20150719
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(7)2003年の磁力と重力の発見
2003年7月の日記を再録しています。
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2003/07/21日 月 曇り
トキの本棚>『磁力と重力の発見』
日曜日の朝日読書欄に『磁力と重力の発見』書評を山形浩生が書いていた。本の著者名を見て「おお、あの山本義隆か」と思う。
書評を読むと、「本書の著者名を聞いて、書評委員会は一瞬どよめき、自分の知らない時代のできごとが、三十年たっても、深い刻印を残していることにぼくは改めて驚いた。」と山形は書いている。やっぱり、どよめくでしょ。自分の知ってる時代のできごとだもの。
山形は予備校で山本義隆に物理を教わったのだという。「全共闘騒動の最大の損失は、山本義隆が研究者の道を外れ、後進の指導にもあたれなかったことだ、という人さえいた」と、山形は書く。「でも、プラスの刻印もあった。その事件のおかげで、ぼくをはじめ無数の受験生が予備校でこの人に物理を教われたのだもの。かれが教えてくれたのはただの受験テクニックじゃなかった。物理は一つの世界観で、各種の数式はその世界での因果律の表現だと言うことを、かれは(たかが受験勉強で!)みっちりたたき込んでくれたのだった。」
こういう文章を読むと、それだけで泣きたくなる。弱い。この山本へのオマージュを読んで、救われた気持ちになってしまうほどの弱虫世代。
山本らを踏みつけて、80年代90年代をのしてきた元全共闘、元ノンポリ、元心情三派。バブルに踊りつつ、食うためにあるいは「欲っするままにむさぼり食うため」30年生きてきた一団は、「あの時代を引きずっている馬鹿な奴ら」をせせら笑いながら天下り先でもさがすのだろう。
私は70年には「医療労連組合員」であり、75年には「日教組」だった。
「出世コース」を突っ走る人を斜めに見てひがみ、全共闘の後、学問の世界から方向を変えていった多くの研究者候補たちが、「ただ時代のためでなく」地に伏した姿を横目で見て、うしろめたく思うのみだった。
30年前も何もせず、今も何もしていないうしろめたさを背負っている。私は何もできず、何もしてこなかった人間だけれど、でも「自分の生きていく社会を変えたかったし、今でも変えたいと思っている」その思いだけは持続している。たぶん、これって若い世代からは「レトロ」「アナクロ」と、ひとくくりにされてしまう感情なんだろう。
何年か時代がずれていれば、山本は東大に残り、物理学の研究者として研究生活をまっとうしたのかもしれない。今頃は東大か、どこかで教授になっていたのかもしれない。だが、それがどうした。彼が生きた「予備校講師」の30年で、いくつかの著書を残し、彼の講義を「世界観の醸成」と受け止める予備校生を大学へ進ませ、彼は彼なりに物理学を「彼の生き方」として提示したのが、この著書三部作なのだろう。(読んでもいないのに、予想だけでの感想)
私は山本義隆の予備校講師人生を断固支持する!「企業に頼らない自立人になる」と言って、田舎町の駅前で焼鳥屋をやりながら、飲むほどに「俺たちの若いころはなぁ」とクダをまくおやじを支持する。あまりもうからないように思える医院で、ぶっこわれかけた医療機器をなだめすかしながら診療する九州田舎町の医者を支持する。
私は、万国の労働者にもバンコックのストリートチルドレンにも連帯せずに、7月中あと残り8コマの授業をヒーコラとこなすのだ。立て!なえたるモノよ。いまぞ夏休み近し!
