20150528
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(10)2003年のサービスマニュアル
2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/26 月 曇り
日常茶飯事典>駅前中華と接客サービスマニュアル
漢字、作文2コマ。
昼ご飯を駅西側に新装オープンした中華の店で食べる。オープン記念だったので、半額サービスだったから。フカヒレ醤油煮、トウガンと海老の煮物、五目オコゲの3品。客のほとんどは中国人。
午後、ヘアダイとカット。半分はいねむり、半分はサービス業における接客教育の未来展開を考えた。21世紀の日本のコア産業は、情報とサービスだろうが、ものつくりには長けていたこの国も、新分野への教育はまだまだ未開発である。
『Think or die』の中に、六本木ヒルズ近くのレストランに行って、20分待たされた話があった。20分待たされたことで、料理の味も雰囲気も台無し。レストランの評価は最低ランクになった。レストランは、味、値段以上に店の雰囲気とサービスで勝負する時代。どのようにウェイターウェイトレスを訓練し、接客力の向上をはかるか、これが店の生き残り条件になるだろう。
夕食に、娘と息子をさそって、また同じ店へ行く。オコゲがおいしかったから、ふたりにもおこげを食べさせようと思って。夕方も客の半分は中国人で、各テーブルから聞こえてくる会話は中国語。娘に「何か知ってる単語が聞き取れる?」と聞くと「全然ダメ」。たぶん、客達の会話は、福建語とか、広東語なんだろう。
オコゲのほか、春巻き、フカヒレ煮、鳥とカシューナッツのいためもの、牛肉オイスターいため、ごはん、ビール、マンゴープリン、アンニンドーフをたのんだ。娘の評。今日はいいけれど、半額サービス期間が終わって、この倍の値段払うのなら、同じ値段の寿司かイタリアンを選ぶ、という。私は微妙。イタリアンより中華の方が好きだから。
さて、サービスである。半額サービスは、オープン時しかしないのなら、あとは味とウェートレスの腕。昼と夕方ではウェートレスが違う人だった。どちらも日本語カタコトの中国女性アルバイト。昼は年輩で、日本語に慣れているがややぶっきらぼう。夕方は若い女性がふたりいて、一人は日本語にも接客にも慣れている先輩。一人は固い顔で緊張している、いかにも「中国から親戚をたよって出てきました」という雰囲気の女性。先輩はテーブルのあとかたずけをする際は「しつれいします」とお客に断ってから、というように、指導している。しかし、ふたりとも笑顔がなく、ぶっきらぼうは昼と同じ。
中国の人にはついつい「教えてやりたい」感が強くなり「接客マニュアルを伝授したい」と思うが、娘メは「余計なことをするんじゃない」と怒る。それもそうだが、笑顔ひとつでサービスになるのに。マクドナルドを見習え。
マックで、店長さんが新入りに笑顔の作り方、入店した客への顔の向け方、客の視線のとらえ方を指導しているところに出くわしたことがあったが、さすが「スマイル無料」のサービスを心がけている会社である。しかるに、客がいる前で教育していた点はマイナス。客の前で、客への笑いかけ方を指導するのは、酔客を手玉にとる法を、客の隣に坐っているホステスに話すキャバレー店長のようなもの。カモの前で詐欺の手口を話す詐欺師のようなもの。企業秘密にしておけ。
マックやディズニーのサービスとて完璧であるわけではないが、ほかより数段はましである。サービス教育はマクドナルド大学とディズニー大学に学ぶべし。
ディズニーでアルバイトを体験した学生の言葉。「ディズニー大学でサービス教育を受けたら、二度と無心にディズニーランドのアトラクションを楽しめない。キャスト(サービス係員)の立ち居振る舞いを無意識に採点してしまっている自分に気づいて、楽しめなくなる。ディズニーを楽しみたいなら、アルバイトすべきじゃない」
サービスを売る21世紀にあって、あらゆるレストラン、美容院など、接客が要求されている業界では、接客教育が生き残りを分けるだろう。
