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ミンガラ春庭「ビルマのダディンジュ祭り」

2015-07-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150704
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ミャンマー事情(7)ビルマのダディンジュ祭り

 8月に赴任する予定のミャンマーについて、細々とおベンキョーを続けています。
 ようやくミャンマー文字の数字とアルファベットに当たるミャンマー文字がぽつぽつと読めるような読めないようなという程度の勉強ぶりです。

 なにしろ、私立大学の9月以後の後期の授業を、今年は全部前期にぶち込むという荒技をやったので、月火水土の週4日、90分授業を9コマこなすという仕事。老体にはなかなかきついです。
 ほんと、過労死予防健康管理に気をつけているところです。

 春庭が、過去ミャンマーについて書いた文章は「ビルマの竪琴について」のほか、もうひとつありました。都内の公園で見た、在日ビルマ人によるフェスティバル「ビルマのダディンジュ祭り」についてです。2005年、まさか10年後にミャンマーとご縁がつながるとは思わないで、在日ビルマ人によるお祭りを見ていました。
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2005/111/02 水
ニッポニアニッポン事情>ビルマのダディンジュ祭り

 10月9日、公園からにぎやかな歌声が聞こえてきた。「ビルマのダディンジュ祭り」だった。
 公園野外ステージには、ビルマ文字と日本語で「ビルマ ダディンジュ祭り」という大きな看板が掲げられ、文字の横にはアウン・サン・スー・チーさんを思わせる女性の肖像画が描いてある。

 ビルマは、軍事独裁政権となってから、国名をミャンマーと変えた。軍事政権に反対する人達は、今でも自分の国をビルマと呼び続けている。<つづく> 

2005/11/03 木
ニッポニアニッポン事情>ビルマのダディンジュ祭り(2)

 絵が、スーチーさんそっくりの似顔絵じゃないのは、何か問題が起きたときに、「いや、これは別段スーチーの顔じゃなくて、一般的なビルマ女性のひとりだ」と、言い逃れをするためかと思われる。スーチーさんは、ノーベル平和賞受賞者であるが、本国では政治犯として幽閉中の身だ。

 これまで私が受け持ったクラスにも、何名かのミャンマーからの国費留学生がいた。今期もひとりいる。
 かれらは、本国から軍事政権によって選抜されて来日した学生であるから、現政権に従う考え方の人が多い。

 しかし、今、日本に在留しているビルマ系の人々は、軍事政権のために本国では生活していけなくなった方が多い。軍事政権に反対して政治犯とされた人、留学してから民主化運動を行ったために、帰国できなくなった人など。

 10月に東京近辺の在留者が集まって行ったビルマのお祭り「ダディンジュ祭り」
 ダディンジュ祭りとは、ビルマの月の名であるダディンジュ月(太陽暦9月~10月上旬頃)の満月の日に行われる。

 6月の満月から9月の満月まで、ビルマの仏教徒は、小乗仏教の戒律を普段より厳しく守ります。この期間を『雨安居(うあんご)』と言う。
 雨安居明けを迎えると、人々はパゴダ(仏教寺院)にお参りをして、花や灯明を供え。家に僧侶を招き、食事を差し上げ法話を聞く。その後、家族親戚、友人知人とご馳走をいただきながら、おしゃべりしたり楽しい時間をすごす。

 10月9日は、イスラム教徒(モスレム)の人々が、一ヶ月間のラマダン(断食)に入る日だった。ラマダンの期間中は、飲食その他日常生活に戒律を設け、ラマダン明けには、友人親戚集まって、盛大なパーティをする。

 同じように、ビルマの仏教も、雨安居(うあんご)の期間は、仏教の戒律を厳しく守り、雨安居が終わる解夏(げげ)となる日には、集まってお祭りをする。
 ことしは、雨安居明け(解夏)とラマダン入りの時期が、同じころになった。

 10月9日に東京で開催された、ビルマの雨安居明けを祝うダディンジュ祭り。
 ビルマの歌や踊り、本格的ビルマ料理が楽しめる屋台、などのイベントがあった。

 催し物は17時で終わりになったが、私が公園についたときは、名残を惜しんでいる人々がステージを囲んで、歌をうたっていた時間だった。
 ステージのマイクを持った人は、ビルマ語の人気の歌を歌っている。ステージ前の人は、いっしょに踊ったりうたったり。

