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ぽかぽか春庭「2003年の一票のラブレター」

2015-07-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150716
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年7月(5)2003年の一票のラブレター

 2003年7月の日記を再録しています。
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2003/07/20 日 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『一票のラブレター』

 朝6時、息子水泳部夏期合宿に出発。いざ出発というときになって、バッグのファスナーが壊れていることがわかった。あわてて、リュックサックの方に詰め替えたら、こちらも前ポケットファスナーが兎タイムに齧られていてぼろぼろ。しかし、とりあえず、前ポケットには物をいれなければいいので、リュックで出かけた。いつもぎりぎりに準備するからこういうことになる。

 午後、イラン映画『一票のラブレター』を見る。

 『一票のラブレター』は、ペルシャ湾の小さな島の一日の出来事。朝、8時半モーターボートから選挙管理委員会から派遣された管理委員の娘が島に上陸する。伝統的なブルカに身を包んでいるが、きちんと教育を受けたしっかり者だ。密輸監視が主な仕事の兵士が護衛になり、ジープで島内を回る。行く先々にさまざまな島の暮らしがある。
 神に投票するという太陽電池発電所管理の老人あり、選挙したら魚が捕れるようになるのか問う漁師あり、という具合。16歳以上の男女に選挙権があるとはいえ、女たちの大部分は文盲なのだ。伝統的な社会に生きる男たちに選挙が何かを理解させることもむずかしい。それでも一日のうちに、何票かは集まり、管理委員としての仕事を果たせた。

 兵士は最初は女の分際でと思っていたが、一途に民主主義の必要性を信じ、投票の大切さを人々に説く娘にしだいに心を惹かれるようになる。最後に自分の投票として、娘の名前を書き入れる。娘は「私は候補者じゃない、候補者の中から選ぶってことは、今日一日選挙の説明を聞いていたのだからわかっているでしょ」というが、兵士は「秘密投票だから、だれに入れてもいいのだ」と言う。娘の名を書き込むことだけが、兵士の恋の表明なのだ。

 娘は、都会で高等教育を受けた上流階級の娘である。教条的に「民主的選挙」を説いていたが、実際の世の中を知っているわけではない。兵士がこわれた赤信号を守って車を動かさないでいた態度から、「国が決めた法律がすべてではない」ことも知る。
 任務を終え、娘は迎えの飛行機に乗って帰っていく。空高く飛び立つ飛行機と、海岸に置かれた粗末な野営ベッドの対比のごとく、兵士の淡い恋心は、高嶺の花へのあこがれだけでおわるのだろう。

 冒頭最初のシーンは、投票箱が飛行機からパラシュートで投げ落とされる場面から始まった。空から民衆にいきなり落とされる選挙権。選挙権を与えるなら、識字教育も与えて当然だろう、と思ってしまうのは、江戸時代でさえ識字率50%を越えていた日本に生まれ育った者の感想だろうか。
 島では、ペルシャ語以外のことばもあって、通訳を介さないと選挙の意味もわかってもらえない。ケニアの選挙では、候補者ごとにシンボルマークを決め、ラジオマーク候補、とか、飛行機マーク候補、机マーク候補などに○をつけて選ぶ方式だった。イランでは、候補者にシンボルマークをつけることは許されていないのだろうか。字が読み書きできない国民が存在することがわかっているなら、絵やマークで選ぶほうがいいと思うのだが、偶像否定のイスラム教では許されないのかもしれない。

 娘は一日の経験で、一般民衆の暮らしや教育レベルについて身にしみてわかったことだろう。しかし、彼女がこれからどのように変わっていくのか、あるいは変わらないのかは映画からはわからない。たぶん、この映画では、ペルシャ湾の光景や人々の暮らしを味わうべきなのだろう。でも、監督が「観光映画」や「映像詩」としてイランを描くのなら、もっと別の題材でよかったような気がする。空から降ってきただけで、地に根付いていないイランの民主主義とは何か、を描いたのでもなし、少女の一日の成長を描いたのでもなし。じゃ、何を?

