20141122
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(6)ロンリーウーマンの罪と罰
罪と罰、悪霊の町
at 2003 10/10 06:44 編集
「とはずがたり」二条は、全半生の激しい愛欲生活を罪と感じ、自身の浄化を求めて仏道遍歴の旅をつづけた。
年をとれば、「未熟なころのあれもこれも、罪なことやったなぁ」と思うことが、いくつも出てくる。
高齢になるまで、生涯に一度も罪を犯したことはない、という人がいるだろうか。私なぞ、罪だの罰だのが、いっぱい!
「罪と罰」「犯罪」「資本主義という妖怪」とか、「陰陽師、悪霊退散!」などという言葉を聞くと、私の目の前には、生まれた町の古びた警察署が頭に浮かぶ。「悪いことするとお巡りさんに連れて行かれるよ!」という大人のおどしが効いていたころ、罪人、悪者、悪霊!などがすべて、この警察署の中に詰まっているように思っていたからである。
小学校の「社会科見学」で訪問した警察署の内部は、カビくさく、薄暗く、罪と罰の匂いに満ちていた。この庁舎は取り壊して、別の場所に新庁舎を建てる予定があったから、署内は古くさいままにしてあったのだ。
警察署の隣には「スター小間物店」があり、化粧品やアクセサリー、リボンなどの小間物類、女の子があこがれるような品物がたくさん並んでいた。そんなに高級品でない小間物とはいえ、子どものこずかいではめったに買えない品物だった。「鉄鋼労連」の娘には敷居の高い「資本主義という妖怪」の象徴のように思える店だった。
1度だけ、この店の小さな化粧水の瓶を「黙って借りて」しまったことがある。化粧品のおまけとして販促キャンペーンでついてくる、化粧水見本品のガラス小瓶が気に入ってしまい、欲しくてたまらなかった。母は、クリームひとつ顔につけない人だったから、販促おまけつきの化粧品など買うはずもない。それで化粧品は買わないで、販促おまけを「ちょっとだけ借りて」しまったのだ。
私が犯した生涯最初の窃盗罪。最初である故40余年たっても罪悪感が消えない。20代のある日、新宿にあった喫茶店の小さな灰皿が気に入って、煙草も吸わないのに、「黙って借りて」しまったこともあるが、こちらは、まったく罪悪感が残っていない。
スター小間物店の娘とは、中学で同じクラスになり、文芸部でもいっしょだった。高校でも2年間同じクラス。中学、高校を通し、美貌と頭のよさでスターだった彼女は、今「明治女性文学研究」のトップ研究者となっている。
新警察署庁舎ができて、署長署員一同が移転した後、スター小間物店の隣の旧警察署が一度だけ脚光を浴びたことがある。高橋和己原作の『日本の悪霊』が映画化されたとき、ふるさとの田舎町がロケ地に選ばれからだ。刑事落合が勤務している警察署として、旧警察署が登場した。
私は一度だけ映画を見たが、ストーリーよりも「知っているあの場所」が、画面のどこにでてくるかに気を取られて見ていた。
映画は、黒木和雄監督。刑事落合と六全協活動中に地主を殺す罪を負ったやくざ村瀬の二役を佐藤慶。ほか、観世栄夫、渡辺文雄、舞踏の土方巽、フォーク歌手岡林信康(ファンだった)が出演している。原作と脚本は、別の作品というくらい内容が異なると評されている。DVDで、見直したいと思っている。
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.15
(た)高橋和己『日本の悪霊』
高橋和己が癌を患って入院したとき、私は彼が入院している病院で働いていた。友人の一人は毎日病室の近くに行って、中に高橋が横たわっているであろう病室の窓を見つめていた。当時、高橋和己は「ファンにとっては神様以上の存在」だったのだ。
半年後、高橋が亡くなったとき、友人はビルの屋上から飛び降りて死んだ。
友人が死んでから半年後、私は病院勤めをやめた。1971年のこと。
~~~~~~~~~~~~
ロンリーウーマン
at 2003 10/11 09:42 編集
時々聞く、老人の孤独死ニュース。だれにも看取られず、気づかれず死んでいるお年寄りのニュースは胸にせまる。高齢者にとって、孤独は一番いやなもの、おそろしいものなのだろうか。
