20150530
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(12)2003年の主婦ですみません
2003年5月の日記再録を続けています。
~~~~~~~~~~~~~
2003/05/29 木 晴れ
トキの本棚>『主婦ですみません』
日本事情、作文2コマ。
往復の電車で青木るえか『主婦ですみません』を読了。おおいに笑えた。娘が大学図書館から借りてきて「ぜったいおもしろいから」と回してきた。
お笑い文章界(そんなものがあるかどうかは知らないが、私のジャンルの中では)にとって、「ナンシーの新作がもう出ないとなると、どうしたものやら」と、娘ともども「笑える本」ニュースターを捜していたのだが、いいのがみつかった。
斉藤美奈子も笑えるが、もうちょっと軽いジャンルで、ナンシー後継者をさがしていた。ただし、ナンシーのネタが「テレビのタレント」であるので、新ネタは次々と出てくるのに対して、るえかは自虐ネタなので、早晩ネタ切れのおそれはある。解説を書いている中村うさぎが、ブランドもの消費、ホスト狂い、整形ときて、新ネタ掘り当てにちょっともたついている感がある、という前例もある。
とにかく、るえか(かえる好き)は徹底的に「駄目主婦」の自分を笑いのめし、芸になっている。
そして、るえか同様掃除大嫌いで、ときどき部屋から多量の虫を出現させる私。冷蔵庫の奥から「液体状になってしまった野菜」「カビにおおわれた元はなんだったか思い出せない食品」を発見する私には、大いに「るえかに比べりゃ私はマシ」と幸福になれる主婦ぶりであった。
私は、3週間に一度はDKに掃除機をかけているもんね。DK換気扇は、息子が4年生のとき家庭訪問が「希望する家庭のみ」とされて以来、掃除していないが、動いているので問題ない。汚れすぎで動かなくなったら掃除するのだ。もしかして、るえかよりマシというほどでもないか。かれこれ6年も、換気扇は汚れたまま動いているのだ。えらい。
うちの換気扇もエライが、るえかのダンナもえらい。ちゃんと社宅もある一流企業に勤めているらしく、転勤も2年に一度繰り返す総合職っぽい。地方の小金持ち出身の汗かき男。るえかと「だれからもうらやましがられない仲良し夫婦」を15年も続けているのだ。
本日のねたみ:「究極の割れ鍋に綴じ蓋夫婦大賞」を贈呈
2003/05/30 金 晴れ
ニッポニア教師日誌>コースデザイン
ビデオ、会話3コマ。
3コマ目、1組の会話の授業で、アリが真剣な顔で「今やっている練習についてじゃないけれど、質問がある。聞いてもいいか」と、言うので、どうぞ、と答える。
アリは、「この教科書は何%わかればいいのか」と言う。「単語や例文を100%完全に覚えなくてもいいですよ。でも、文法項目は50%は覚えてね」と答えてみたが、アリの質問の意図は、何%くらいわかればいいのか、ということではなかった。
要するに、このコースはハードすぎて、とてもついていけない、というコースの設定に対する不満を述べたかったのだ。「We don't want to be maneged like child」
「毎日宿題宿題、予習しろと責め立てる。漢字の宿題をやり残したりすると、叱られる。質問すると、そんなことは教科書に書いてあるからちゃんと読めと叱られて終わり」という不満。
ショーは「HAL先生は学生をリスペクトして、グローインアプする気持ちを出させてくれる。私たちは成長したい気持ちはちゃんと持っている。でも、コースコーディネーターは、何かといえば、奨学金をもらっているんだから、ちゃんとやれという。質問すれば、スカラシップスカラシップ、口を開けばスカラシップという。奨学金を受け取っているのは確かだが、それを理由に支配されることはない」と怒る。
地理学専攻で南アフリカに留学し、ケープタウンでマスターを取得してから、日本に来た。彼が憤って早口の英語でまくしたてるようすは、ナイロビ下町のタンカ切りのようだ。
「このコースに責任を持っている先生は、きちんとことばを身につけてほしいから、学生に厳しく言うのです。私はパートタイムレクチャラーだから、コースについての責任がない。コースの設定について何も言うことはできない」と、あやまると、「いいんだ、私たちが今日言ったことを、気にしなくていい。私たちは、HAL先生が学生を成長させるために一生懸命になってくれる先生だから、不満を言ってみただけだ。コースを変える力がないことは気にするな」と、学生たち。