本日のつらみ:私に「おまえはプチブル思想をひきずっている、自己批判せよ」と言った者たちよ、私は今でもプロレタリア
2003/07/22 火 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『少女の髪留め』
イズミさん、今日で辞任。今週中に台湾高雄へ出発。単身赴任で2年間。出稼ぎといっても、イランに出稼ぎにいくアフガン人とは大違い。
『少女の髪留め』は、テヘランの建設現場で働くイラン人青年ラティフとアフガン難民ナジャフ一家の物語。けがをした父親のかわりに少年ラートマと偽って働く難民少女バラン。バランが女の子とわかって思いを寄せるラティフ。
なによりバランがとてもかわいい。少年のふりをしていたときは眉も濃くして「かわいい男の子」の風貌だが、ブルカを着た少女の姿になったときは眉も作り、初々しい少女の清純なかわいらしさ。 バランは「雨」の意味だという。バラン役のザーラ・バーラミは、本当にアフガン難民村の出身。ほかのアフガン難民たちの役も、素人のアフガン人が出演している。難民のバランたちがIDカードもなく、ひどい労働条件でイランで出稼ぎしている間にも、アフガニスタンの親戚は、戦場となった町で死んでゆく。
バランが女の子だとわかってから、ラティフはできる限りのことをしてバラン一家を助けようとする。最後は自分の命の次に大事な身分証明書を売り、金を作ってやる。その金で、一家はアフガニスタンに帰国することになる。IDを失ったラティフの将来は暗いだろう。でも、生涯最初の恋のために、これだけのことができたラティフは幸せ者だ。少なくともちょっとアルバイトをしてはあぶく銭を遊びにつぎ込む日本の若者に比べれば、なんと心豊かに生きていることだろうか。
この映画が『一票のラブレター』より私にとって心にしみるのは、やはり、ラティフが成長するからなのだ。ラティフは、けんかっ早くて、仕事はできるだけ楽をしようとする17歳。父親から現場主任のメマルに預けられ、給料もメマルによって管理されている。ラートマに炊事係の仕事をとられると、いやがらせを繰り返したラティフが、ラートマが実は女の子だったことを知ると、恋しい女の子に身を犠牲にしてまで献身する男に変貌する。この純粋さ、一途さは幼いゆえとも言えるだろうが、人間のもっとも美しい心を成長させたとも言える。
この映画を見た日本の若者がアフガン難民の状況を理解できるようになるのだろうか。日本から、ハワイは近いがイランやアフガンは遠い。私は東京と同じような緯度にあるテヘランが冬になるとあんなに雪がふるとは思わなかった。娘は「テヘランはイラン高原にあるんだから、海辺の東京とは条件が違うでしょ。赤道直下でもキリマンジャロには雪がふる」と、まともなことを言う。さすが地理学科。
世界中、ほとんどの国の学生を教えたことがある私でも、アフガニスタンからの学生は、まだひとりも出会っていない。西アジアの国では、アフガン周囲のパキスタン、イラン、アゼルバイジャン、アラビア半島の石油成金国では、サウジアラビア、クェート、アラブ首長国、バーレーン、オマーン。ヨーロッパに近い方では、トルコ、ヨルダン、シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナからの学生を教えた。しかし、アフガニスタンとイラクはない。私にとって、一番縁のうすい国。アフガニスタンが直接爆撃されている間は世界のニュースも報道したが、今はアフガニスタンの情報はほとんどない。バーミヤン遺跡を世界遺産にしようというニュースくらい。それでも、人々はアフガンで、そして難民として他国で生きていかなければならない。
イラクのフセイン大統領一家は、未だに行方不明だが、莫大な海外資産を形成してあるので、どこで地下潜伏生活を送るのでも、最大級の贅沢三昧ができるのだという。そのほんの一部でもいいからお金があれば、イラクやイランやアフガンに学校を建てたい。