友人の何人かは、自身の子育てや親の介護を卒業した後、ホームヘルパーの資格をとって、老人介護の専門家になっている。また、昔中学校で同僚だった友人は、民生委員になって、町内の老人宅を訪問している。彼女たちに話を聞く機会があると、孤独がどれほど老人たちの心をむしばみ、つらい思いにさせているか、ひしひしとわかる。
確かに、老後を孤独で過ごすより、友人や孫子といっしょににぎやかに過ごせたら、こんなありがたいことはない。でも、私は「老い支度」のひとつとして、「孤独を楽しんですごす準備」も怠りなくレッスンしておきたい。
大勢で楽しく過ごすことも必要だが、一人自分をみつめ、一人遊びもできるように。女の一人暮らしで、身ぎれいに、食生活もきちんとして、、、などなど思うのだが。
今でも子どもたちが出かけていない日など、面倒くさくなると、昼も夜も同じTシャツとジャージですごし、スーパーで買ったおかずを食器に入れ替えるのさえせずに、パックのまま食べているのだから、「おしゃれで、かわいい生き生きしたおばあさん」になることは「夢」かもしれない。
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.16
(た)高橋たか子『ロンリーウーマン』
高橋和己夫人、高橋たか子は、夫和己と共に文学活動を始めていたが、私が彼女を知ったのは「高橋和己の思い出」というような、「夫を語る未亡人」としてだった。
夫と関係のない彼女自身の作品として読んだのは女流文学賞を受けた連作短編集『ロンリーウーマン』から。そのあと、『ロンリーウーマン』より前の『彼方の水音』『空の果てまで』へ戻り、『没落風景』『人形愛』へと読んでいった。
たか子は、キリスト者となり、女の孤独と絶望を深い思いの底から描き出している。一番好きなのは『誘惑者』
フランスへ行って修道女になってしまったときは驚いた。帰国後の作品は読んでいない。精神の高みへと登ろうとする高橋に対し、私は「精神のごみため」のような日常。
「ごみを捨てらず、ごみにまみれて暮らすおばあさん」が、時々テレビに映ったりする。我がロンリーウーマン暮らしは、ああなるかなぁ、と思って見ている。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(6)ロンリーウーマンの罪と罰
罪と罰、悪霊の町
at 2003 10/10 06:44 編集
「とはずがたり」二条は、全半生の激しい愛欲生活を罪と感じ、自身の浄化を求めて仏道遍歴の旅をつづけた。
年をとれば、「未熟なころのあれもこれも、罪なことやったなぁ」と思うことが、いくつも出てくる。
高齢になるまで、生涯に一度も罪を犯したことはない、という人がいるだろうか。私なぞ、罪だの罰だのが、いっぱい!
「罪と罰」「犯罪」「資本主義という妖怪」とか、「陰陽師、悪霊退散!」などという言葉を聞くと、私の目の前には、生まれた町の古びた警察署が頭に浮かぶ。「悪いことするとお巡りさんに連れて行かれるよ!」という大人のおどしが効いていたころ、罪人、悪者、悪霊!などがすべて、この警察署の中に詰まっているように思っていたからである。
小学校の「社会科見学」で訪問した警察署の内部は、カビくさく、薄暗く、罪と罰の匂いに満ちていた。この庁舎は取り壊して、別の場所に新庁舎を建てる予定があったから、署内は古くさいままにしてあったのだ。
警察署の隣には「スター小間物店」があり、化粧品やアクセサリー、リボンなどの小間物類、女の子があこがれるような品物がたくさん並んでいた。そんなに高級品でない小間物とはいえ、子どものこずかいではめったに買えない品物だった。「鉄鋼労連」の娘には敷居の高い「資本主義という妖怪」の象徴のように思える店だった。
1度だけ、この店の小さな化粧水の瓶を「黙って借りて」しまったことがある。化粧品のおまけとして販促キャンペーンでついてくる、化粧水見本品のガラス小瓶が気に入ってしまい、欲しくてたまらなかった。母は、クリームひとつ顔につけない人だったから、販促おまけつきの化粧品など買うはずもない。それで化粧品は買わないで、販促おまけを「ちょっとだけ借りて」しまったのだ。
私が犯した生涯最初の窃盗罪。最初である故40余年たっても罪悪感が消えない。20代のある日、新宿にあった喫茶店の小さな灰皿が気に入って、煙草も吸わないのに、「黙って借りて」しまったこともあるが、こちらは、まったく罪悪感が残っていない。