本日のひがみ:ディズニーキャストマニュアル以上のサービスを受けたことのない日本人
2003/05/27 火 曇りときどき小雨
日常茶飯事典>アンチダイエット裁縫
漢字、SFJ3コマ。
娘は夏物スカートを縫うという。型紙もつかわないイージーソーイング。本を見て、直に布地にチャコで線をひいて縫うだけ。
「毎年、洋服が私に無断でちぢんでしまうので、毎年、新しい服が必要になる」という娘。去年の夏の終わりに買っておいた、2メートルで250円という見切り品の布地を使う。
「太さに合わせてつぎつぎ服を作るより、おしゃれをしたいならやせる方が手っ取り早いんじゃないの」と言っても、「いいの、今の自分が好きだから」と気にしない。50キロのときは50キロの自分が好きだし、60キロになったら60キロの自分が好きだからいいのだと。
それって、ダイエットの努力をしたくない、というだけの話じゃないかしら。
「お菓子を作ることと食べること、服を作ること全部好きなんだから、お菓子も作らず服も作らないでストレス貯めるより、思いっきりお菓子作って食べて、服も作れば、ストレス知らず」と言うのだ。
布地を裁断して、ミシンを出してきたら、電気コードがなくて、おおさわぎで探すはめになった。結局部屋の角の、ぐちゃぐちゃに物が積み上がっている中から出てきた。去年私がダンスの衣裳を縫って以来、ミシンコードはそこに転がっていたらしい。
3時間くらいでハイビスカス模様のスカートが一着できあがり。試着して「かわいい!」と、うれしがっているが、娘は1997年の42キロからとどまり知らずの体重増加。もうこれ以上は健康上キケンだ。
ナンシーの死は40前だった。ナンシー関の体型になる前になんとかしなければ。才能に恵まれた人には夭折もありだが、何のとりえもない我々は、長寿ギネスに挑戦する以外、老後の楽しみはない。
本日のつらみ:LLサイズ洋裁より、ダイエット
2003/05/28 水 晴れ
トキの本棚>『樋口一葉に聞く』とDV
午前中Aダンスィング。午後、教授法2コマ。
井上ひさし『樋口一葉に聞く』読了。
前田愛との対談の中で「女房が演劇制作をやりたいと言い出して、女房が作った劇団の旗揚げ公演として一葉伝を書くことになった」という裏話が出てくる。
井上のDVバタード妻だった好子前夫人、こまつ座を作ってプロデューサーとなり、亭主は妻をナグリながらも座付き作者として戯曲を書く。バタード女房は劇団の演出家に走り、劇作家亭主を捨てて再婚するも、何年か後に離婚。
劇作家は共産党幹部の娘と再婚。息子をもうける。その後の家庭争議を知っていて読む、「女房が劇団を作ったので、戯曲を書いた」という、その作品が『頭痛肩こり樋口一葉』。
「女房を殴ったりする男が書いた本なんて読みたくもない」という人もいるのは認めるし、最近の井上の考え方はどうもおかしい、偏ってきた、と思う人もいるだろう。
そういう人に「いや、作者本人の性向人格と作品は別」などと言うつもりもないし、どう読むかも読む人の自由だ。
しかし、井上ひさしが暴力夫であろうと、共産党幹部の婿であろうと、私が読む限りにおいて、彼の作品はおもしろい。
ところで、井上は現在の妻(米原万里の妹)のこともなぐるのだろうか。願わくは現夫人は武術の達人であらんことを。井上が殴りかかるや「エイヤッ」と、逆襲なさいませ。武力革命!満身創痍のペンクラブ会長もまた見所多し。
中学校の女子体育を、いまだに男子と別々に教育している学校も多いと聞くが、それなればなおのこと、年に一回婦警を呼んで、女生徒の前でちょこっと実演して見せて「痴漢に襲われたときはこうやって身を守れ」なんてお説教するのでなしに、全女生徒に身を守るための武術を身につけさせて、反撃可能な身体を鍛えるがよかろう。キックボクシングでも、K1でも、テコンドーでも。
また、結婚前の花嫁教育を行うに、料理や生け花なぞより、夫婦げんかのさい勝てる武術を身につけさせるべきである。亭主のDVから身を守るための武力は、武力ではないだろう。
