20150701
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ミャンマー事情(3)ビルマの竪琴について
ビルマについて、検索をしていたら、思いかげず自分自身が書いたエッセイがひっかかりました。
「日本語教育で行われる異文化理解教育について」という内容のエッセイを2009年に博士後期の単位取得科目課題レポートとして提出するにあたって執筆したのです。
私の年代の人にとって、ビルマと聞くと一番先に頭に思い浮かぶ映画が「ビルマの竪琴」です。
映画そのものについては、私は1956年版も1985年版も、涙しながら感動した観客でした。
しかし、この映画をビルマ人側から見たときの違和感について、異文化理解教育を実践する教師の立場から書きました。
映画の中のビルマ文化の描き方について、批判をしています。日本語教師として異文化理解を考えたときに、映画『ビルマの竪琴』のビルマ人とビルマの文化の描き方には、やはり日本側から見た偏りがあることを、日本の人に知ってもらいたいと思ったのです。
日本語教育に関わる部分を割愛し、ビルマの竪琴の部分を二分割してします。次回、後半をUPします。
~~~~~~~~~~
異文化教育としての日本語教育 -unlearn とunteach
『ビルマの竪琴』を事例として・その1-
『ビルマの竪琴』は、第二次大戦下と戦後のビルマ(現ミャンマー)を舞台に、日本軍兵士を主人公にした児童文学である。本稿では、竹山道雄『ビルマの竪琴』の原作と、原作から二度にわたって映像化された作品を通して、unlearn(まなびほぐし学習再構築)することを目的とする。不断のunlearn実践が、日本語教師にとって必要不可欠であり、日本語教育の可能性を深めるものであることを述べていきたい。
1)異文化へのまなざし―『ビルマの竪琴』への評価と批判
『ビルマの竪琴』は、第二次世界大戦下のビルマ戦線で、日本軍のある部隊が合唱によって心を結びあい、敗戦までを生き延びたことと、部隊の一員である水島上等兵が、野ざらしになった戦没者の慰霊を行うために帰国をあきらめ、ビルマで僧としていきていく決意を仲間に伝えるまでを描いている。
『ビルマの竪琴』の上に現れている文化的な歪曲や偏見を明らかにし、それらがいかになされているのか、それらに対する批判はどのようになされ、どのように反論が出されてきたのか。児童文学『ビルマの竪琴』をめぐって、学び、学びほぐすことの過程を示しアンラーン/アンティーチのひとつの実践報告としたい。
鶴見俊輔は、『大衆芸術名作百選・解説』の中で、『ビルマの竪琴』を鞍馬天狗や宮本武蔵と比較している。
「戦争を悔いた元兵士が、戦後に敵味方の死者の苦境を弔うために、僧侶となって戦場をめぐる話。熊谷次郎直道以来の、日本の大衆芸術の回帰的主題を、東洋との連帯の上にくりひろげた少年教養小説である」
と、評価している。
肯定的な鶴見の評とは反対に、竹内好は『ビルマの竪琴』に対して
「水島を理想化することによって戦争批判を行っているわけだが、この戦争批判の角度に私は問題を感じる。戦争を宿命的なものとする考え方と、その救済を精神的な方面に求める態度が強調されているのが私には不満なのである」
と、批判している。
児童文学者上野瞭は、長編評論「戦後児童文学の不幸なる起点-『ビルマの竪琴』について」において、論戦の中に出てきた批判点を4つにまとめている。
1)国家を不動軸にした。
2)戦争責任を天皇制や国家機構ではなく、日本人一般、人間の問題にすりかえた。
3)戦争責任を無力な個人に還元する。
4)水島一人で責任をとるやり方。
上野瞭が最も問題にした部分は、批判点の4番目にあたる。
「竹山がすべての責任を水島ひとりの良心の問題として描いたために、一つの錯誤にみちた「戦後」の出発の仕方をすり替える物語になってしまった」
という点である。この論争については、児童文学と戦争責任の表現に関わって論が存在してきたことを確認したのみにとどめ、今回は、「異文化を描写することの批判点」に論をまとめていきたい。
現在のミャンマーについて、日本の人に知られていることといえば、民主化闘争のスーチーさんを弾圧し軟禁状態にしていることと、2007年に軍兵士によってジャーナリスト長井健司さんが射殺されたことくらいかもしれない。また、かってビルマという国名で日本の人が思い浮かべたことは、圧倒的に『ビルマの竪琴』だった。
私は、竹山道雄の『ビルマの竪琴』を、学校図書館にあった本で読んだ。
小学校何年生だったのか忘れたが、安田昌二が水島上等兵を演じた映画も見た。安田昌二の水島上等兵の印象が強かったせいか、市川崑監督が1985年に中井貴一を水島に起用して自らリメイクした作品を、公開当時に見ることはなかった。
リメイク作品公開から後23年後の2008年、市川崑 が2月13日に亡くなり、2月15日に、追悼放映された『ビルマの竪琴』を見た。今回『ビルマの竪琴』をunlearnする、という契機になったのは、このリメーク版映画『ビルマの竪琴』を見たことによる。
