。
品川駅ビルの食堂でナスの中華炒め定食を食べてから、プリンスホテル脇を通って、yokoちゃんにおもしろそうな建物を教わりながら、歩きました。
岡見健彦(1898 - 1972)が1932年に設計した、日本基督教団高輪教会。岡見は、フランク・ロイド・ライトの弟子だったとかで、教会の入り口横壁の印象は、ライト設計の自由学園明日館とそっくりでした。

白金二丁目にある、高輪消防署二本榎出張所を見学。係の人が、屋上から塔楼を眺めるスポットに案内してくれました。また、昭和36年まで現役だったというボンネット方の消防自動車の展示も案内してくれました。


次は、明治学院大学。こちらも学園祭開催中で、宣教師の住まいだったインブリー館が内部公開されていました。2011年の夏に見学して以来、久しぶりの訪問ですが、yokoちゃんも見たことある建物なので、写真をささっと撮影して、次の訪問地へ。
近くの八芳園。こちらも数年前に来たところですが、地図に「洋館」というのが出ているので、もしや前回見落とした古い洋館でもあるのかと思って寄ってみました。係の人に確認したのですが、リニューアルした新館を「洋館」と表記しただけみたい。
大久保彦左衛門の屋敷だった土地を、鉱山王・久原房之助が料亭にしたという八芳園。現在は結婚式場となっていて、何組もの新郎新婦がお庭に出て写真をとっていました。
幕末に生糸貿易でもうけた田中平八が建てた茶室。それを八芳園に移築したお茶室など見て通り抜けました。

東京大学医科学研究所の構内を通りぎる。
内田祥三設計の旧国立公衆衛生院本館は、老朽化によって囲いがされており、下部は見ることができません。研究所と病院部分は、まだ現役で使われています。東大の駒場キャンパス、本郷キャンパスの建物より、もっと内田ゴシックのゴシックらしさが出ている建物で、yokoちゃんはこの内田コシックは好きでないというので、中は建学せず。
東大医科学研究所

この医科学研究所と病院の建物は、内田の東大たてものの中でも、特に重厚な感じがするし、病院で亡くなった人の幽霊とかが出そうな雰囲気です。
旧国立公衆衛生院本館の建物は、文化財として改修保存し、港区が「ホスピタルパーク」なる施設にするそうです。
幽霊でそうな廃墟となっている現在のオモムキも、私は好きですけれど。
きっとホスピタルパークとかになっちゃうと、「お子様がたが、明るい雰囲気の中で、医学に関心を持ち、科学的探究心を高められるような」健康的施設になるんでしょう。けれど、こういう、いかにも毒がありそうな幽霊が出そうなままにしておいてほしい気もする。
子供心に「恐ろしい場所だった」と、大人になっても思い返してトラウマになりそうな場所ってのも、必要なんだと思うけれどなあ。
私は、子どものころ「避病院」というのがすごく怖くて、夢にうなされたりしたのだけれど。見世物小屋の「衛生博覧会」とか、そういうおどろおどろしたいかがわしい恐ろしさ、世の中から消えてしまうのみ。夜中の理科室のこわさ、とか、子どもに必要なんじゃないかしら。明るく健全なものの中だけで育つ子どもが健全とは限らない。
プラチナ通りを通って、白金台駅に戻る途中、一本脇道に入ったところに、yokoちゃんが洋館発見。同じ道を歩いているのに、私はぼうっとしていて、ぜんぜんわかりませんでした。やはりいっしょに見て歩くといいことある。
14代目渡辺甚吉という岐阜県出身の実業家が建てた洋館です。設計遠藤健三、内装デザイン今和次郎。
十六銀行から東海テレビまでさまざまな会社を設立し、貴族院議員衆議院議員として政界にも進出した渡辺甚吉が、私邸として住んだ洋館。最近までスリランカ大使公邸として貸し出されていました。現在は渡辺家が結婚式場として経営しています。
チューダー様式ハーフティンバースタイルの白金甚夢迎賓館