なにしろ「自衛のための武器ミサイルその他の兵力を保持する軍隊は、これを軍隊と呼ばない」と教えられ、私たちは立派な「戦後民主主義者」に育ったのだ。日本海を超えてミサイルが飛んできたら防衛せよと教える国が、「亭主に殴られっぱなし」の妻を育ててはいかんだろう。
さて、『頭痛肩こり樋口一葉』である。 台本は全部は掲載されていなくて、その代わり最初の構想による劇中劇仕立ての台本が載っている。劇中劇構想のほうは、初日一ヶ月前になって全部破棄したという。
で、作品として評価するなら、やはり井上ひさしがDVであったとか、なかったとか、関係ないと言わざるをえない。従来の、『明治の恋』などの半井桃水との恋物語を中心にした新派的な一葉像であるなら、薄幸の才女として内面の誇り高さと外面のつつましやかさと恋に悩む乙女心と、適度にチャンプルー。なのだろうが、井上の一葉像は、「あの世からの視点でこの世をながめている女」というキーワードによって、ひとつの肖像を完成している点で評価できる。
一葉は強い。戸主として明治の世を闘い抜いた。武術の達人ではなかったが、筆一本で闘った。結核には負けたが世間には負けなかった。戸主であるから、婿をとる以外の結婚は許されず、したがって夫からの迫害を受ける必要もなかった。
井上は一葉を「幸福な作家」と呼ぶ。作家としての頂点で死ぬことができ、書けなくなったあとの苦悶も流行らなくなったあとの悲哀も味わうことがなかったからだと。
DV夫に対して、「カウンセリングを受けた方がいい」とお勧めするし、共依存妻には、夫から抜け出して自立せよと、伝えたい。でも、DV夫が作った劇作品も、アルコール依存の詩人の詩も、殺人を犯した死刑囚の小説も、私にとって、評価は作品の中でするしかない。
本日のうけみ:寝技も受け身も、学べよ娘たち
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20150528
火曜日、娘とけんか。「母は、声の暴力を与える側だ」と、娘は言う。
生協の配達時間のことで電話しろと娘が言うから、配達時間を遅くしてもらう交渉をすることになったのだ。話し終わってみたら、娘が怒っていて、「どうしてそんなにケンカごしの物言いをするのか。私が直接生協配達員とかかわらなきゃならないのに、母がそういう態度だと、我が家がクレーマーに思われるでしょ」と怒る。
自分のしたくないこと、言いたくないことをはなさなきゃならないとき、極端にぶっきらぼうなものの言い方になってしまうのは、私のこどものころからの悪い癖。それがこの年になってもなおらない。喧嘩しようと思っているわけじゃないんだけれど、切り口上のケンカごしに聞こえてしまう。反省はしても、同じことを繰り返してしまいます。
けっして怒っているのでもケンカするつもりでもないのに、私と話した人、「こわい人」と思うみたい。ネはやさしいのよ、、、、というほどでもないか。やさしくはないけれど、ケンカしようと思っていないのは確か。
昔は、気に入らないことがあってケンカすると半月とか1ヶ月とか口をきかずにいた娘でしたが、さすがに30過ぎて大人になったからか、丸一日で「母は、これから、電話にでるときはできるだけやさしい声を出す練習をしなさい」というお説教だけで、口をきくようになりました。生協の配達は、午後2時ではなく、配達ルートいちばん最後の午後5時ごろ、ということにしてもらいました。
27日水曜日の夕食は、娘と私のふたりだけ。息子は大学院の新入生歓迎会に出かけたので。娘と夕食食べながら、録画しておいた「歴史ヒストリア はるかなる琉球王国」を見ました。琉球の外交戦略と生き残りをかけた戦いの歴史。とても興味深く、琉球の外交政策を担当した人々の苦難苦心がよくわかりました。番組の最後に、オスプレイが沖縄に着陸している映像がでました。沖縄の苦難が今もなおなくならないことを伝える映像だったと思います。