市川崑監督の『ビルマの竪琴』は、映画としてよくできていると思う。このお話では、音楽学校出身の井上隊長指導の合唱が物語の要になっている。また、水島上等兵の奏でる竪琴の音が、ストーリーの推進役だから、本を読んだとき以上に音楽の持つ力が身に染みた。
原作者の竹山道雄は、ビルマへ行ったことも、従軍体験をしたこともない人であり、一高教授、大学教授としてドイツ文学研究などに携わってきた。『ビルマの竪琴』は、竹山道雄にとって唯一の「長編児童文学」であり、作者のあとがきとして
「自分はビルマに行ったことがないが、復員した人の話を聞いた。ビルマに残された白骨化したままに放置されている日本軍兵士の話などをきいて、小説に仕上げた」
という意味のことばを書いている。だから、ビルマ文化のや風俗の記述において、正確な記述ではないとしても、そこを責められるべきとは思わない。一般の人には、ビルマは日本にとって遠い存在だった、というしかない。
竹山道雄は、巻末の「ビルマの竪琴ができるまで」に、自分がビルマの社会風俗について何も知らず、『世界地理風俗体系』や「ビルマ写真帖」を参考にした」と、書き留めている。また、1952年には、『ビルマの竪琴』英訳本を読んだビルマ人新聞記者に、「宗教関係に間違ったところがあるが、ビルマ人は宗教についてきわめて敏感だから、この本をビルマに紹介するときには気をつけるように」といわれたと書いている。つまり竹山自身も自分の記述に間違いが多かったと承知していたのであり、ビルマ文化ビルマ仏教について間違っている点を改める必要があることを認識していたのだ。
竹山の原作で一番決定的な問題点は、ビルマ仏教では僧侶が音楽に携わることは戒律で禁じられており、僧衣を着たものが竪琴を鳴らすことはあり得ない、ということ。この点は、リメーク版ではうまく処理できたのではないか、という思いが残る部分である。最初の映画が公開されたあと、この破戒に関して多くの批判点が出された。市川監督はこの批判点を十分に把握していたはずだと思うのだ。
以下、次号では
(2)ビルマ僧の出家と音楽についての誤謬は、原作者も修正すべきと感じていた部分であるが、出家した僧が音楽を奏でるという宗教的禁忌を映画において原作のままにしている。
(3)原作に描かれた仏教に帰依するビルマ人の日常生活について、映画では歪曲した描かれ方になっている。侵略国日本から見て、侵略されているビルマが文化的に劣った<野蛮人たちの住む国>と見える描かれ方になっている。
等を論ずる。
<つづく>
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ミャンマー事情(3)ビルマの竪琴について
ビルマについて、検索をしていたら、思いかげず自分自身が書いたエッセイがひっかかりました。
「日本語教育で行われる異文化理解教育について」という内容のエッセイを2009年に博士後期の単位取得科目課題レポートとして提出するにあたって執筆したのです。
私の年代の人にとって、ビルマと聞くと一番先に頭に思い浮かぶ映画が「ビルマの竪琴」です。
映画そのものについては、私は1956年版も1985年版も、涙しながら感動した観客でした。
しかし、この映画をビルマ人側から見たときの違和感について、異文化理解教育を実践する教師の立場から書きました。
映画の中のビルマ文化の描き方について、批判をしています。日本語教師として異文化理解を考えたときに、映画『ビルマの竪琴』のビルマ人とビルマの文化の描き方には、やはり日本側から見た偏りがあることを、日本の人に知ってもらいたいと思ったのです。
日本語教育に関わる部分を割愛し、ビルマの竪琴の部分を二分割してします。次回、後半をUPします。
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異文化教育としての日本語教育 -unlearn とunteach
『ビルマの竪琴』を事例として・その1-
『ビルマの竪琴』は、第二次大戦下と戦後のビルマ(現ミャンマー)を舞台に、日本軍兵士を主人公にした児童文学である。本稿では、竹山道雄『ビルマの竪琴』の原作と、原作から二度にわたって映像化された作品を通して、unlearn(まなびほぐし学習再構築)することを目的とする。不断のunlearn実践が、日本語教師にとって必要不可欠であり、日本語教育の可能性を深めるものであることを述べていきたい。
1)異文化へのまなざし―『ビルマの竪琴』への評価と批判
『ビルマの竪琴』は、第二次世界大戦下のビルマ戦線で、日本軍のある部隊が合唱によって心を結びあい、敗戦までを生き延びたことと、部隊の一員である水島上等兵が、野ざらしになった戦没者の慰霊を行うために帰国をあきらめ、ビルマで僧としていきていく決意を仲間に伝えるまでを描いている。
『ビルマの竪琴』の上に現れている文化的な歪曲や偏見を明らかにし、それらがいかになされているのか、それらに対する批判はどのようになされ、どのように反論が出されてきたのか。児童文学『ビルマの竪琴』をめぐって、学び、学びほぐすことの過程を示しアンラーン/アンティーチのひとつの実践報告としたい。
