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ぽかぽか春庭「2003年のハンカチの木」

2015-05-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150517
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(3)2003年のハンカチの木

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5月3日 土 晴れ 854
日常茶飯事典>ハンカチの木

 みどりの日散歩コースに入れなかったので、小石川植物園へ行く。いつも無料の日に入園するので、料金を払って入るのは久し振り。のんびり園内をひとめぐり。ハンカチの木も見た。
 千石、大塚の住宅街を抜け、教育の森公園を通って巣鴨の住宅街へ。ぐるぐる自転車ポタリングをしているうちにとげぬき地蔵に出た。庚申塚商店街から板橋駅へ。石神井川に沿って下る。

 歩く散歩だと、どこへ行っても「この道はどこへでちゃうのだろう、目的地とまったく違う方向に歩いているんじゃないか」と不安になるのに、自転車だと「多少間違った道を進んでも、必ず戻れる。どこへ行ってもすべての道はローマに通ず」とペダルを踏める。なぜ歩きと自転車はこんなに気分が違うのだろう。私は自転車大好き。ガソリン食わずダイエットによし。五月の風は肩をなでる。

本日の踏み:20分ペダルを踏むと100カロリー分の減量


2003/05/04 日 晴れ
日常茶飯事典>新宿御苑散歩と修司忌

 娘と息子は、新宿コマの招待券をもらっておいたので『アイスエイジ』というアニメ映画を見る。私はその間新宿御苑で散歩。

 最初は新宿門から千駄ヶ谷門まで外周沿いに歩く。9時半に入園したら前後にだれもいなくて「静かな森の道をひとり占め」状態で歩いた。ときどきカメラマニアのおじいさんと行き違う。桜は終わり、薔薇はまだ咲いていないので一番人がいない時期。

 こちらにもハンカチの木がある。小石川のハンカチの木は有名で、たくさんの人が見ていたし、ハンカチの葉っぱも全然落ちていなかったが、ここには木の下一面に白い葉っぱが落ちている。 ゆりのきの巨樹をながめる。日本庭園、フランス庭園を回る。茶店でおだんごを食べてのんびりしたいところだったが、11時45分の待ち合わせだったので、11時20分には新宿門を出る。新宿2丁目を通って、大通りに出る。

 伊勢丹の角まで来て、どちらに進んでいいのか方向音痴だからわからない。リュックの中にはこんなこともあろうかと東京地図が二冊も入っている。区ごとの地図と細かいタウン地図の2冊。こっちだろうと思った方に向かうと角に交番があった。しばらく地図を眺めてもよくわからないので、おまわりさんに「紀伊国屋書店って、どこですか」と聞くと、私が進もうとしていたのとは違う方を指す。私が進もうとしていたのは明治通りであった。

 「こちらに行くのだろう」と思うと、たいてい反対方向なので、自分がこっちだと信じたのと反対に行けば目的地につくんじゃないか、という仮説が成り立つ。しかし、たまに思っていた方向が正しいこともあるので、仮説は仮説である。

 紀伊国屋書店で待ち合わせをして、中村屋でランチ。娘は映画館で冷たいものを飲んだからか、おなかが痛くなったというので、ショッピングはなしにして帰宅。

 娘はおなかが痛いから、息子は疲れたからと言って、昼寝。つまらないから、夕方、やなぎ湯に行く。今日の露天風呂は「草津湯の花」風呂。明日は菖蒲湯だそう。

 湯上がりの生ビールを飲みながら、読売新聞の編集手帳を見ると、トピックは寺山修司。なんと、朝見た天声人語も寺山修司。打ち合わせをしたわけでもあるまいに。「5月4日と言えば修司忌」と歳時記入りしたようす。

 五月にちなむ詩集歌集のタイトルが多いこともあるだろう。憲法記念日と子供の日に挟まれた「はさまれ休日」に独特の風味をつけるために、五月賞揚の歌をのこした寺山はふさわしいトピックに思えるのだろう。
 下町散歩中、のぞきとして逮捕されたり、生前に毀誉褒貶の多かった、というより毀と貶の方がにぎやかだった気がする寺山の、この死後人気上昇ぶりは、戦後作家のうちでもトップクラスに入るだろう。

 死後を伝説とし、自己の文学を夭折の光輝でくるみたかったであろう三島由紀夫の死後値段は、どちらかというと下落傾向だ。それに比べて、寺山の上昇ぶりは対照的である。ひとえに、天井桟敷に関わった人々の彼への思いによるだろう。シーザーにしろ、高橋咲子にしろ荻原朔美にしろ「思い出は美しい。」または、「修司を賞揚することで自分の値段も上がる」範疇の中に入っている。

 しかるに、三島の書かれようは、福島某による暴露ものにしろ、あまり気分良く読めるものではない。縦の会の会員による「あのころ」本も、読むにたえるものが出ていない。っていうか、唯一書けそうな人材だった美少年はいっしょに死んでるし。
 心中の人選を誤ったのかも。いっしょに死ぬのは美しいだけでほかにとりえのない少年にしておいて、多少なりとも才能を持っていたお気に入りナンバー1の人材は残しておくべきだったんじゃないかな。