バランがラティフに別れのことばも告げられずにアフガンへ帰るシーン。かぶっていたベールをさっと下ろして顔を隠す。これは、私の解釈では、「はじめてラティフを男と意識した少女の心の芽生えの表現」
男のかっこうをして働いている間、顔を晒して平気でラティフの前に出ていた。別れの際に初めてバランはラティフを男として意識したのだ。だから、イスラムの掟に従って、顔を隠した。少女は去ってしまったけれど、ラティフは無視されたわけじゃない。「私にとって、あなたは男として意識される存在よ」とベールの中から見つめているのだ。ラストシーンの雨は、冬のテヘランに春をもたらす雨なのだ。
本日のかみ:少女の髪に春の雨
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20150719
「彼らの異議申し立て」は、あえなく潰えて、山本義隆も秋田明大も逮捕されました。
70年の学生闘争も60年の反安保も、力で押し切ってしまえば、そのあと、すぐに国民は忘れる、と、シンゾーさんはじいちゃまに教わって育ったのでしょうね。
安保関連10法案がまとめて衆議院通過。参議院で成立しなくても、60日たてば、衆院で再度成立させて、国民は秋がすぎて冬になれば、忘れるさ、と考えているのだろうと思います。
コクミン、なめられていますね。
廃案になるまで、声をあげつづけなければ。
「絶対安全」だったはずのフクイチ。今週も雨のために放射能汚染水が、排水路から外海 に流れ出た、というニュースが伝えられました。1971年の運転開始日には、国民は「絶対安全」を信じさせられていたのです。
曖昧な説明のままでは信じたくても信じられないから、ちゃんと説明してと、コクミンが求めているのに、「法案通してしまえばこっちのもん」という政府。コクミンはバカだから、のど元過ぎれば熱さ忘れると、いう方針、なんとかならんでしょうか。
ほんとうにこの法案が必要ならば、憲法違反をせずに、改憲から国民みんなで考えていくべきです。時間がかかっても。現在の憲法を私は支持していますが、占領下で決定されたことに不満を持つ人がいるなら、もう一度みずからの意志で戦争放棄を選びたいと思っています。
権力にある側が国の根本である法律を無視していいなら、子供は赤信号など無視しますって。法を守らなくてもいいと、子供に教えたくないです。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(7)2003年の磁力と重力の発見
2003年7月の日記を再録しています。
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2003/07/21日 月 曇り
トキの本棚>『磁力と重力の発見』
日曜日の朝日読書欄に『磁力と重力の発見』書評を山形浩生が書いていた。本の著者名を見て「おお、あの山本義隆か」と思う。
書評を読むと、「本書の著者名を聞いて、書評委員会は一瞬どよめき、自分の知らない時代のできごとが、三十年たっても、深い刻印を残していることにぼくは改めて驚いた。」と山形は書いている。やっぱり、どよめくでしょ。自分の知ってる時代のできごとだもの。
山形は予備校で山本義隆に物理を教わったのだという。「全共闘騒動の最大の損失は、山本義隆が研究者の道を外れ、後進の指導にもあたれなかったことだ、という人さえいた」と、山形は書く。「でも、プラスの刻印もあった。その事件のおかげで、ぼくをはじめ無数の受験生が予備校でこの人に物理を教われたのだもの。かれが教えてくれたのはただの受験テクニックじゃなかった。物理は一つの世界観で、各種の数式はその世界での因果律の表現だと言うことを、かれは(たかが受験勉強で!)みっちりたたき込んでくれたのだった。」
こういう文章を読むと、それだけで泣きたくなる。弱い。この山本へのオマージュを読んで、救われた気持ちになってしまうほどの弱虫世代。
山本らを踏みつけて、80年代90年代をのしてきた元全共闘、元ノンポリ、元心情三派。バブルに踊りつつ、食うためにあるいは「欲っするままにむさぼり食うため」30年生きてきた一団は、「あの時代を引きずっている馬鹿な奴ら」をせせら笑いながら天下り先でもさがすのだろう。
