
上智大学1号館
20141105
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記11月(4)上智大学ソフィア祭
11月2日の清泉女子大学に引き続き、3日は上智大学ソフィア祭見学に出かけました。
A子さんの息子さんが4月に上智に入学して「入試のとき来たけれど、大学内をよくみていないので」と、大学見物に誘っていただきました。
仕事に出かけるとき四谷駅で乗りかえるので、駅ホームから上智大学の校舎が見えるのですが、中に入ったことがなかったので、喜んでお供しました。
待ち合わせは11時半に正門前、ということでしたので、待ち合わせ前に上智の「近代建築」の写真を撮ってしまおうと、10時半に四谷に着きました。
最初に聖イグナチオ教会へ。私は、聖イグナチオは上智大学が運営している教会だと思っていたのですが、今回、別組織であると知りました。同じイエズス会の大学と教会ですが、運営は別々。
イグナチオ教会の前庭には、オッサンたちがたくさん集まっていました。ベンチにすわっている人、どう見ても大学祭見物にきたとは思えません。聖イグナチオ教会の隣、2階にマリア中聖堂があり、1階にオッサンたちが出入りしています。私もつられて入ったら、そこでは、カレーライスの炊き出しが行われていました。オッサンたちの食事時間は9時半から10時半まで。
「私もこのカレーを食べることができますか」と、ボランティア女性におたずねしたら、「どうぞ、どうぞ、月曜日にやっていますので、どなたでも」ということでした。
「ボランティアたちは、8時半から調理を始めます。10時半からボランティアさんたちの食事時間になります」というので、「あのう、食べるだけの人は?」と聞くと、「もう、終わり」ですと。残念ながら、炊き出しカレーを食べることはできませんでしたが、私が無職になったとき、月曜日に四谷にくれば、カレーが食べられることがわかりました。
上野公園に行くと、ときどき炊き出しに集まっているのを見かけます。ほとんどが男性です。
チェックしてみたら、都内の炊き出しはさまざまな場所で毎日のようにどこかで行われていて、おう、都内では食いっぱぐれることないな、と、思いました。多くはキリスト教関係の団体が運営しているみたいです。食べ物を配るほかに、生活相談就職相談なども行っているところもあります。
炊き出しをしているボランティアの女性たち、穏やかなやさしい雰囲の方々でした。でも、私は意地悪な人間だから「彼女たちは、炊き出しボランティアによって、人を助けているという満足感を得ているだろう。しかし、炊き出しカレーを食べる側の人を生み出している社会構造については、思考停止しているかもしれない」と、思いました。イヤなやつです私。キリスト教の清い心によって洗われるべき貧しき精神の持ち主であるわたくし、悔い改めるべく、上智大学の門をくぐりました。
最初に、正門前の1号館の写真を撮りました。
中世修道院風の外観。スイス人建築家のマックス・ヒンデル(Max Hinder、1887~1963)設計。ヒンデルは1924年に来日。最初は北海道に、3年後から横浜に住み、キリスト教会やキリスト教大学関連の建築を手がけました。1940年ドイツへ。
ヒンデルの設計を受けて施工したのは、木田保造(1885~1940)。木田組を率いて北海道函館などで活躍した棟梁です、大工として出発し、夜間の工手学校(現・工学院大学)で学んだ後に、コンクリートを用いた建物の設計施工を請け負いました。

1号館は、スクラッチタイル(タイルの表面を櫛引きして平行の溝をつくり、それを焼成した粘土タイル)を外壁に用いた外観。1932(昭和7)に竣工。80年前の建物なので、耐震工事など改修は必要なのかも知れませんが、記念館などではなく、現役の校舎として毎日利用されています。こういう歴史的な建物で学べることのありがたさは、たぶん、学生は感じていないのでしょう。「ぼろい」と、思っているのかも。