娘は、琉球が舞台の大河ドラマ「琉球の風」一本だけであることにふれ「幕末と戦国ばっかりやってないで、沖縄の歴史ももっとやるといいのに」と、言っていました。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(10)2003年のサービスマニュアル
2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/26 月 曇り
日常茶飯事典>駅前中華と接客サービスマニュアル
漢字、作文2コマ。
昼ご飯を駅西側に新装オープンした中華の店で食べる。オープン記念だったので、半額サービスだったから。フカヒレ醤油煮、トウガンと海老の煮物、五目オコゲの3品。客のほとんどは中国人。
午後、ヘアダイとカット。半分はいねむり、半分はサービス業における接客教育の未来展開を考えた。21世紀の日本のコア産業は、情報とサービスだろうが、ものつくりには長けていたこの国も、新分野への教育はまだまだ未開発である。
『Think or die』の中に、六本木ヒルズ近くのレストランに行って、20分待たされた話があった。20分待たされたことで、料理の味も雰囲気も台無し。レストランの評価は最低ランクになった。レストランは、味、値段以上に店の雰囲気とサービスで勝負する時代。どのようにウェイターウェイトレスを訓練し、接客力の向上をはかるか、これが店の生き残り条件になるだろう。
夕食に、娘と息子をさそって、また同じ店へ行く。オコゲがおいしかったから、ふたりにもおこげを食べさせようと思って。夕方も客の半分は中国人で、各テーブルから聞こえてくる会話は中国語。娘に「何か知ってる単語が聞き取れる?」と聞くと「全然ダメ」。たぶん、客達の会話は、福建語とか、広東語なんだろう。
オコゲのほか、春巻き、フカヒレ煮、鳥とカシューナッツのいためもの、牛肉オイスターいため、ごはん、ビール、マンゴープリン、アンニンドーフをたのんだ。娘の評。今日はいいけれど、半額サービス期間が終わって、この倍の値段払うのなら、同じ値段の寿司かイタリアンを選ぶ、という。私は微妙。イタリアンより中華の方が好きだから。
さて、サービスである。半額サービスは、オープン時しかしないのなら、あとは味とウェートレスの腕。昼と夕方ではウェートレスが違う人だった。どちらも日本語カタコトの中国女性アルバイト。昼は年輩で、日本語に慣れているがややぶっきらぼう。夕方は若い女性がふたりいて、一人は日本語にも接客にも慣れている先輩。一人は固い顔で緊張している、いかにも「中国から親戚をたよって出てきました」という雰囲気の女性。先輩はテーブルのあとかたずけをする際は「しつれいします」とお客に断ってから、というように、指導している。しかし、ふたりとも笑顔がなく、ぶっきらぼうは昼と同じ。
中国の人にはついつい「教えてやりたい」感が強くなり「接客マニュアルを伝授したい」と思うが、娘メは「余計なことをするんじゃない」と怒る。それもそうだが、笑顔ひとつでサービスになるのに。マクドナルドを見習え。
マックで、店長さんが新入りに笑顔の作り方、入店した客への顔の向け方、客の視線のとらえ方を指導しているところに出くわしたことがあったが、さすが「スマイル無料」のサービスを心がけている会社である。しかるに、客がいる前で教育していた点はマイナス。客の前で、客への笑いかけ方を指導するのは、酔客を手玉にとる法を、客の隣に坐っているホステスに話すキャバレー店長のようなもの。カモの前で詐欺の手口を話す詐欺師のようなもの。企業秘密にしておけ。
マックやディズニーのサービスとて完璧であるわけではないが、ほかより数段はましである。サービス教育はマクドナルド大学とディズニー大学に学ぶべし。
ディズニーでアルバイトを体験した学生の言葉。「ディズニー大学でサービス教育を受けたら、二度と無心にディズニーランドのアトラクションを楽しめない。キャスト(サービス係員)の立ち居振る舞いを無意識に採点してしまっている自分に気づいて、楽しめなくなる。ディズニーを楽しみたいなら、アルバイトすべきじゃない」
サービスを売る21世紀にあって、あらゆるレストラン、美容院など、接客が要求されている業界では、接客教育が生き残りを分けるだろう。