私は70年には「医療労連組合員」であり、75年には「日教組」だった。
「出世コース」を突っ走る人を斜めに見てひがみ、全共闘の後、学問の世界から方向を変えていった多くの研究者候補たちが、「ただ時代のためでなく」地に伏した姿を横目で見て、うしろめたく思うのみだった。
30年前も何もせず、今も何もしていないうしろめたさを背負っている。私は何もできず、何もしてこなかった人間だけれど、でも「自分の生きていく社会を変えたかったし、今でも変えたいと思っている」その思いだけは持続している。たぶん、これって若い世代からは「レトロ」「アナクロ」と、ひとくくりにされてしまう感情なんだろう。
何年か時代がずれていれば、山本は東大に残り、物理学の研究者として研究生活をまっとうしたのかもしれない。今頃は東大か、どこかで教授になっていたのかもしれない。だが、それがどうした。彼が生きた「予備校講師」の30年で、いくつかの著書を残し、彼の講義を「世界観の醸成」と受け止める予備校生を大学へ進ませ、彼は彼なりに物理学を「彼の生き方」として提示したのが、この著書三部作なのだろう。(読んでもいないのに、予想だけでの感想)
私は山本義隆の予備校講師人生を断固支持する!「企業に頼らない自立人になる」と言って、田舎町の駅前で焼鳥屋をやりながら、飲むほどに「俺たちの若いころはなぁ」とクダをまくおやじを支持する。あまりもうからないように思える医院で、ぶっこわれかけた医療機器をなだめすかしながら診療する九州田舎町の医者を支持する。
私は、万国の労働者にもバンコックのストリートチルドレンにも連帯せずに、7月中あと残り8コマの授業をヒーコラとこなすのだ。立て!なえたるモノよ。いまぞ夏休み近し!
本日のつらみ:私に「おまえはプチブル思想をひきずっている、自己批判せよ」と言った者たちよ、私は今でもプロレタリア
2003/07/22 火 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『少女の髪留め』
イズミさん、今日で辞任。今週中に台湾高雄へ出発。単身赴任で2年間。出稼ぎといっても、イランに出稼ぎにいくアフガン人とは大違い。
『少女の髪留め』は、テヘランの建設現場で働くイラン人青年ラティフとアフガン難民ナジャフ一家の物語。けがをした父親のかわりに少年ラートマと偽って働く難民少女バラン。バランが女の子とわかって思いを寄せるラティフ。
なによりバランがとてもかわいい。少年のふりをしていたときは眉も濃くして「かわいい男の子」の風貌だが、ブルカを着た少女の姿になったときは眉も作り、初々しい少女の清純なかわいらしさ。 バランは「雨」の意味だという。バラン役のザーラ・バーラミは、本当にアフガン難民村の出身。ほかのアフガン難民たちの役も、素人のアフガン人が出演している。難民のバランたちがIDカードもなく、ひどい労働条件でイランで出稼ぎしている間にも、アフガニスタンの親戚は、戦場となった町で死んでゆく。
バランが女の子だとわかってから、ラティフはできる限りのことをしてバラン一家を助けようとする。最後は自分の命の次に大事な身分証明書を売り、金を作ってやる。その金で、一家はアフガニスタンに帰国することになる。IDを失ったラティフの将来は暗いだろう。でも、生涯最初の恋のために、これだけのことができたラティフは幸せ者だ。少なくともちょっとアルバイトをしてはあぶく銭を遊びにつぎ込む日本の若者に比べれば、なんと心豊かに生きていることだろうか。
この映画が『一票のラブレター』より私にとって心にしみるのは、やはり、ラティフが成長するからなのだ。ラティフは、けんかっ早くて、仕事はできるだけ楽をしようとする17歳。父親から現場主任のメマルに預けられ、給料もメマルによって管理されている。ラートマに炊事係の仕事をとられると、いやがらせを繰り返したラティフが、ラートマが実は女の子だったことを知ると、恋しい女の子に身を犠牲にしてまで献身する男に変貌する。この純粋さ、一途さは幼いゆえとも言えるだろうが、人間のもっとも美しい心を成長させたとも言える。
