20141113
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記午年尽(5)ブログのおわりブログ人終了
西洋の墓碑に「○○ここに眠る、○○の良き妻であり○○のよき母であった。幸福な生涯を○○の家で閉じた」とか「書いた、愛した、生きた」とか、残された人たちは、個人にふさわしい文言を石に刻みます。
私は墓石を買うお金もないし、残された息子娘が気の利いた文言を石に彫ってのこすとも思えないので、墓はなくてもいいかなと思って生きています。
しかし私が「書いた、愛した、生きた」という痕跡はどこかに残したいという未練も持ち合わせています。
ブログという簡易な発表形式を知ったときには、これこそ私の「生きた」痕跡だ」と思ったのです。駅前で配っているティッシュペーパー、無料の音楽会、招待券で行く美術展とか、無料が大好きな私にふさわしい、お金のかからない痕跡作りだと思いました。
姉が54歳で亡くなって、両親の眠る墓に遺骨を納めたあと、2003年9月の私の誕生日に思い立って、ホームページビルダーというソフトで自分のHPを作りました。そのあと、OCNカフェという簡易ブログがあることに気づいて、毎日の更新はこのカフェブログを利用することにしました。
OCNカフェブログのころから、ずっと交流が続くブログ友だちもいて、私にとっては、リアルライフと同じくらい、ブログでの交流は大切です。
しかし、思い込みと外れたところもあります。墓石がわりになると思ったブログ、プロバイダーの都合で、突如閉鎖されてしまうということがわかりました。
OCNカフェが閉鎖されるとき、gooかブログ人のどちらかに移行せよ、というお達しがきました。私は、毎日の更新はgooで、過去ログ倉庫はブログ人を利用することにしました。
ところが、OCNカフェ閉鎖から2年で、こんどはブログ人閉鎖のお知らせ。
墓碑である過去ログ、どうしたものか。もう一度、gooに移転することになりました。息子に作業をやってもらいました。とりあえず、一括して。
この先、過去ログは(1)日本語文法、日本言語文化の分野(2)日本語教育、日本語教授法(3)アート散歩、日常茶飯事典(4)その他、と分けて、格納しておくことにしました。
私はブログアクセス解析を利用していないので、たまに無料お試し期間に、アクセス検索元のキーワードを知るくらいです。でも、検索キーワードを見ると、思いがけないことばによってこのサイトを知り、やってくる人もいるのだ、ということがわかりました。
このサイトの記事を読んで参考になったかどうかは知る限りではありませんが、残しておけば、誰かの参考になるのだ、ということは、書くことの励みにも成ります。私も、調べ物をするときに、さまざまなサイトのお世話になっています。
たとえば、四谷の上智大学クルトゥルハイムを見たあとは、上智大学のサイト、建築史家のサイトによって、この建物の歴史的な来歴やら工法やらについて、これまで知らなかったことを学ぶことができました。
私が残しておけば、日本語を学ぶだれかの役にたつことがあるかもしれないし、さえないくすぶった一生をおくった一人の女性が、日常生活で何を不満に思い、愚痴をこぼしていたのか、わかるじゃないですか。まあ、金がない、という愚痴がほとんどですけれど。
そんなつまらぬ文ではあっても、消してしまわずに、残しておきたい、というのが墓碑がわりとして2003年から11年間、毎回1200字ほどの駄文を更新し続けてきた今の気持ちです。
2003年9月にOCNカフェブログを始めたときの「阿吽本の思い出」を再録します。
最初のブログタイトルは「おい老い笈の小文」でした。
枕として、「老い」に関わる最新ニュースを書く。第二段落に、1977年までに読んだ本を思い出して、本にまつわるあれこれを書く。どうして1977年までに読んだ本を思い出そうとしたかというと、1977年以後は、原則として読んだ本のタイトルをメモしてあります。
1977年以前に何を読んだかは、記録にとってなかったのです。いつでも読みっぱなしでした。何を読んだのだっけなあと、思い出すことからはじめました。
「あ」足立巻一『やちまた』からスタート。『やちまた』は、本居春庭の評伝です。本居春庭が44歳、1806年ごろに完成した国学書『詞八衢(ことばのやちまた)』からタイトルがつけられました。
『やちまた』を読んだのは、1977年以前ではないのでが、例外として一番最初の本に選びました。ぽかぽか春庭は、国文法の先達本居春庭にちなんだブログネームですから。
本居春庭の「詞八衢」は、動詞活用の研究。ぽかぽか春庭も本居春庭を仰ぎつつ他動詞再帰構文の研究をしたのですが、研究中断のままうちすぎました。