1号館入口

1号館より古い建物、明治時代に建てられたのが教会堂クルトゥルハイムです。外観写真を撮ろうと思って、近づいたら「今日は茶道部により野点が開催されているので、お茶券を買わないと入場できません」という。
このクルトゥルハイムの前庭のSJガーデンは、上智大生でも通常は入場できない場所なのだそうです。OB会ガーデンパーティとか、クルトゥルハイム教会で結婚式を挙げた人が親族との写真撮影をするなどで利用できるのみとか。
撮影時間のために早く来たのに、撮影できないのではしかたないので、ステージの前で応援団とチアリーリングの演技、フラダンスサークルの発表を見ていました。脇の高齢者席というのに座ったら、学生達が立ち見をはじめると、ほとんど見えないのでした。「高齢者席」というのをもうけるなら、高齢者がきちんと観覧できるように場内整備をするべきである、今回の反省会が行われるなら、こういう声があったことを伝えてください、と、係の学生に言いました。たぶん、来年の係は別の学生だから、また同じでしょうけれど。
11時半にA子さんと正門前で会い、まずは腹ごしらえ。テントが立ち並ぶエリアのはしっこ、図書館前で社会福祉専門学校の学生が店だししているラーメン店でラーメンを食べました。値段は一般の店の半額の350円ですが、量は一般のラーメンの4分の1くらい。留学生の会の店で買った小籠包はおいしかったけれど、ラーメンは「学生への寄付」と思うことにすればいいや、という感じ。
食べたあと、理工学部授業が多いという3号館に入って、物理学実験室とか、○○研究室などのドアを眺めました。
クッキーの店になっている教室で一休みしたら、ここも社会福祉専門学校の運営でした。夜間の専門学校なのだそうです。
クックー、チーズケーキを買いました。
次にギターアンサンブルの演奏という教室が静かな感じなので入って見ました。とっても内気な子たちが集まった、という雰囲気で、インスタントコーヒーとティーバックの紅茶を紙コップで出して100円。ジブリ曲メドレーなどの演奏を聴きました。特別上手ではなかったけれど、元気いっぱいの学生ばかりではなく、おとなしい静かな学生にも居場所はあるんだよ、っていう感じが伝わってよかったです。テントのお店屋さんの呼び込みをしている学生たち、なんだかやたらに元気ハイテンションで「たこやき安いよ」とか「おいしい焼きそばいかがっすか」とか叫んでいましたから。
私の希望で、さきほどのクルトゥルハイム前のSJガーデンのお茶席に出ることにしました。野点の席に着くまで、お庭の中でかなり待ちました。
通常は結婚式利用者以外、なかなか教会内部を見ることは出来ないらしいです。教会はいつでも誰にでも開かれていると思っていたのですが、しっかりクローズされている教会でした。ときたま公開されているときもあるらしいので、チャンスがあったら内部見学もしたいです。
このクルトゥルハイム(ドイツ語で「文化館」の意味)は、もともと明治の軍人政治家の高島鞆之助中将・陸軍大臣、子爵(薩摩出身。1844-1916)の邸宅でした。確実な竣工年は、大学のキャンパス案内などには明記されていないのですが、高島鞆之助の没年が大正5年ですから、明治後期の竣工だと思います。1896年~97年頃という説あり。
イエズス会が教会や大学のために紀尾井町に4300坪の土地を購入。その中に高島鞆之助の土地と家が含まれていました。イエズス会は高島邸を教会に転用しました。そのため、前庭には井戸があったり、灯籠があったり、およそ教会の庭らしくない雰囲気です。紅葉が多かったので、紅葉のころはきれいでしょうね。

野点の席は、最初に1年生の立てるお茶をいただき、次にまた並んで、4年生の席。2・3年生は、受付と席への案内などのアシスト。
1年生の席、私は一番はじっこの椅子に座りました。案内の学生が「奥から順にどうぞ」と言うので。そこが正客席でした。お菓子は、干菓子を手の上に受けていただき、一番上等そうなお茶碗で飲みました。

お茶を運んでくれた留学生、袴を身に着け、お菓子やお茶の運び手になっています。お茶席が終わって、ホフマンホール(学生サークルの部室などがある)の和室に戻った彼に聞いてみたら、アメリカ人学生でした。茶道部入部の動機は「正直いうと、かわいい女子学生が勧誘していたから」と、言ってました。うん、正直でよろしい。和服の着付けも体験しただろうし、お茶やお菓子を運ぶ係をやってみて、これができただけでも日本に来てよかったんじゃないかしら。
野点のあと、体育館などを見て、上智見学おわり。
息子さんが「体育館が狭いので、交代で部活動に使うから、練習が十分にできない」とぼやいていたというので、体育館を見たのですが、スポーツマンの息子さんには、不満な体育館であることは、A子さんも納得できたみたい。
四谷駅ビルのカフェでお茶飲んで、「来年、国立大学の仕事が終わりになるのに、これからどうやって暮らしていくか、まだめどがたっていない」という愚痴など聞いてもらいました。愚痴をこぼしたからといって、来年の活路が開けるわけじゃないのですが、暮らしていけない不安を聞いてもらうだけで、なんだか気が休まる。
A子さん、ソフィア祭へのお誘い、ありがとうございました。
<つづく>