おとなしいダナも最後には口を開いて「私たちはサイコロジカルプロブレムを抱えていて、フラストレーションが大きくなっている」と言う。
私にはどうすることもできないコース設定の問題ではあるが、なんとかして学生のために少しでもわかりやすく楽しい授業を心がける以外のことはできない。英語が下手なので、学生がすっきりした気持ちになれるようなことがで、うまく言えない。うまく言えなかったが、学生の気持ちはよくわかった。
毎日どっさり漢字と作文の宿題が出て、単語も覚えなければならない今のコース設定は、学生の負担が大きいと思う。文法内容がわかっていなくても、宿題をこなさないと叱られるから、結局わからないまま次に進む。ますますわからない。学生も不満がたまる。
彼らは一般の学生に比べて、非常に優秀なエリートたちである。国では最高の知識階級として優遇されてきた。それで「ことばがよくできないからって、子供扱いされるのはいやだ」という学生の主張となる。
コースデザインについて、われわれが口をはさめるのは、せいぜいメインでないテキストについて、新しいものが出たときに論評して「使ってみましょう」と提案するくらいなのだ。
学生たちは「あした天気がよければ、自転車で海岸に行ってみる」というので、「それじゃ、いい週末を」と言って授業をおわる。
本日のつらみ:帰宅して天気予報を聞いてみると、明日からは台風模様。やれやれ、学生たちの気晴らしはしばらくお預け
2003/05/31 土 雨
日常茶飯事典>伝統工芸展
台風の影響でときどき強い雨。
夕方、娘が大学に介護体験の事前講習(どこかの養護学校の先生の講演会)に出かける。雨でもでかけなくちゃならない。今日の講演会は必修ではないが出席をとっていて、出ておかないと教職課程の必修単位「介護体験」を受けるのが不利になる、という。教育実習のほか、介護実習も教職課程の必修項目になったのは、数年前からだと思うが、まあ、周りに老人も障害を持つ人もいない家庭で育った子供が多くなった昨今では、必要なことなのだろう。
息子と日本橋へ。「伝統工芸50年展」を見た。
新聞に工芸展の作品が掲載されて、息子が「見たい」と言うので招待券をもらったのだが、息子は体調が悪い。私と同じで、閉鎖された建物の中に入ると圧迫感を感じて気持ちが悪くなるのだ。心理的なものなので、「自分にこの空間は合わない」と感じるともうだめ。エレベーターしかり、デパートしかり。心理的なものなので、閉鎖されていると感じるかどうかは、その日の気分による。私の場合、外の景色が見えるかどうかが、重要なポイントで、「ここから出ていける出口がある」と認識されていれば、それほど圧迫感がない。
伝統工芸展なるものを見ようとするのは、ジーサンバーサンがほとんどだから、息子には「この場所は中学生のくるとこじゃない」という意識が先にきてしまうのだ。
工芸そのものは人間国宝の作品を中心に戦後50年の工芸逸品がずらりと並んでいる。陶芸、金工、漆、染色織物、人形などなど。
ひとつひとつの作品はすばらしい色や形を出していて、すごいのひとこと。志村ふくみの着物、鹿児島寿蔵や堀柳女の人形、富本憲吉や浜田庄司の陶芸。すごい美意識と美を確かなものとして表現できる技。
この技のすごさを息子に感じてほしかったけれど、わたしが息子に言ったのは「この竹細工さ、きれいだけど、デザイン盗作して中国で作らせたら、百円ショップで売れる」というしょうもないことば。
どうしてこんなことしか息子に言えないのか。まじめに、まともなことを中学生に説教臭く言うのが照れくさいのか。息子に「これらのすばらしい作品を眼福として目に焼き付けておきなさい。技をみがき、美に結晶させることのできる人々を尊敬しなさい」なんて、言葉で言える親がいるなら、親子断絶なんてどこにもない。言葉で息子に伝えるにはどうしたらいいんだ。
盗んだデザインで作った竹細工には百円の価値しか生まれない。寸分違わずイミテーションを作ったとしても、オリジナルの存在は厳然と輝いて残る。でも、ふたつ並べられて、寸分違わないとしたら、それはいったいどういうこと?そんなことを話してみたかったのだ。
オリジナルとコピーの問題。絵には画家独自のタッチングで鑑定するなどの方法があると聞くけれど、工芸品のオリジナリティとは何か。伝統の技というのは、伝統が続けばつづくほど、統一された技になるだろう。そのとき、作者のオリジナリティを保証する物は一体なんだろうか、そんなことを話してみたかった、、、、ような気がする。
