20141106
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記11月(5)モミジ色・ママの嫁入り
上智大学ソフィア祭見学を終えて、四谷からJRで錦糸町へ。11月3日夜の部は、知り合いのダンス発表会見物です。
が、錦糸町駅からトリフォニーホールへ向かう途中、あれ?今日行くところは、トリフォニーホールではない、と、気づきました。東陽町でした。
交番で聞いて、錦糸町北口から東陽町行きのバスが出ているのがわかりました。四谷のカフェで買ったパン、ホールについたらロビーで腹ごしらえしようと思っていたのを、間に合わないかと思って、バスの中でぱくつく。いつものドジです。やれやれ。
同じ先生に習っている相弟子グループが出演する文化祭です。
先生は、夏頃体調が悪くなり、秋に検査をうけて即入院手術となりました。幸い手術は成功し回復も順調ということですが、ダンス指導ができるようになるまで、私たちのサークルも自習を続けなければなりません。
私たちのサークルの9月発表会のときは、先生は具合が悪いそぶりなど見せずに指導してくれました。相弟子の港区のグループは、発表会直前に先生が入院なさったので、練習もリハーサルも自主運営になり、たいへんだったことでしょう。
でも、ダンスの動きはほんとうにすばらしく、同じ先生に習っていて、同じ振り付けのダンスをしても、ぜんぜん動きのキレが違いました。
ダンスが終わってから、東陽町駅近くのケンタッキーフライドチキンで、お茶。私はフィッシュフライとポテトチップス。
ミサイルママは、仕事が終わってから駆けつけて、ぎりぎり港区グループの発表に間に合いました。港区グループのダンス、とてもよかった、と感想を述べ、先生の具合について、情報をもらいました。先生の回復は順調らしいけれど、ダンス指導の復帰はいつになるか、まだ未定。当分は自習が続きます。
自習の中心になってくれると思っていたミサイルママは、12月いっぱいで私たちのジャズダンスサークルを退会することになりました。
私がダンスサークルを続けて来れたのは、ミサイルママがいたからです。ドジばかりな私をいつもカバーしてくれて、女手ひとつで子育てをする愚痴を互いにこぼしあって、これまで30年間、いっしょにダンスの練習を続けてきたのです。
退会の理由は「この夏、ある方から申し込みがあり、おつきあいすることにしたから」
美人のミサイルママなので、息子さん達の父親と離婚後も、おつきあいする方は何人かいました。私たちのダンス発表会のとき、ミサイルママに花束を届けてきた人もいたりして、いつもモテモテなのを皆で冷やかしたり羨んだりしていたのです。美人で誠実な人だから、女性にも男性にも慕われるのはわかります。
本人いわく「さすがに還暦すぎてのおつきあいはないかな、と思っていたので、プロポーズされてびっくりした」
驚いたけれど、申し込みを受け入れて、おつきあいすることにしたのだそうです。お相手は、仕事のために転居したので、ミサイルママは、当面自分の仕事を続けながら、パートナーの仕事を支えることにしたと。
そうなると、ミサイルママがこれまで続けてきた、水曜昼のダンスサークル、金曜夜のダンスサークル、木曜日は合唱練習と絵のサークル、土日は一人登山または実家に帰って父親介護、というスケジュールはこなせません。まあ、これまでこれだけいろいろ続けてきたってこともすごいですけれど。
一人登山。テントかついで一人で縦走などをやってきましたが、これからはパートナーといっしょに登山するかもしれません。パートナーは、もとは器械体操の選手で、体操の先生をしていた方なので、今は、ジョギングなどをいっしょにやっているんですって。
合唱団は、当面は休む。1年に秋と冬の東京芸術劇場での合唱公演参加を続けてきましたが、練習参加がたいへんだから、冬だけにする。ダンスは水曜昼の練習は休会、金曜夜の練習は退会。
