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ぽかぽか春庭「2003年の薔薇と老体会議」

2015-05-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150528
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(11)2003年の薔薇と老体会議

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/25 日 晴れ
日常茶飯事典>薔薇園と老体会議

 午前中、古河庭園へ。薔薇が見頃。とても混んでいた。今日はバラ園だけ見て、日本庭園へは降りなかった。

 午後、文化センターで、センター祭参加サークルの第1回会議。去年と同じく、参加者たちが半分理解、半分勝手な思いこみで説明を聞き、わけのわからん質問をする。

 「発表の部は、全部視聴覚室で行う。この点は去年と同様」と説明しているのに、何度も「私たちの会は高齢者が多く、大きい道具を運ぶのは無理だから、2階の和室がいい」と支離滅裂にくりかえす。だいたい、自分たちがどこのサークルであるか、という基本的なことさえ言わずに、なぜ和室で発表してはいけないのか、理由を説明しろと繰り返す。

 会長の回答を聞いて、やっと、このサークルが「琴の演奏を和室で行いたい」と主張しているのだ、ということがわかった。和室を使えない理由は、去年から説明されていることで、発表団体が少なくなり、センター管理上、発表場所を一カ所にまとめたいということである。去年同じ説明を聞いても納得せず、今年蒸し返したのだから、また来年同じ主張を繰り返すだろう。
 「高齢化だろうと少子化だろうと、自分たちの既得権益は絶対に手放したくない。自分たちの利益を損なわずに改革してほしい」という世に多い主張といっしょ。

 「展示発表を希望する団体は、展示室パネルや机の設置日に、机を運ぶ体力を持った人に参加させる義務がある、参加できない団体に発表スペースは与えない」という説明を受けると、「私たちは高齢者が多くて、そんな体力のある人はいない」と文句をつける。
 「サークルの中に、机ひとつ椅子ひとつ運ぶ力のある人がいないなら、代理でかまわないから、家族友人知人に声をかけてください。とにかく会場設置はサークルが自主的に行うべきことで、センター職員の仕事ではない」と、説明を受けても納得しない。

 我々はセンターに活動場所を借りているだけで、センターが行っている区の行事に参加しているのではない。「自主サークルが集まって行う自主的なセンター祭なのだ」という基本的な概念を理解せずに、なぜ、センターの職員が全部やらないのか、という思いを持っているので、なかなか話がすすまない。

 60代70代の主婦たちに「会議での発言訓練ができていない」と言っても、無理なことはわかっている。が、それにしても公的な場での発言訓練を受けていない人の話を聞き取るのは、なかなか技術がいるのだと実感する。だれがどこで、どのようにしたいのか、そんなことすら、不特定多数の人にわかるように発言するのは難しいようだ。

 日本はオンザジョブ訓練が職業訓練の大半だから、仕事を持たなかった人にとって、身内やご近所でのおしゃべり以外に、公的な場で話す機会はごく少ない。
 70代60代の主婦たちなら「女は生意気なことを言うな、男の言うことに黙って従っていないと、嫁のもらい手がいないぞ」と教育された口であろう。小学校の保護者会などでも、何を言いたいのか、まとまらない発言がよくあった。彼女たちは「黙って従った」結果、無事嫁にも行けただろうが、自分の主張を人に伝えるのに苦労する結果となった。

 今、初等教育では「国際化」に乗り遅れまい、という英語教育の早取りが流行中だが、英語のカタコトを話せるようになる前に、母語での発言がきちんとできるよう訓練すべきであろう。このままだと、英語も日本語もカタコトの人間ができあがるだろう。

 娘の6年生の時の担任が「国語教育とは道徳教育」と、保護者会で話したことがあった。驚いた。
 『走れメロス』は、「友達を信じることが大切であることを教える」。『蜘蛛の糸』は、「利己的な心によって結局は身を滅ぼす。ホトケのような他への慈悲が大切なことを教える」なんていう国語教育をしているのである。
 ヤメテクレ!『走れメロス』を読んで、子供が自分の心で友情を感じ取るなら、それはよい。道徳教育として教え込むことではない。そのうち、国語の評価も「愛国心が強くなった」子供が「5」、「国のために戦う」という決意を述べられない子どもは「1」、なんて評価になっていくかもしれない。

 国語教育の時間は、「普通の人が普通に暮らしていくための、読み書きの能力」を、きちんと身につける場であってほしい。老人になっても、趣味のサークル会議で「きちんと発言し、他者の発言を聞き取り理解する」ことば教育を!

本日のつらみ:女は黙って従ってろ、という国語教育だった


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20150527
 現在、国語教育英語教育とも迷走中。これまでのような英文訳読法的教育では世界の英語優先社会に乗り遅れるから、会話指導をできるようにしろと文科省はやっきになっている。

 しかし、中学校で英語検定準1級以上の検定合格教員は3割に満たないし、高校でも5割に満たない。自分がしゃべれない先生に会話指導しろといってもなかなかむずかしい。

 教員免許を国家資格にして、「愛国教育ができない者には免許出さない」というふうになるのはもっと怖い。
 うちは、孫いないからいいけれど、これから先の子ども達、どうなっていくんだろう。
 せめて、自分自身の頭で考え、自分自身のことばで自分の意見が言える日本語を身につけてほしい。

 昨年末に掲載された池澤夏樹のエッセイ『(終わりと始まり)桃太郎と教科書 知的な反抗精神養って』がとても痛快でした。(朝日新聞20141204文芸時評欄)

 筑摩書房の高校国語教科書に掲載されている池澤の「狩猟民の心」というエッセイに、義家弘介がおかしないちゃもんをつけ、池澤がそれに反論しているコラムです。
 後出しで福沢諭吉をひっぱり出すレトリックは、なかなかのもの。義家は、はたして、池澤や諭吉一万円札大先生に反論したのだろうか。
 ことばというのは、こういうふうに並べるのだと、子ども達に教えるのが国語教育であろう。 
 
<つづく>
コメント
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