yokoちゃんの感覚では「迎賓館」というネーミングが気に入らぬと。確かに。
迎賓館とは。「外国からの賓客を歓迎する施設」ということなので、赤坂やら京都にある本物はいいけれど、一般の建物につけると、途端に成金趣味になる。キャバクラとかラブホのネーミングっぽくなる。甚夢というのは、「甚吉の夢」ということなのでしょうが、「迎賓館」は、あまりいいネーミングとは思えません。
ランチは5400円からだそうです。日頃ワンコイン500円のランチだって高いと感じる私なのに、5千円のランチは、誕生日だって食べないのに。安っぽいネーミングだなんて言ったりするのは、きっと「すっぱい葡萄」と、つぶやくキツネクンなんです。わたし。
いつも白金にきたときは、カフェつきのブックオフに寄って、古本ながめながらお茶飲んで、何冊か買って帰る、というコースなので、yokoちゃんともお茶飲もうと思ったのに、ブックオフつぶれてドラッグストアになっていました。残念。
で、6500歩あるいた足は地下鉄の中で休めることにして、白金台駅から地下鉄にのりました。
今日見学した建物写真は、整理してのちほどUPします。
帰りにお茶できなかったのは残念だったけれど、yokoちゃん、おつきあい、ありがとうございました。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記11月(3)建物めぐり散歩with yokoちゃん
ブログ友達yokoちゃんは、いろいろな建物巡りの先達です。yokoちゃんのブログ写真を見て、「私もここに行ってみた~い」と、お出かけ場所を決めたりします。仕事が忙しい人なので、いっしょに出かける機会は数多くはありませんが、同じ場所に行って、同じ建物を見て、あれこれ建物について語り合えるのは楽しいひとときです。
11月2日、yokoちゃんといっしょに清泉女子大学へ出かけました。コンドル設計の建物、旧島津邸を見るためです。
今年は見学が中止されていましたが、大学祭の開催期間は、特別に公開されています。
鹿鳴館などを建てたコンドルの邸宅は、都内に、北区の旧古河邸や上野の旧岩崎邸が残されています。旧岩崎邸のもう一つが、品川駅近くの三菱開東閣ですが、こちらは三菱関係の人出ないと中に入れません。そして、もうひとつが、元島津公爵邸です。
yokoちゃんに撮ってもらった島津邸前のHAL

明治時代の旧島津邸、江戸時代には伊達藩の下屋敷だったそうです。1915年に島津家袖ヶ崎邸としてジョサイア・コンドルが設計。現在は清泉女子大学本館として使用されています。
大学祭で訪れたときは、旧島津邸の各部屋は、スペイン語科とか「地球市民学科の説明会に使用します」という「一般の方は見学できません」という札がドアにかかっていました。でも、説明会は行われていなかったので、勝手に中も見学しました。建物リポートはまたのちほど。
大学祭の見学はまったくしませんでしたが、女子大生たちの楽しげなようす、青春ていいなあと思いつつ眺めました。1970年代、私の青春時代には、母校は学園闘争のために大学祭が開催中止となっている時期でした。
二度目の大学生活では、1985年と1988年には大学祭に参加しましたが、ママさん学生として参加したので、保育園のお迎え時間を気にしながらの参加でしたから、青春謳歌ではなかった。
もし、運良ければ、三菱開東閣の門が開いていて、中をのぞけるかもしれないと思って品川駅にむかったのですが、今回もうっそうと茂る木々の間からまったくコンドル設計の旧岩崎弥之助高輪邸のお屋敷は見えませんでした。
品川駅ビルの食堂でナスの中華炒め定食を食べてから、プリンスホテル脇を通って、yokoちゃんにおもしろそうな建物を教わりながら、歩きました。
岡見健彦(1898 - 1972)が1932年に設計した、日本基督教団高輪教会。岡見は、フランク・ロイド・ライトの弟子だったとかで、教会の入り口横壁の印象は、ライト設計の自由学園明日館とそっくりでした。

白金二丁目にある、高輪消防署二本榎出張所を見学。係の人が、屋上から塔楼を眺めるスポットに案内してくれました。また、昭和36年まで現役だったというボンネット方の消防自動車の展示も案内してくれました。