しばらくは、独立して仕事をはじめたパートナーの手助け中心の生活になるということを、サークルメンバーも納得しました。水曜昼のサークルメンバーたちは「うん、OK。彼と別れたらまた戻ってきてね」と、了承したのですって。
ケガで退会するメンバーが相次ぎ、サークル維持ができないからどうしようか、という時期に、先生の入院、ミサイルママの退会。サークル解散の時期なのかなとも思いましたが、ダンス講師謝金で生活を維持している先生のためにも、なんとか続けていけないかと、集まるたびにケータイの電卓機能で計算するのですが、メンバー4人になってしまって、もはや運営ができません。
ミサイルママには、幸せになってほしい。6歳年下という彼、私は電話で話しただけですが、とてもよさそうな人です。ちゃんとミサイルママを幸せにしてくれる人かどうか、彼がブログに書いてあることは全部読んでチェック。まだ独立したばかりで仕事が順調にいくかどうかはわかりませんが、何事にも誠意をもって尽くすミサイルママなので、きっと二人三脚で歩んでいけることでしょう。
大竹しのぶが母親で、宮崎あおいが娘。母親が年下の男性と再婚することになる、という顛末の映画「オカンの嫁入り」を以前に見ました。舞台「さくら色・おかんの嫁入り」は見ていないけれど。
「ミサイル・ママのヨメ入り」、
結婚式はしないし、当分入籍もしないで、ただ、二人でいっしょにいる時間を大切におつきあいしていく、という形にした、というので、「嫁入り」とは違うかもしれませんが、ミサイルママの嫁入りを応援していきたいと思っています。
パートナーさんには「私たちの大事なミサイルママを幸せにしないと、あとがコワイよ。ミサイルママファンの仲間は結束がすごいんだから。みんなの大切なママを独占したいのなら、覚悟を持て」と、電話やメールで脅してあります。きっと幸せにしてくれるでしょう。
22年前,1992年のミサイルママ(右)とわたし。ウェストサイド物語のアメリカアメリカを踊っています。
2014年のミサイルママ(右)とわたし。レディガガの「テレフォン」を踊っています。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記11月(5)モミジ色・ママの嫁入り
上智大学ソフィア祭見学を終えて、四谷からJRで錦糸町へ。11月3日夜の部は、知り合いのダンス発表会見物です。
が、錦糸町駅からトリフォニーホールへ向かう途中、あれ?今日行くところは、トリフォニーホールではない、と、気づきました。東陽町でした。
交番で聞いて、錦糸町北口から東陽町行きのバスが出ているのがわかりました。四谷のカフェで買ったパン、ホールについたらロビーで腹ごしらえしようと思っていたのを、間に合わないかと思って、バスの中でぱくつく。いつものドジです。やれやれ。
同じ先生に習っている相弟子グループが出演する文化祭です。
先生は、夏頃体調が悪くなり、秋に検査をうけて即入院手術となりました。幸い手術は成功し回復も順調ということですが、ダンス指導ができるようになるまで、私たちのサークルも自習を続けなければなりません。
私たちのサークルの9月発表会のときは、先生は具合が悪いそぶりなど見せずに指導してくれました。相弟子の港区のグループは、発表会直前に先生が入院なさったので、練習もリハーサルも自主運営になり、たいへんだったことでしょう。
でも、ダンスの動きはほんとうにすばらしく、同じ先生に習っていて、同じ振り付けのダンスをしても、ぜんぜん動きのキレが違いました。
ダンスが終わってから、東陽町駅近くのケンタッキーフライドチキンで、お茶。私はフィッシュフライとポテトチップス。
ミサイルママは、仕事が終わってから駆けつけて、ぎりぎり港区グループの発表に間に合いました。港区グループのダンス、とてもよかった、と感想を述べ、先生の具合について、情報をもらいました。先生の回復は順調らしいけれど、ダンス指導の復帰はいつになるか、まだ未定。当分は自習が続きます。
自習の中心になってくれると思っていたミサイルママは、12月いっぱいで私たちのジャズダンスサークルを退会することになりました。