スター小間物店の娘とは、中学で同じクラスになり、文芸部でもいっしょだった。高校でも2年間同じクラス。中学、高校を通し、美貌と頭のよさでスターだった彼女は、今「明治女性文学研究」のトップ研究者となっている。
新警察署庁舎ができて、署長署員一同が移転した後、スター小間物店の隣の旧警察署が一度だけ脚光を浴びたことがある。高橋和己原作の『日本の悪霊』が映画化されたとき、ふるさとの田舎町がロケ地に選ばれからだ。刑事落合が勤務している警察署として、旧警察署が登場した。
私は一度だけ映画を見たが、ストーリーよりも「知っているあの場所」が、画面のどこにでてくるかに気を取られて見ていた。
映画は、黒木和雄監督。刑事落合と六全協活動中に地主を殺す罪を負ったやくざ村瀬の二役を佐藤慶。ほか、観世栄夫、渡辺文雄、舞踏の土方巽、フォーク歌手岡林信康(ファンだった)が出演している。原作と脚本は、別の作品というくらい内容が異なると評されている。DVDで、見直したいと思っている。
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.15
(た)高橋和己『日本の悪霊』
高橋和己が癌を患って入院したとき、私は彼が入院している病院で働いていた。友人の一人は毎日病室の近くに行って、中に高橋が横たわっているであろう病室の窓を見つめていた。当時、高橋和己は「ファンにとっては神様以上の存在」だったのだ。
半年後、高橋が亡くなったとき、友人はビルの屋上から飛び降りて死んだ。
友人が死んでから半年後、私は病院勤めをやめた。1971年のこと。
~~~~~~~~~~~~
ロンリーウーマン
at 2003 10/11 09:42 編集
時々聞く、老人の孤独死ニュース。だれにも看取られず、気づかれず死んでいるお年寄りのニュースは胸にせまる。高齢者にとって、孤独は一番いやなもの、おそろしいものなのだろうか。
友人の何人かは、自身の子育てや親の介護を卒業した後、ホームヘルパーの資格をとって、老人介護の専門家になっている。また、昔中学校で同僚だった友人は、民生委員になって、町内の老人宅を訪問している。彼女たちに話を聞く機会があると、孤独がどれほど老人たちの心をむしばみ、つらい思いにさせているか、ひしひしとわかる。
確かに、老後を孤独で過ごすより、友人や孫子といっしょににぎやかに過ごせたら、こんなありがたいことはない。でも、私は「老い支度」のひとつとして、「孤独を楽しんですごす準備」も怠りなくレッスンしておきたい。
大勢で楽しく過ごすことも必要だが、一人自分をみつめ、一人遊びもできるように。女の一人暮らしで、身ぎれいに、食生活もきちんとして、、、などなど思うのだが。
今でも子どもたちが出かけていない日など、面倒くさくなると、昼も夜も同じTシャツとジャージですごし、スーパーで買ったおかずを食器に入れ替えるのさえせずに、パックのまま食べているのだから、「おしゃれで、かわいい生き生きしたおばあさん」になることは「夢」かもしれない。
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.16
(た)高橋たか子『ロンリーウーマン』
高橋和己夫人、高橋たか子は、夫和己と共に文学活動を始めていたが、私が彼女を知ったのは「高橋和己の思い出」というような、「夫を語る未亡人」としてだった。
夫と関係のない彼女自身の作品として読んだのは女流文学賞を受けた連作短編集『ロンリーウーマン』から。そのあと、『ロンリーウーマン』より前の『彼方の水音』『空の果てまで』へ戻り、『没落風景』『人形愛』へと読んでいった。
たか子は、キリスト者となり、女の孤独と絶望を深い思いの底から描き出している。一番好きなのは『誘惑者』
フランスへ行って修道女になってしまったときは驚いた。帰国後の作品は読んでいない。精神の高みへと登ろうとする高橋に対し、私は「精神のごみため」のような日常。
「ごみを捨てらず、ごみにまみれて暮らすおばあさん」が、時々テレビに映ったりする。我がロンリーウーマン暮らしは、ああなるかなぁ、と思って見ている。
<つづく>