この映画を見た日本の若者がアフガン難民の状況を理解できるようになるのだろうか。日本から、ハワイは近いがイランやアフガンは遠い。私は東京と同じような緯度にあるテヘランが冬になるとあんなに雪がふるとは思わなかった。娘は「テヘランはイラン高原にあるんだから、海辺の東京とは条件が違うでしょ。赤道直下でもキリマンジャロには雪がふる」と、まともなことを言う。さすが地理学科。
世界中、ほとんどの国の学生を教えたことがある私でも、アフガニスタンからの学生は、まだひとりも出会っていない。西アジアの国では、アフガン周囲のパキスタン、イラン、アゼルバイジャン、アラビア半島の石油成金国では、サウジアラビア、クェート、アラブ首長国、バーレーン、オマーン。ヨーロッパに近い方では、トルコ、ヨルダン、シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナからの学生を教えた。しかし、アフガニスタンとイラクはない。私にとって、一番縁のうすい国。アフガニスタンが直接爆撃されている間は世界のニュースも報道したが、今はアフガニスタンの情報はほとんどない。バーミヤン遺跡を世界遺産にしようというニュースくらい。それでも、人々はアフガンで、そして難民として他国で生きていかなければならない。
イラクのフセイン大統領一家は、未だに行方不明だが、莫大な海外資産を形成してあるので、どこで地下潜伏生活を送るのでも、最大級の贅沢三昧ができるのだという。そのほんの一部でもいいからお金があれば、イラクやイランやアフガンに学校を建てたい。
バランがラティフに別れのことばも告げられずにアフガンへ帰るシーン。かぶっていたベールをさっと下ろして顔を隠す。これは、私の解釈では、「はじめてラティフを男と意識した少女の心の芽生えの表現」
男のかっこうをして働いている間、顔を晒して平気でラティフの前に出ていた。別れの際に初めてバランはラティフを男として意識したのだ。だから、イスラムの掟に従って、顔を隠した。少女は去ってしまったけれど、ラティフは無視されたわけじゃない。「私にとって、あなたは男として意識される存在よ」とベールの中から見つめているのだ。ラストシーンの雨は、冬のテヘランに春をもたらす雨なのだ。
本日のかみ:少女の髪に春の雨
~~~~~~~~~~~
20150719
「彼らの異議申し立て」は、あえなく潰えて、山本義隆も秋田明大も逮捕されました。
70年の学生闘争も60年の反安保も、力で押し切ってしまえば、そのあと、すぐに国民は忘れる、と、シンゾーさんはじいちゃまに教わって育ったのでしょうね。
安保関連10法案がまとめて衆議院通過。参議院で成立しなくても、60日たてば、衆院で再度成立させて、国民は秋がすぎて冬になれば、忘れるさ、と考えているのだろうと思います。
コクミン、なめられていますね。
廃案になるまで、声をあげつづけなければ。
「絶対安全」だったはずのフクイチ。今週も雨のために放射能汚染水が、排水路から外海 に流れ出た、というニュースが伝えられました。1971年の運転開始日には、国民は「絶対安全」を信じさせられていたのです。
曖昧な説明のままでは信じたくても信じられないから、ちゃんと説明してと、コクミンが求めているのに、「法案通してしまえばこっちのもん」という政府。コクミンはバカだから、のど元過ぎれば熱さ忘れると、いう方針、なんとかならんでしょうか。
ほんとうにこの法案が必要ならば、憲法違反をせずに、改憲から国民みんなで考えていくべきです。時間がかかっても。現在の憲法を私は支持していますが、占領下で決定されたことに不満を持つ人がいるなら、もう一度みずからの意志で戦争放棄を選びたいと思っています。
権力にある側が国の根本である法律を無視していいなら、子供は赤信号など無視しますって。法を守らなくてもいいと、子供に教えたくないです。
<つづく>