私がダンスサークルを続けて来れたのは、ミサイルママがいたからです。ドジばかりな私をいつもカバーしてくれて、女手ひとつで子育てをする愚痴を互いにこぼしあって、これまで30年間、いっしょにダンスの練習を続けてきたのです。
退会の理由は「この夏、ある方から申し込みがあり、おつきあいすることにしたから」
美人のミサイルママなので、息子さん達の父親と離婚後も、おつきあいする方は何人かいました。私たちのダンス発表会のとき、ミサイルママに花束を届けてきた人もいたりして、いつもモテモテなのを皆で冷やかしたり羨んだりしていたのです。美人で誠実な人だから、女性にも男性にも慕われるのはわかります。
本人いわく「さすがに還暦すぎてのおつきあいはないかな、と思っていたので、プロポーズされてびっくりした」
驚いたけれど、申し込みを受け入れて、おつきあいすることにしたのだそうです。お相手は、仕事のために転居したので、ミサイルママは、当面自分の仕事を続けながら、パートナーの仕事を支えることにしたと。
そうなると、ミサイルママがこれまで続けてきた、水曜昼のダンスサークル、金曜夜のダンスサークル、木曜日は合唱練習と絵のサークル、土日は一人登山または実家に帰って父親介護、というスケジュールはこなせません。まあ、これまでこれだけいろいろ続けてきたってこともすごいですけれど。
一人登山。テントかついで一人で縦走などをやってきましたが、これからはパートナーといっしょに登山するかもしれません。パートナーは、もとは器械体操の選手で、体操の先生をしていた方なので、今は、ジョギングなどをいっしょにやっているんですって。
合唱団は、当面は休む。1年に秋と冬の東京芸術劇場での合唱公演参加を続けてきましたが、練習参加がたいへんだから、冬だけにする。ダンスは水曜昼の練習は休会、金曜夜の練習は退会。
しばらくは、独立して仕事をはじめたパートナーの手助け中心の生活になるということを、サークルメンバーも納得しました。水曜昼のサークルメンバーたちは「うん、OK。彼と別れたらまた戻ってきてね」と、了承したのですって。
ケガで退会するメンバーが相次ぎ、サークル維持ができないからどうしようか、という時期に、先生の入院、ミサイルママの退会。サークル解散の時期なのかなとも思いましたが、ダンス講師謝金で生活を維持している先生のためにも、なんとか続けていけないかと、集まるたびにケータイの電卓機能で計算するのですが、メンバー4人になってしまって、もはや運営ができません。
ミサイルママには、幸せになってほしい。6歳年下という彼、私は電話で話しただけですが、とてもよさそうな人です。ちゃんとミサイルママを幸せにしてくれる人かどうか、彼がブログに書いてあることは全部読んでチェック。まだ独立したばかりで仕事が順調にいくかどうかはわかりませんが、何事にも誠意をもって尽くすミサイルママなので、きっと二人三脚で歩んでいけることでしょう。
大竹しのぶが母親で、宮崎あおいが娘。母親が年下の男性と再婚することになる、という顛末の映画「オカンの嫁入り」を以前に見ました。舞台「さくら色・おかんの嫁入り」は見ていないけれど。
「ミサイル・ママのヨメ入り」、
結婚式はしないし、当分入籍もしないで、ただ、二人でいっしょにいる時間を大切におつきあいしていく、という形にした、というので、「嫁入り」とは違うかもしれませんが、ミサイルママの嫁入りを応援していきたいと思っています。
パートナーさんには「私たちの大事なミサイルママを幸せにしないと、あとがコワイよ。ミサイルママファンの仲間は結束がすごいんだから。みんなの大切なママを独占したいのなら、覚悟を持て」と、電話やメールで脅してあります。きっと幸せにしてくれるでしょう。
22年前,1992年のミサイルママ(右)とわたし。ウェストサイド物語のアメリカアメリカを踊っています。
2014年のミサイルママ(右)とわたし。レディガガの「テレフォン」を踊っています。
<おわり>