息子は東北で秀衡塗を見学してきたので、漆工芸に詳しくなっている。秀衡塗は、お椀が中心。漆に菱形金箔を貼るのが特徴。今年は伝統工芸技術伝承者の試験を受けた人の出来が悪く、それでも7人を合格者としたが、年々伝承者を確保するのが難しくなってきている、など、見学の結果知った話を教えてくれる。プラスチックで作られた秀衡塗のイミテーションと本物を出されて、見学に行った「伝統工芸研究班」「秀衡塗研究班」メンバーの中学生10人、だれも、どれが偽物か、区別できなかったのだという。
さっと一回りしただけで、「どこでもいいから坐ってやすみたい」と息子が言うので、ランドマークでお茶を飲む。気取った感じの喫茶店が多い中、ファミレス的なランドマークすら、息子はあまりくつろげないらしい。「わたしたちは気軽なレストランをめざしているんですよ、でも、気軽な中にも老舗の格式はなくさないようにがんばっているからね、みたいな。無理して気軽さを出そうとしています、という雰囲気がいやだ」と言う。
紅茶のカップをながめて「デニーズやサイゼリアで使っている百円ショップで買ってきたような食器類」と値段が違う品であることを、確認している。息子は老舗デパートと相性が悪かったようだ。
帰宅しても息子の「気持ち悪い」はなおらず、夕ご飯はかぶの漬け物を食べただけ。息子分のネギトロ丼は「わーい、二食分食べられてラッキー」という大食漢の娘がたいらげる。これ以上太るとせっかく作ったハイビスカス柄のLLスカートも着られなくなるぞ。
息子、るえかの本を電車の行き帰りに笑いながら読む。3人で回し読みして「るえか」の存在を一家で知ったからには、もう、掃除に関して怖い物はない。息子も、我が家の惨状が特別なものではないと知ったろう。いや、やはり少数派か。とにかくミシンのコードはみつかったのだ。
本日のなやみ:ここにいる私はホンモノ?
~~~~~~~~~~~~
20150530
12年前も、娘息子と同じ本を読んで笑い、息子には何をどう話しかけたらとまどい、学生たちとはせいいっぱい教師として向き合う。そういう毎日をすごしてきました。
これから先がずっと同じとは限らないけれど、ささやかな毎日を積み上げてつないでいくだけ。今日も、きのうと同じように、「絶対にありません」と言われれば、絶対に安心できるのだと思えないのが問題だけれど。
<おわり>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(12)2003年の主婦ですみません
2003年5月の日記再録を続けています。
~~~~~~~~~~~~~
2003/05/29 木 晴れ
トキの本棚>『主婦ですみません』
日本事情、作文2コマ。
往復の電車で青木るえか『主婦ですみません』を読了。おおいに笑えた。娘が大学図書館から借りてきて「ぜったいおもしろいから」と回してきた。
お笑い文章界(そんなものがあるかどうかは知らないが、私のジャンルの中では)にとって、「ナンシーの新作がもう出ないとなると、どうしたものやら」と、娘ともども「笑える本」ニュースターを捜していたのだが、いいのがみつかった。
斉藤美奈子も笑えるが、もうちょっと軽いジャンルで、ナンシー後継者をさがしていた。ただし、ナンシーのネタが「テレビのタレント」であるので、新ネタは次々と出てくるのに対して、るえかは自虐ネタなので、早晩ネタ切れのおそれはある。解説を書いている中村うさぎが、ブランドもの消費、ホスト狂い、整形ときて、新ネタ掘り当てにちょっともたついている感がある、という前例もある。
とにかく、るえか(かえる好き)は徹底的に「駄目主婦」の自分を笑いのめし、芸になっている。
そして、るえか同様掃除大嫌いで、ときどき部屋から多量の虫を出現させる私。冷蔵庫の奥から「液体状になってしまった野菜」「カビにおおわれた元はなんだったか思い出せない食品」を発見する私には、大いに「るえかに比べりゃ私はマシ」と幸福になれる主婦ぶりであった。
私は、3週間に一度はDKに掃除機をかけているもんね。DK換気扇は、息子が4年生のとき家庭訪問が「希望する家庭のみ」とされて以来、掃除していないが、動いているので問題ない。汚れすぎで動かなくなったら掃除するのだ。もしかして、るえかよりマシというほどでもないか。かれこれ6年も、換気扇は汚れたまま動いているのだ。えらい。
うちの換気扇もエライが、るえかのダンナもえらい。ちゃんと社宅もある一流企業に勤めているらしく、転勤も2年に一度繰り返す総合職っぽい。地方の小金持ち出身の汗かき男。るえかと「だれからもうらやましがられない仲良し夫婦」を15年も続けているのだ。