鶴見俊輔は、『大衆芸術名作百選・解説』の中で、『ビルマの竪琴』を鞍馬天狗や宮本武蔵と比較している。
「戦争を悔いた元兵士が、戦後に敵味方の死者の苦境を弔うために、僧侶となって戦場をめぐる話。熊谷次郎直道以来の、日本の大衆芸術の回帰的主題を、東洋との連帯の上にくりひろげた少年教養小説である」
と、評価している。
肯定的な鶴見の評とは反対に、竹内好は『ビルマの竪琴』に対して
「水島を理想化することによって戦争批判を行っているわけだが、この戦争批判の角度に私は問題を感じる。戦争を宿命的なものとする考え方と、その救済を精神的な方面に求める態度が強調されているのが私には不満なのである」
と、批判している。
児童文学者上野瞭は、長編評論「戦後児童文学の不幸なる起点-『ビルマの竪琴』について」において、論戦の中に出てきた批判点を4つにまとめている。
1)国家を不動軸にした。
2)戦争責任を天皇制や国家機構ではなく、日本人一般、人間の問題にすりかえた。
3)戦争責任を無力な個人に還元する。
4)水島一人で責任をとるやり方。
上野瞭が最も問題にした部分は、批判点の4番目にあたる。
「竹山がすべての責任を水島ひとりの良心の問題として描いたために、一つの錯誤にみちた「戦後」の出発の仕方をすり替える物語になってしまった」
という点である。この論争については、児童文学と戦争責任の表現に関わって論が存在してきたことを確認したのみにとどめ、今回は、「異文化を描写することの批判点」に論をまとめていきたい。
現在のミャンマーについて、日本の人に知られていることといえば、民主化闘争のスーチーさんを弾圧し軟禁状態にしていることと、2007年に軍兵士によってジャーナリスト長井健司さんが射殺されたことくらいかもしれない。また、かってビルマという国名で日本の人が思い浮かべたことは、圧倒的に『ビルマの竪琴』だった。
私は、竹山道雄の『ビルマの竪琴』を、学校図書館にあった本で読んだ。
小学校何年生だったのか忘れたが、安田昌二が水島上等兵を演じた映画も見た。安田昌二の水島上等兵の印象が強かったせいか、市川崑監督が1985年に中井貴一を水島に起用して自らリメイクした作品を、公開当時に見ることはなかった。
リメイク作品公開から後23年後の2008年、市川崑 が2月13日に亡くなり、2月15日に、追悼放映された『ビルマの竪琴』を見た。今回『ビルマの竪琴』をunlearnする、という契機になったのは、このリメーク版映画『ビルマの竪琴』を見たことによる。
市川崑監督の『ビルマの竪琴』は、映画としてよくできていると思う。このお話では、音楽学校出身の井上隊長指導の合唱が物語の要になっている。また、水島上等兵の奏でる竪琴の音が、ストーリーの推進役だから、本を読んだとき以上に音楽の持つ力が身に染みた。
原作者の竹山道雄は、ビルマへ行ったことも、従軍体験をしたこともない人であり、一高教授、大学教授としてドイツ文学研究などに携わってきた。『ビルマの竪琴』は、竹山道雄にとって唯一の「長編児童文学」であり、作者のあとがきとして
「自分はビルマに行ったことがないが、復員した人の話を聞いた。ビルマに残された白骨化したままに放置されている日本軍兵士の話などをきいて、小説に仕上げた」
という意味のことばを書いている。だから、ビルマ文化のや風俗の記述において、正確な記述ではないとしても、そこを責められるべきとは思わない。一般の人には、ビルマは日本にとって遠い存在だった、というしかない。
竹山道雄は、巻末の「ビルマの竪琴ができるまで」に、自分がビルマの社会風俗について何も知らず、『世界地理風俗体系』や「ビルマ写真帖」を参考にした」と、書き留めている。また、1952年には、『ビルマの竪琴』英訳本を読んだビルマ人新聞記者に、「宗教関係に間違ったところがあるが、ビルマ人は宗教についてきわめて敏感だから、この本をビルマに紹介するときには気をつけるように」といわれたと書いている。つまり竹山自身も自分の記述に間違いが多かったと承知していたのであり、ビルマ文化ビルマ仏教について間違っている点を改める必要があることを認識していたのだ。
竹山の原作で一番決定的な問題点は、ビルマ仏教では僧侶が音楽に携わることは戒律で禁じられており、僧衣を着たものが竪琴を鳴らすことはあり得ない、ということ。この点は、リメーク版ではうまく処理できたのではないか、という思いが残る部分である。最初の映画が公開されたあと、この破戒に関して多くの批判点が出された。市川監督はこの批判点を十分に把握していたはずだと思うのだ。
以下、次号では
(2)ビルマ僧の出家と音楽についての誤謬は、原作者も修正すべきと感じていた部分であるが、出家した僧が音楽を奏でるという宗教的禁忌を映画において原作のままにしている。
(3)原作に描かれた仏教に帰依するビルマ人の日常生活について、映画では歪曲した描かれ方になっている。侵略国日本から見て、侵略されているビルマが文化的に劣った<野蛮人たちの住む国>と見える描かれ方になっている。
等を論ずる。
<つづく>