本日のひがみ:ディズニーキャストマニュアル以上のサービスを受けたことのない日本人
2003/05/27 火 曇りときどき小雨
日常茶飯事典>アンチダイエット裁縫
漢字、SFJ3コマ。
娘は夏物スカートを縫うという。型紙もつかわないイージーソーイング。本を見て、直に布地にチャコで線をひいて縫うだけ。
「毎年、洋服が私に無断でちぢんでしまうので、毎年、新しい服が必要になる」という娘。去年の夏の終わりに買っておいた、2メートルで250円という見切り品の布地を使う。
「太さに合わせてつぎつぎ服を作るより、おしゃれをしたいならやせる方が手っ取り早いんじゃないの」と言っても、「いいの、今の自分が好きだから」と気にしない。50キロのときは50キロの自分が好きだし、60キロになったら60キロの自分が好きだからいいのだと。
それって、ダイエットの努力をしたくない、というだけの話じゃないかしら。
「お菓子を作ることと食べること、服を作ること全部好きなんだから、お菓子も作らず服も作らないでストレス貯めるより、思いっきりお菓子作って食べて、服も作れば、ストレス知らず」と言うのだ。
布地を裁断して、ミシンを出してきたら、電気コードがなくて、おおさわぎで探すはめになった。結局部屋の角の、ぐちゃぐちゃに物が積み上がっている中から出てきた。去年私がダンスの衣裳を縫って以来、ミシンコードはそこに転がっていたらしい。
3時間くらいでハイビスカス模様のスカートが一着できあがり。試着して「かわいい!」と、うれしがっているが、娘は1997年の42キロからとどまり知らずの体重増加。もうこれ以上は健康上キケンだ。
ナンシーの死は40前だった。ナンシー関の体型になる前になんとかしなければ。才能に恵まれた人には夭折もありだが、何のとりえもない我々は、長寿ギネスに挑戦する以外、老後の楽しみはない。
本日のつらみ:LLサイズ洋裁より、ダイエット
2003/05/28 水 晴れ
トキの本棚>『樋口一葉に聞く』とDV
午前中Aダンスィング。午後、教授法2コマ。
井上ひさし『樋口一葉に聞く』読了。
前田愛との対談の中で「女房が演劇制作をやりたいと言い出して、女房が作った劇団の旗揚げ公演として一葉伝を書くことになった」という裏話が出てくる。
井上のDVバタード妻だった好子前夫人、こまつ座を作ってプロデューサーとなり、亭主は妻をナグリながらも座付き作者として戯曲を書く。バタード女房は劇団の演出家に走り、劇作家亭主を捨てて再婚するも、何年か後に離婚。
劇作家は共産党幹部の娘と再婚。息子をもうける。その後の家庭争議を知っていて読む、「女房が劇団を作ったので、戯曲を書いた」という、その作品が『頭痛肩こり樋口一葉』。
「女房を殴ったりする男が書いた本なんて読みたくもない」という人もいるのは認めるし、最近の井上の考え方はどうもおかしい、偏ってきた、と思う人もいるだろう。
そういう人に「いや、作者本人の性向人格と作品は別」などと言うつもりもないし、どう読むかも読む人の自由だ。
しかし、井上ひさしが暴力夫であろうと、共産党幹部の婿であろうと、私が読む限りにおいて、彼の作品はおもしろい。
ところで、井上は現在の妻(米原万里の妹)のこともなぐるのだろうか。願わくは現夫人は武術の達人であらんことを。井上が殴りかかるや「エイヤッ」と、逆襲なさいませ。武力革命!満身創痍のペンクラブ会長もまた見所多し。
中学校の女子体育を、いまだに男子と別々に教育している学校も多いと聞くが、それなればなおのこと、年に一回婦警を呼んで、女生徒の前でちょこっと実演して見せて「痴漢に襲われたときはこうやって身を守れ」なんてお説教するのでなしに、全女生徒に身を守るための武術を身につけさせて、反撃可能な身体を鍛えるがよかろう。キックボクシングでも、K1でも、テコンドーでも。
また、結婚前の花嫁教育を行うに、料理や生け花なぞより、夫婦げんかのさい勝てる武術を身につけさせるべきである。亭主のDVから身を守るための武力は、武力ではないだろう。