次は、明治学院大学。こちらも学園祭開催中で、宣教師の住まいだったインブリー館が内部公開されていました。2011年の夏に見学して以来、久しぶりの訪問ですが、yokoちゃんも見たことある建物なので、写真をささっと撮影して、次の訪問地へ。
近くの八芳園。こちらも数年前に来たところですが、地図に「洋館」というのが出ているので、もしや前回見落とした古い洋館でもあるのかと思って寄ってみました。係の人に確認したのですが、リニューアルした新館を「洋館」と表記しただけみたい。
大久保彦左衛門の屋敷だった土地を、鉱山王・久原房之助が料亭にしたという八芳園。現在は結婚式場となっていて、何組もの新郎新婦がお庭に出て写真をとっていました。
幕末に生糸貿易でもうけた田中平八が建てた茶室。それを八芳園に移築したお茶室など見て通り抜けました。

東京大学医科学研究所の構内を通りぎる。
内田祥三設計の旧国立公衆衛生院本館は、老朽化によって囲いがされており、下部は見ることができません。研究所と病院部分は、まだ現役で使われています。東大の駒場キャンパス、本郷キャンパスの建物より、もっと内田ゴシックのゴシックらしさが出ている建物で、yokoちゃんはこの内田コシックは好きでないというので、中は建学せず。
東大医科学研究所

この医科学研究所と病院の建物は、内田の東大たてものの中でも、特に重厚な感じがするし、病院で亡くなった人の幽霊とかが出そうな雰囲気です。
旧国立公衆衛生院本館の建物は、文化財として改修保存し、港区が「ホスピタルパーク」なる施設にするそうです。
幽霊でそうな廃墟となっている現在のオモムキも、私は好きですけれど。
きっとホスピタルパークとかになっちゃうと、「お子様がたが、明るい雰囲気の中で、医学に関心を持ち、科学的探究心を高められるような」健康的施設になるんでしょう。けれど、こういう、いかにも毒がありそうな幽霊が出そうなままにしておいてほしい気もする。
子供心に「恐ろしい場所だった」と、大人になっても思い返してトラウマになりそうな場所ってのも、必要なんだと思うけれどなあ。
私は、子どものころ「避病院」というのがすごく怖くて、夢にうなされたりしたのだけれど。見世物小屋の「衛生博覧会」とか、そういうおどろおどろしたいかがわしい恐ろしさ、世の中から消えてしまうのみ。夜中の理科室のこわさ、とか、子どもに必要なんじゃないかしら。明るく健全なものの中だけで育つ子どもが健全とは限らない。
プラチナ通りを通って、白金台駅に戻る途中、一本脇道に入ったところに、yokoちゃんが洋館発見。同じ道を歩いているのに、私はぼうっとしていて、ぜんぜんわかりませんでした。やはりいっしょに見て歩くといいことある。
14代目渡辺甚吉という岐阜県出身の実業家が建てた洋館です。設計遠藤健三、内装デザイン今和次郎。
十六銀行から東海テレビまでさまざまな会社を設立し、貴族院議員衆議院議員として政界にも進出した渡辺甚吉が、私邸として住んだ洋館。最近までスリランカ大使公邸として貸し出されていました。現在は渡辺家が結婚式場として経営しています。
チューダー様式ハーフティンバースタイルの白金甚夢迎賓館

yokoちゃんの感覚では「迎賓館」というネーミングが気に入らぬと。確かに。
迎賓館とは。「外国からの賓客を歓迎する施設」ということなので、赤坂やら京都にある本物はいいけれど、一般の建物につけると、途端に成金趣味になる。キャバクラとかラブホのネーミングっぽくなる。甚夢というのは、「甚吉の夢」ということなのでしょうが、「迎賓館」は、あまりいいネーミングとは思えません。
ランチは5400円からだそうです。日頃ワンコイン500円のランチだって高いと感じる私なのに、5千円のランチは、誕生日だって食べないのに。安っぽいネーミングだなんて言ったりするのは、きっと「すっぱい葡萄」と、つぶやくキツネクンなんです。わたし。
いつも白金にきたときは、カフェつきのブックオフに寄って、古本ながめながらお茶飲んで、何冊か買って帰る、というコースなので、yokoちゃんともお茶飲もうと思ったのに、ブックオフつぶれてドラッグストアになっていました。残念。
で、6500歩あるいた足は地下鉄の中で休めることにして、白金台駅から地下鉄にのりました。
今日見学した建物写真は、整理してのちほどUPします。
帰りにお茶できなかったのは残念だったけれど、yokoちゃん、おつきあい、ありがとうございました。
<つづく>