本日のうらみ:死後値上がりを続けるには、人を育てておくこと


2003/05/05 月 曇り
トキの本棚>『物語の体操』

 『キャラクター小説の書き方』が期待はずれだったので、『物語の体操』はあまり期待せずに読んだせいか、けっこう面白かった。

 どこがいいかというと、専門学校の文芸科における講義録であるところ。
 高校を卒業して専門学校に入った(あちこちの大学入試で失敗してしかたなく専門学校に潜り込んだ)若者に小説の書き方を実戦訓練する話であるところ。

 抽象的な文学論でなく、文芸修行論でもなく、実際のドリルであるところ。ドリルに答えた専門学校生の「優秀梗概、優秀プロット」の出来がよいので、とても救われる。(ただし、これも大塚の創作であるのかどうかは、定かではない。習作の作者名はあえて本名で出していると断るあたりがうさんくさい気もするが、私は純真素直な読者なので、大塚が言うところの「学力のない」専門学校生が書いたと信ずる)

 大塚は「直木賞芥川賞ねらいの小説書き」ではなく、「RPGノベライズの作家」や「アニメシナリオのプロット担当作家」を養成する、というはっきりした目的を持って専門学校で教えているので、ねらいははずれていない。

 大塚が文中で「誤解を恐れずに言うなら、芥川賞受賞の平野啓一郎と、ここの専門学校生との違いは、学力である」と書いているが、この学力は、たぶん、大学入試科目における数学や英語の学力差であろうと思う。なぜなら、彼が生徒に課した「村上龍を読んで、あらすじをまとめる」「つげ義春を読んで、ノベライズする」という宿題がこなせるくらいの国語力を持っているなら、高卒の学力として十分だと思えるから。
 一般的な国語力のほか、古文書を読みこなす読解力やら歴史や科学に対する造詣とか、文学にはいろんな知識教養なんぞも必要とされる場合がある。SF書くにもミステリー書くにもファンタジー書くにも、いろいろ知っていなくちゃならない。
 一番簡単に書けるのが「わたし小説」。私小説ではない。あたし小説とか、ぼく小説というようなジャンル。自分のことさえ多少客観的に描写できるなら一遍書き上げられるたぐい。つげ義春ノベライズがきっちりこなせるなら、あたい小説のひとつは仕上げられるだろう。

 最初は30名を超えていた受講生が、宿題をこなせなかった者は授業にでる資格なし、という規定にしたら最後は半分以下の人数になったという。たぶん、これは昨今の大学も事情はたいしてかわらないことであろう。

 平野啓一郎に「文献を読みこなして、自分の文体にまとめ上げる学力」が備わっているなら、こちらの専門学校生の中の何人かにも、それなりの文献読解能力と文体形成力があるにちがいない。違うのは「京都大学現役学生にして、最年少芥川受賞作家」として売り出すブランド力を備えているかどうかという点。

 だれか一人、専門学校文芸科出身から、ぽんと突き抜ける才能を見せてほしい。日大芸術学部文芸科からばなながでたように、大塚指導の専門学校生門下から、抜け出す者が出ると面白いのに。
 ただし、この専門学校をすでに大塚は辞めている。どことでもケンカ別れをする大塚なので、長続きしない。最近では、東浩紀とケンカ別れのもよう。雑誌を共同編集するはずだったのに、東は大塚のやり方に憤激し、共同編集を降りた。うん、人のケンカはおもしろい。

 大塚が育てた人材から一人前の物書きが出ないと、大塚の「物語作成ツール」によるドリルの成果が実証されない。
 なぜなら、大塚自身は小説の書き手として成功していないから。ここまで来ても、私には彼の作品「多重人格探偵だれそれ」という小説を読んでみたい気がおきない。
 『キャラクター小説の書き方』の中で、あんなに自作の宣伝をしていたのに、読み手にその気をおこさせないのは、ノベルズ書き手としては相当やばいのではないだろうか。読みもしないのに言うのは何ですが。

本日のねたみ:神様は大塚とばななに対しては、公平さを忘れなかった。しかるに林真理子はせっかく神が公平の美徳を発揮したのに、「才女が美女をめざして何が悪い!」と努力した。スゴイ!

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20150516
5月15日金曜日は、北詰橋門から二重橋まで30分お堀端の散歩。できるだけ日陰をあるいたのだけれど、夏日の陽気の中、疲れました。お堀には白鳥がいて、観光客が写真をとっていました。本来は、日本へ冬に渡ってくる鳥だから、夏にいるのは渡りをさぼっている鳥だ、と思って調べてみると、皇居の白鳥は「一般財団法人国民公園協会」が飼育している飼い鳥だそう。空を飛ぶための風きり羽が切られているので、飛ぶことは出来ず、お堀の中で泳いでいる、、、、そうだったのか。

 竹橋の近代工芸館「近代工芸と茶の湯」を見た後、出光美術館へ向かったのですが、バス路線はなし、地下鉄は竹橋ー大手町と一駅乗ったら乗り換えて日比谷へという不便な場所。タクシーはワンメーターほどだから、運転手にとっては乗車拒否したくなる距離。しかたなく歩いたのですが、出光美術館についたら、疲れ切っていました。自転車なら1時間のっていても平気なのに、歩くのは20分が限界です。

<つづく>
コメント (4)
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