 我が国の選挙。解散近しと見て、何をするかというと、辻本逮捕。マキコはおかまいなしなのに。与野党とも泥沼。選挙するわれわれももっと泥沼。空から投票箱が降ってきても、書き入れる文字を知らないペルシャ湾の女たちと、泥沼の中で顔に泥をなすりつけ合っているわが被選挙民たちと。私の一票のラブレターは、次回も届かないだろう。

本日のかみ:投票用紙に書くのは君の名

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20150709
 映画『一票のラブレター』では、投票を呼びかけても応じられる人が少ないことに主人公はやきもきしていました。投票するのに字が書けない人もいるし、砂漠を越えてはるばる旅しなければ、投票できないという地域もありました。

 国民が民主主義を達成し、自分たちの運命を自分たちで選び取るということ、そう簡単なことではないことを忘れないようにしたいです。

 OD先生は私のボス。8月は、ヤンゴン大学におらず、日本に帰っています。
 ボスは、日本で数少ないミャンマー学の専門家。1960年代にビルマ語を専攻してビルマそしてミャンマーと深く関わって研究を続けてきました。温厚篤実な人柄でとても尊敬できる方です。彼は、今「ミャンマーの民主化」と深く関わって研究を続けていて、この夏は「ミャンマー人のための民主主義教科書」の編集に携わり、ようやく出版にこぎつけたところです。

 長く軍事政権が続いたミャンマーで、「さあ、民主主義です。民主化が達成されたので、投票して国の代表を決めましょう」と言っても、それが自分の生活とどう関わり、自分の投票がどう国を動かしていくのか実感を持って投票できる人がまだ少ない。

 長く民主主義を続けてきたと自負する日本でも、どうやらことはそう簡単なものではない。
 莫大な経費を費やして、「オレ様の大阪都構想の反対派を黙らせるには、住民投票がいちばんてっとリ早い」として、実施された住民投票。
 僅差で反対派が勝ち、一弁護士に戻るという市長は「引退宣言」を行いました。でも、きっと「大阪の行政からは引退するけれど、次は国政に参入だ」という意味だと、大方のひとは受け取っています。これで本当に一弁護士業務のみに徹するなら、徹ちゃん、本物の民主主義者だと評価します。もし、国政とかにしゃしゃり出てきたら、大阪府民、市民は「馬鹿にすんな」と、言うべきですよ。

 民主主義の基本は、わたしの一票、あなたの一票。ミャンマーの民主主義がんばれ、、、、日本も。

 しかるに、強行採決。
 民主主義の破壊に思えます。
 この、「国民の大半が、まだ法案を採決出来る段階にはない」と考えている法案を「多数決だから」と数の論理で押し通すとしたら、「憲法無視」という「国家の破壊」というくらいの出来事になります。心臓にナイフを突き立てて「平和を守るためには武器をとらなければならない」と叫んだところで、ナイフが心臓を打ち破っている状態で、どのようにして平和を守れというのでしょうか。

 春庭は、今、政府がゴリ押しで成立させようとする諸々の法案に反対し、論議を尽くすべきだと考えます。

 「よそから攻めてきたらどーすんだ」と、法案賛成の方々はおっしゃいます。
  闘うことだけが解決の方法でしょうか。イランに核開発疑惑があるとしてアメリカは先制攻撃をすると脅しをかけてきましたが、その脅しでは解決せず、国際的な地道な話し合いによって、イランの核問題が最終的に解決への道にこぎつけました。長い外交努力が実を結んだのです。
 国際紛争の解決は、「攻撃されるかもしれないから先制攻撃」「攻撃されたら反撃」だけではありません。時間はかかるかもしれないけれど、このような話し合いでの解決もありうる。

 戦争を法案化したい人たち、そんなに戦争によって解決したいのでしょうか。外交努力という方法は、まだろっこしいと思っているのかもしれません。
 私はイランとの交渉が、戦争でなく協議によって最終合議に至ったことを喜びたいと思います。

<つづく>
コメント (6)
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