本日のねたみ:「究極の割れ鍋に綴じ蓋夫婦大賞」を贈呈
2003/05/30 金 晴れ
ニッポニア教師日誌>コースデザイン
ビデオ、会話3コマ。
3コマ目、1組の会話の授業で、アリが真剣な顔で「今やっている練習についてじゃないけれど、質問がある。聞いてもいいか」と、言うので、どうぞ、と答える。
アリは、「この教科書は何%わかればいいのか」と言う。「単語や例文を100%完全に覚えなくてもいいですよ。でも、文法項目は50%は覚えてね」と答えてみたが、アリの質問の意図は、何%くらいわかればいいのか、ということではなかった。
要するに、このコースはハードすぎて、とてもついていけない、というコースの設定に対する不満を述べたかったのだ。「We don't want to be maneged like child」
「毎日宿題宿題、予習しろと責め立てる。漢字の宿題をやり残したりすると、叱られる。質問すると、そんなことは教科書に書いてあるからちゃんと読めと叱られて終わり」という不満。
ショーは「HAL先生は学生をリスペクトして、グローインアプする気持ちを出させてくれる。私たちは成長したい気持ちはちゃんと持っている。でも、コースコーディネーターは、何かといえば、奨学金をもらっているんだから、ちゃんとやれという。質問すれば、スカラシップスカラシップ、口を開けばスカラシップという。奨学金を受け取っているのは確かだが、それを理由に支配されることはない」と怒る。
地理学専攻で南アフリカに留学し、ケープタウンでマスターを取得してから、日本に来た。彼が憤って早口の英語でまくしたてるようすは、ナイロビ下町のタンカ切りのようだ。
「このコースに責任を持っている先生は、きちんとことばを身につけてほしいから、学生に厳しく言うのです。私はパートタイムレクチャラーだから、コースについての責任がない。コースの設定について何も言うことはできない」と、あやまると、「いいんだ、私たちが今日言ったことを、気にしなくていい。私たちは、HAL先生が学生を成長させるために一生懸命になってくれる先生だから、不満を言ってみただけだ。コースを変える力がないことは気にするな」と、学生たち。
おとなしいダナも最後には口を開いて「私たちはサイコロジカルプロブレムを抱えていて、フラストレーションが大きくなっている」と言う。
私にはどうすることもできないコース設定の問題ではあるが、なんとかして学生のために少しでもわかりやすく楽しい授業を心がける以外のことはできない。英語が下手なので、学生がすっきりした気持ちになれるようなことがで、うまく言えない。うまく言えなかったが、学生の気持ちはよくわかった。
毎日どっさり漢字と作文の宿題が出て、単語も覚えなければならない今のコース設定は、学生の負担が大きいと思う。文法内容がわかっていなくても、宿題をこなさないと叱られるから、結局わからないまま次に進む。ますますわからない。学生も不満がたまる。
彼らは一般の学生に比べて、非常に優秀なエリートたちである。国では最高の知識階級として優遇されてきた。それで「ことばがよくできないからって、子供扱いされるのはいやだ」という学生の主張となる。
コースデザインについて、われわれが口をはさめるのは、せいぜいメインでないテキストについて、新しいものが出たときに論評して「使ってみましょう」と提案するくらいなのだ。
学生たちは「あした天気がよければ、自転車で海岸に行ってみる」というので、「それじゃ、いい週末を」と言って授業をおわる。
本日のつらみ:帰宅して天気予報を聞いてみると、明日からは台風模様。やれやれ、学生たちの気晴らしはしばらくお預け
2003/05/31 土 雨
日常茶飯事典>伝統工芸展
台風の影響でときどき強い雨。
夕方、娘が大学に介護体験の事前講習(どこかの養護学校の先生の講演会)に出かける。雨でもでかけなくちゃならない。今日の講演会は必修ではないが出席をとっていて、出ておかないと教職課程の必修単位「介護体験」を受けるのが不利になる、という。教育実習のほか、介護実習も教職課程の必修項目になったのは、数年前からだと思うが、まあ、周りに老人も障害を持つ人もいない家庭で育った子供が多くなった昨今では、必要なことなのだろう。
息子と日本橋へ。「伝統工芸50年展」を見た。
