20141112
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記午年尽(4)昔話もおわりになるのか
今年限りで終わってしまうものごとが、ひときわ身に染みて感じられるのも、私の仕事、来年の3月で半分おしまいになってしまうからです。
独立行政法人国立大学の仕事、2015年3月で「雇い止め」になります。
パート講師には退職金もなしだから、「定年退職」なんて言いたくありません。パートや派遣の「雇い止め」です。まあ、規定の年齢に達したので仕方ないのですが。
同年齢の人々は、とっくに退職しています。私の女子校同級生なども、みな小学校長で退職とか、中学校教頭で退職とか、引退してたっぷりの退職金と年金で優雅に暮らしています。いろいろなツテで、退職後も教育相談所などの勤務を続けている人も多い。
私は年金なし退職金なし再就職のコネなし。退職後食べていく手立てはまったくないのです。
元ダンス仲間T子さん、小学校校長を退職してからも、教育相談の仕事を週に2回続け、週に1回は合唱、1回はオペラ練習。また別の曜日に図書館児童室で子ども達への読み聞かせを続けています。年に一度はご主人と海外旅行。とても充実したシルバーライフに思えて、私はうらやむばかり。
T子さんは、校長としても教育実績があり、パート講師の私とは月とすっぽんなので、うらやむことさえはばかられる、しがない私の身の上です。
11月8日、区立図書館での「大人のためのおはなし会」という朗読発表の会に行ってきました。
T子さんは、民話を語りました。とても聞きやすいやさしいお声で、お話がすっと心に入ってくる語り口です。
村中の人から「居眠り和尚」と邪魔者にされて、村のお金持ちのお葬式にも呼ばれない年老いたお坊さん。長年いっしょに暮らした猫の導きで、長者の娘のおとむらいをやりとげて、あばらやだったお寺が門前町ができるようなにぎわう寺になった、というおはなし。 おはなしをきいて、ほっこりとしました。
ただ、世の中の傾向として、「家の文化」として、縁側やいろり端で、こんなふうにおばあちゃんが孫や子どもたちに語って聞かせるお話文化というものは、もう一般の家庭では継承されていないのではないか、ということにが思いが至りました。
おばあちゃんが語る昔話を聞いて育ったのは、私が最後の世代じゃないだろうかと思うのです。御伽草子、昔話を、引退した世代が小さな子や孫に語って聞かせ、子や孫は、親や祖父母が語るおとぎ話、わらべ歌をきいて育つ、、、、そういう文化が家の中に残っているなら、おばあちゃんの昔話を聞いて育つ子どもはとっても幸せです。
私も、仕事がすべて退職になったら、民話語り部や「図書館のおはなしボランティア」などができたら、どんなにいいだろうかと思います。
しかし我が家は、息子まだ学生で、自立していません。まだまだ一人前にはほど遠い。学費は奨学金でまかなっていますが、たとえ博士号が取得できたとしても、昨今のポストドクターの就職難で、文系博士に仕事はないことでしょう。自立できるのはいつになることやら。
今年ももう終わり、どころか、我が職業生活も終わりになるかも、という暗いお話でした。蓄えも底をつき、と言いたいけれど、蓄えなんかもともとない一家ですから。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記午年尽(4)昔話もおわりになるのか
今年限りで終わってしまうものごとが、ひときわ身に染みて感じられるのも、私の仕事、来年の3月で半分おしまいになってしまうからです。
独立行政法人国立大学の仕事、2015年3月で「雇い止め」になります。
パート講師には退職金もなしだから、「定年退職」なんて言いたくありません。パートや派遣の「雇い止め」です。まあ、規定の年齢に達したので仕方ないのですが。
同年齢の人々は、とっくに退職しています。私の女子校同級生なども、みな小学校長で退職とか、中学校教頭で退職とか、引退してたっぷりの退職金と年金で優雅に暮らしています。いろいろなツテで、退職後も教育相談所などの勤務を続けている人も多い。
私は年金なし退職金なし再就職のコネなし。退職後食べていく手立てはまったくないのです。
元ダンス仲間T子さん、小学校校長を退職してからも、教育相談の仕事を週に2回続け、週に1回は合唱、1回はオペラ練習。また別の曜日に図書館児童室で子ども達への読み聞かせを続けています。年に一度はご主人と海外旅行。とても充実したシルバーライフに思えて、私はうらやむばかり。
T子さんは、校長としても教育実績があり、パート講師の私とは月とすっぽんなので、うらやむことさえはばかられる、しがない私の身の上です。
11月8日、区立図書館での「大人のためのおはなし会」という朗読発表の会に行ってきました。
T子さんは、民話を語りました。とても聞きやすいやさしいお声で、お話がすっと心に入ってくる語り口です。
村中の人から「居眠り和尚」と邪魔者にされて、村のお金持ちのお葬式にも呼ばれない年老いたお坊さん。長年いっしょに暮らした猫の導きで、長者の娘のおとむらいをやりとげて、あばらやだったお寺が門前町ができるようなにぎわう寺になった、というおはなし。 おはなしをきいて、ほっこりとしました。
ただ、世の中の傾向として、「家の文化」として、縁側やいろり端で、こんなふうにおばあちゃんが孫や子どもたちに語って聞かせるお話文化というものは、もう一般の家庭では継承されていないのではないか、ということにが思いが至りました。
おばあちゃんが語る昔話を聞いて育ったのは、私が最後の世代じゃないだろうかと思うのです。御伽草子、昔話を、引退した世代が小さな子や孫に語って聞かせ、子や孫は、親や祖父母が語るおとぎ話、わらべ歌をきいて育つ、、、、そういう文化が家の中に残っているなら、おばあちゃんの昔話を聞いて育つ子どもはとっても幸せです。
私も、仕事がすべて退職になったら、民話語り部や「図書館のおはなしボランティア」などができたら、どんなにいいだろうかと思います。
しかし我が家は、息子まだ学生で、自立していません。まだまだ一人前にはほど遠い。学費は奨学金でまかなっていますが、たとえ博士号が取得できたとしても、昨今のポストドクターの就職難で、文系博士に仕事はないことでしょう。自立できるのはいつになることやら。
今年ももう終わり、どころか、我が職業生活も終わりになるかも、という暗いお話でした。蓄えも底をつき、と言いたいけれど、蓄えなんかもともとない一家ですから。
<つづく>