なにしろ「自衛のための武器ミサイルその他の兵力を保持する軍隊は、これを軍隊と呼ばない」と教えられ、私たちは立派な「戦後民主主義者」に育ったのだ。日本海を超えてミサイルが飛んできたら防衛せよと教える国が、「亭主に殴られっぱなし」の妻を育ててはいかんだろう。
さて、『頭痛肩こり樋口一葉』である。 台本は全部は掲載されていなくて、その代わり最初の構想による劇中劇仕立ての台本が載っている。劇中劇構想のほうは、初日一ヶ月前になって全部破棄したという。
で、作品として評価するなら、やはり井上ひさしがDVであったとか、なかったとか、関係ないと言わざるをえない。従来の、『明治の恋』などの半井桃水との恋物語を中心にした新派的な一葉像であるなら、薄幸の才女として内面の誇り高さと外面のつつましやかさと恋に悩む乙女心と、適度にチャンプルー。なのだろうが、井上の一葉像は、「あの世からの視点でこの世をながめている女」というキーワードによって、ひとつの肖像を完成している点で評価できる。
一葉は強い。戸主として明治の世を闘い抜いた。武術の達人ではなかったが、筆一本で闘った。結核には負けたが世間には負けなかった。戸主であるから、婿をとる以外の結婚は許されず、したがって夫からの迫害を受ける必要もなかった。
井上は一葉を「幸福な作家」と呼ぶ。作家としての頂点で死ぬことができ、書けなくなったあとの苦悶も流行らなくなったあとの悲哀も味わうことがなかったからだと。
DV夫に対して、「カウンセリングを受けた方がいい」とお勧めするし、共依存妻には、夫から抜け出して自立せよと、伝えたい。でも、DV夫が作った劇作品も、アルコール依存の詩人の詩も、殺人を犯した死刑囚の小説も、私にとって、評価は作品の中でするしかない。
本日のうけみ:寝技も受け身も、学べよ娘たち
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20150528
火曜日、娘とけんか。「母は、声の暴力を与える側だ」と、娘は言う。
生協の配達時間のことで電話しろと娘が言うから、配達時間を遅くしてもらう交渉をすることになったのだ。話し終わってみたら、娘が怒っていて、「どうしてそんなにケンカごしの物言いをするのか。私が直接生協配達員とかかわらなきゃならないのに、母がそういう態度だと、我が家がクレーマーに思われるでしょ」と怒る。
自分のしたくないこと、言いたくないことをはなさなきゃならないとき、極端にぶっきらぼうなものの言い方になってしまうのは、私のこどものころからの悪い癖。それがこの年になってもなおらない。喧嘩しようと思っているわけじゃないんだけれど、切り口上のケンカごしに聞こえてしまう。反省はしても、同じことを繰り返してしまいます。
けっして怒っているのでもケンカするつもりでもないのに、私と話した人、「こわい人」と思うみたい。ネはやさしいのよ、、、、というほどでもないか。やさしくはないけれど、ケンカしようと思っていないのは確か。
昔は、気に入らないことがあってケンカすると半月とか1ヶ月とか口をきかずにいた娘でしたが、さすがに30過ぎて大人になったからか、丸一日で「母は、これから、電話にでるときはできるだけやさしい声を出す練習をしなさい」というお説教だけで、口をきくようになりました。生協の配達は、午後2時ではなく、配達ルートいちばん最後の午後5時ごろ、ということにしてもらいました。
27日水曜日の夕食は、娘と私のふたりだけ。息子は大学院の新入生歓迎会に出かけたので。娘と夕食食べながら、録画しておいた「歴史ヒストリア はるかなる琉球王国」を見ました。琉球の外交戦略と生き残りをかけた戦いの歴史。とても興味深く、琉球の外交政策を担当した人々の苦難苦心がよくわかりました。番組の最後に、オスプレイが沖縄に着陸している映像がでました。沖縄の苦難が今もなおなくならないことを伝える映像だったと思います。
娘は、琉球が舞台の大河ドラマ「琉球の風」一本だけであることにふれ「幕末と戦国ばっかりやってないで、沖縄の歴史ももっとやるといいのに」と、言っていました。
<つづく>