新聞に工芸展の作品が掲載されて、息子が「見たい」と言うので招待券をもらったのだが、息子は体調が悪い。私と同じで、閉鎖された建物の中に入ると圧迫感を感じて気持ちが悪くなるのだ。心理的なものなので、「自分にこの空間は合わない」と感じるともうだめ。エレベーターしかり、デパートしかり。心理的なものなので、閉鎖されていると感じるかどうかは、その日の気分による。私の場合、外の景色が見えるかどうかが、重要なポイントで、「ここから出ていける出口がある」と認識されていれば、それほど圧迫感がない。
伝統工芸展なるものを見ようとするのは、ジーサンバーサンがほとんどだから、息子には「この場所は中学生のくるとこじゃない」という意識が先にきてしまうのだ。
工芸そのものは人間国宝の作品を中心に戦後50年の工芸逸品がずらりと並んでいる。陶芸、金工、漆、染色織物、人形などなど。
ひとつひとつの作品はすばらしい色や形を出していて、すごいのひとこと。志村ふくみの着物、鹿児島寿蔵や堀柳女の人形、富本憲吉や浜田庄司の陶芸。すごい美意識と美を確かなものとして表現できる技。
この技のすごさを息子に感じてほしかったけれど、わたしが息子に言ったのは「この竹細工さ、きれいだけど、デザイン盗作して中国で作らせたら、百円ショップで売れる」というしょうもないことば。
どうしてこんなことしか息子に言えないのか。まじめに、まともなことを中学生に説教臭く言うのが照れくさいのか。息子に「これらのすばらしい作品を眼福として目に焼き付けておきなさい。技をみがき、美に結晶させることのできる人々を尊敬しなさい」なんて、言葉で言える親がいるなら、親子断絶なんてどこにもない。言葉で息子に伝えるにはどうしたらいいんだ。
盗んだデザインで作った竹細工には百円の価値しか生まれない。寸分違わずイミテーションを作ったとしても、オリジナルの存在は厳然と輝いて残る。でも、ふたつ並べられて、寸分違わないとしたら、それはいったいどういうこと?そんなことを話してみたかったのだ。
オリジナルとコピーの問題。絵には画家独自のタッチングで鑑定するなどの方法があると聞くけれど、工芸品のオリジナリティとは何か。伝統の技というのは、伝統が続けばつづくほど、統一された技になるだろう。そのとき、作者のオリジナリティを保証する物は一体なんだろうか、そんなことを話してみたかった、、、、ような気がする。
息子は東北で秀衡塗を見学してきたので、漆工芸に詳しくなっている。秀衡塗は、お椀が中心。漆に菱形金箔を貼るのが特徴。今年は伝統工芸技術伝承者の試験を受けた人の出来が悪く、それでも7人を合格者としたが、年々伝承者を確保するのが難しくなってきている、など、見学の結果知った話を教えてくれる。プラスチックで作られた秀衡塗のイミテーションと本物を出されて、見学に行った「伝統工芸研究班」「秀衡塗研究班」メンバーの中学生10人、だれも、どれが偽物か、区別できなかったのだという。
さっと一回りしただけで、「どこでもいいから坐ってやすみたい」と息子が言うので、ランドマークでお茶を飲む。気取った感じの喫茶店が多い中、ファミレス的なランドマークすら、息子はあまりくつろげないらしい。「わたしたちは気軽なレストランをめざしているんですよ、でも、気軽な中にも老舗の格式はなくさないようにがんばっているからね、みたいな。無理して気軽さを出そうとしています、という雰囲気がいやだ」と言う。
紅茶のカップをながめて「デニーズやサイゼリアで使っている百円ショップで買ってきたような食器類」と値段が違う品であることを、確認している。息子は老舗デパートと相性が悪かったようだ。
帰宅しても息子の「気持ち悪い」はなおらず、夕ご飯はかぶの漬け物を食べただけ。息子分のネギトロ丼は「わーい、二食分食べられてラッキー」という大食漢の娘がたいらげる。これ以上太るとせっかく作ったハイビスカス柄のLLスカートも着られなくなるぞ。
息子、るえかの本を電車の行き帰りに笑いながら読む。3人で回し読みして「るえか」の存在を一家で知ったからには、もう、掃除に関して怖い物はない。息子も、我が家の惨状が特別なものではないと知ったろう。いや、やはり少数派か。とにかくミシンのコードはみつかったのだ。
本日のなやみ:ここにいる私はホンモノ?
~~~~~~~~~~~~
20150530
12年前も、娘息子と同じ本を読んで笑い、息子には何をどう話しかけたらとまどい、学生たちとはせいいっぱい教師として向き合う。そういう毎日をすごしてきました。
これから先がずっと同じとは限らないけれど、ささやかな毎日を積み上げてつないでいくだけ。今日も、きのうと同じように、「絶対にありません」と言われれば、絶対に安心できるのだと思えないのが問題だけれど。
<おわり>