次回から2003年の「おい老い笈の小文」より、「あ」からの著者名と著作をたどりながらの自分語りを採録します。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記午年尽(5)ブログのおわりブログ人終了
西洋の墓碑に「○○ここに眠る、○○の良き妻であり○○のよき母であった。幸福な生涯を○○の家で閉じた」とか「書いた、愛した、生きた」とか、残された人たちは、個人にふさわしい文言を石に刻みます。
私は墓石を買うお金もないし、残された息子娘が気の利いた文言を石に彫ってのこすとも思えないので、墓はなくてもいいかなと思って生きています。
しかし私が「書いた、愛した、生きた」という痕跡はどこかに残したいという未練も持ち合わせています。
ブログという簡易な発表形式を知ったときには、これこそ私の「生きた」痕跡だ」と思ったのです。駅前で配っているティッシュペーパー、無料の音楽会、招待券で行く美術展とか、無料が大好きな私にふさわしい、お金のかからない痕跡作りだと思いました。
姉が54歳で亡くなって、両親の眠る墓に遺骨を納めたあと、2003年9月の私の誕生日に思い立って、ホームページビルダーというソフトで自分のHPを作りました。そのあと、OCNカフェという簡易ブログがあることに気づいて、毎日の更新はこのカフェブログを利用することにしました。
OCNカフェブログのころから、ずっと交流が続くブログ友だちもいて、私にとっては、リアルライフと同じくらい、ブログでの交流は大切です。
しかし、思い込みと外れたところもあります。墓石がわりになると思ったブログ、プロバイダーの都合で、突如閉鎖されてしまうということがわかりました。
OCNカフェが閉鎖されるとき、gooかブログ人のどちらかに移行せよ、というお達しがきました。私は、毎日の更新はgooで、過去ログ倉庫はブログ人を利用することにしました。
ところが、OCNカフェ閉鎖から2年で、こんどはブログ人閉鎖のお知らせ。
墓碑である過去ログ、どうしたものか。もう一度、gooに移転することになりました。息子に作業をやってもらいました。とりあえず、一括して。
この先、過去ログは(1)日本語文法、日本言語文化の分野(2)日本語教育、日本語教授法(3)アート散歩、日常茶飯事典(4)その他、と分けて、格納しておくことにしました。
私はブログアクセス解析を利用していないので、たまに無料お試し期間に、アクセス検索元のキーワードを知るくらいです。でも、検索キーワードを見ると、思いがけないことばによってこのサイトを知り、やってくる人もいるのだ、ということがわかりました。
このサイトの記事を読んで参考になったかどうかは知る限りではありませんが、残しておけば、誰かの参考になるのだ、ということは、書くことの励みにも成ります。私も、調べ物をするときに、さまざまなサイトのお世話になっています。
たとえば、四谷の上智大学クルトゥルハイムを見たあとは、上智大学のサイト、建築史家のサイトによって、この建物の歴史的な来歴やら工法やらについて、これまで知らなかったことを学ぶことができました。
私が残しておけば、日本語を学ぶだれかの役にたつことがあるかもしれないし、さえないくすぶった一生をおくった一人の女性が、日常生活で何を不満に思い、愚痴をこぼしていたのか、わかるじゃないですか。まあ、金がない、という愚痴がほとんどですけれど。
そんなつまらぬ文ではあっても、消してしまわずに、残しておきたい、というのが墓碑がわりとして2003年から11年間、毎回1200字ほどの駄文を更新し続けてきた今の気持ちです。
2003年9月にOCNカフェブログを始めたときの「阿吽本の思い出」を再録します。
最初のブログタイトルは「おい老い笈の小文」でした。
枕として、「老い」に関わる最新ニュースを書く。第二段落に、1977年までに読んだ本を思い出して、本にまつわるあれこれを書く。どうして1977年までに読んだ本を思い出そうとしたかというと、1977年以後は、原則として読んだ本のタイトルをメモしてあります。
1977年以前に何を読んだかは、記録にとってなかったのです。いつでも読みっぱなしでした。何を読んだのだっけなあと、思い出すことからはじめました。
「あ」足立巻一『やちまた』からスタート。『やちまた』は、本居春庭の評伝です。本居春庭が44歳、1806年ごろに完成した国学書『詞八衢(ことばのやちまた)』からタイトルがつけられました。
『やちまた』を読んだのは、1977年以前ではないのでが、例外として一番最初の本に選びました。ぽかぽか春庭は、国文法の先達本居春庭にちなんだブログネームですから。
本居春庭の「詞八衢」は、動詞活用の研究。ぽかぽか春庭も本居春庭を仰ぎつつ他動詞再帰構文の研究をしたのですが、研究中断のままうちすぎました。
次回から2003年の「おい老い笈の小文」より、「あ」からの著者名と著作をたどりながらの自分語りを採録します。
<おわり>