 主催者は、「国民民主連盟(NLD)日本支部」。在日ビルマ人民主化団体である。
 NLD書記長のアウンサンスーチーさんは、ノーベル平和賞を受賞後も、本国で長期間、幽閉生活を余儀なくされている。<つづく>

2005/11/04 金
ニッポニアニッポン事情>ビルマのダディンジュ祭り(3)

 私が受け持ったミャンマー留学生たちは、現政権側の人が多いので、NLDに対しては距離をおいている。そうしなかったら、留学を取り消され奨学金も受けられなくなる。
 現政権の範囲内で、自国の発展のために尽くそうといっしょうけんめい勉学を続ける留学生たちもいれば、また、NLDに心を寄せ、民主化運動を続けるビルマ人もいる。

 私は、ビルマ又はミャンマーの政治的な背景にたちいるほど、ビルマについて知ってはいない。私になじみがあるのは『ビルマのたて琴』ぐらい。
 ただ、現政権がどれほど一生懸命国家の建設をやっているのであろうと、現政権に反対する側の勢力に対して、代表者を幽閉し、反対意見の人が帰国できないような状況であるのは、やはり心が痛む。

 いろんな立場さまざまな意見があって、それを全部認めていたならカンボジアのような内乱となり、国家建設ができない、という立場から、現政権は反対勢力の活動を認めないのであろうことは推測するが。
 一日も早く、国民が安定した生活をおくれるようになり、さまざまな意見も採り入れて議論ができる余裕が生まれるように願っている。

 名残を惜しむ人々が、歌い続ける中、ビルマの若者たちが、けんめいにイベント片づけに取り組んでいた。
 イベントに使用した機材、道具を運び、腰をかがめてもくもくとゴミを拾っている姿が印象的だった。

 歌って踊って楽しむ人達もいる。縁の下の力持ちとなって、黙ってゴミを拾い集め、片づけに励む若者もいる。
 きちんと片づけをしようとしている若者の姿をみて、未来に向かって祖国のために働こうとしている人々はどこにもいる、という気分になった。

 もちろん、内情はそんな単純なものじゃない。アウンサンスーチーさんの軟禁状態はこれからも続きそうだし、NLDの活動をしている人は祖国に帰れそうにない。
 軍事政権側にも言い分はあるのはわかっている。

 「いっしょうけんめいイベントを行い、片づけに励む若者がいるから大丈夫」と思ってしまうほど簡単なものじゃないのはわかっているけれど、自国の現状をひたすら嘆いて暗い亡命生活をするより、こうやって歌ったり踊ったり、おいしい祖国の料理を食べたり、そんなお祭りを楽しむのも、いいんじゃないかなあと感じた、秋の夕暮れでした。

解夏(げげ)祭るビルマパゴダの金色(こんじき)の屋根をかすめて飛ぶ白き鳥

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20150704

日本でのダディンジュ祭りを見物したのは、2005年のことでした。
 ミャンマーの仏教徒による祭りは、仏教行事であり、お寺を中心に陰暦で行われます。満月の夜のお祭りのひとつ、ダディンジュ(Thadingyut)祭りについて。 

 ミャンマー仏教徒は、6月の満月から9月の満月までを 『雨安居(うあんご)』として。仏教徒の戒律を固く守ってすごします。(日本ではお坊さんでも夏安居の戒律まもっていないけれど)
 ダディンジュ月(ミャンマーは陰暦を使っています。太陽暦だとおよそ10月頃)
 ダディンジュ祭りは、雨安居の厳しい戒律の時期が終わったことを仏に感謝し、家族親戚友人達とごちそうをいっしょ食べ談笑し、お坊さんを招いて食事をさしあげ法話を聞くことでよりいっそう堅固な仏教徒となることを喜ぶ祭りです。

 10月には私は日本に帰国している時期なので、本場のダディンジュ祭りは見られませんが、日本でも各地で在日ビルマ人が集まって、祭りを行っているので、参加したいと思っています。

 「解夏祭るビルマパゴダの金色の屋根をかすめて飛ぶ白き鳥」
 この歌は、ビルマに行ったこともない春庭が、ビルマのお寺を想像して2005年に詠んだものです。そのビルマの金色のお寺を10年後に本当に見ることができたなんて、感激でした。
 赴任する8月9月は雨安居の真っ最中。私も、ちと仏教徒らしく、身をつつしんで過ごしたいと思います。

<つづく>
コメント (4)
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